”できる人”から”できた人”に
これは、僕の完全な感覚の話になってしまうのだが、
”できる人”の上位互換が、”できた人”になると思っている。
その違いは、僕が大好きな本ではこのように定義されている。
まず、断っておくが自分が
”できた人”になりきれていたかと言われると
まだまだ改善の余地があるレベルであり、
精進させて頂いている身である。
しかし、他者評価では”できた人”の評価を
比較的頂いており、ずっと”できた人”を目指してきた
自分として話をさせて頂くことを
ご理解頂いた上で読んで欲しい。
まず、”できる人”はまあまあ一定数いる。
だけど、面白いほどに”できる人止まりの人”が圧倒的に多い。
これは、単純明快な話で
”できない人”から”できる人”になることで
満足してしまっているからで、
”できる人”からすると、”できた人”は
どこか元からの人間性と思ってしまうのである。
僕も、部下から言われたことがある。
ミーティングだったか何人かいるところで
人を巻き込んでの仕事のやり方みたいなことを聞かれた時に
僕はめちゃくちゃシンプルに今の状況を伝えて、
こうして欲しいと言うのを頼むように伝える。
みたいなことを答えた。
すると、
「やんさんが言うからみんなやるからであって、
自分達はやんさんみたいな人じゃないので
同じことを言ったとしてもやってくれないし、
そもそも自分達は同じことは言えないです。」
と言われました。
その時気付いてしまいました。
「あー。そうやって線を引かれてるんか」
と思ってその時は、
日頃の人としてのコミュニケーション不足だろうと
思って口に出かけたが呑み込んで、
「そうか。。。」って言ったのは
すごく覚えている。
これは、育ちやその人が置かれてきた立ち位置、
人間関係に左右されるものだとされるかもしれない。
確かに、その要素は少なからずあるが、
結局は人としての付き合いができているか。
もっと言うと、従業員を”駒”として見るのではなく、
”人”として見ているかの違いなのではないかと
僕は思っている。
そして、それがその人達に伝わり続けていなければ
”できた人”にはなれない。
いや、”できた人”にしてもらえない。
だから、僕は数字だけを見る人が
そこまで好きではないのだろう。
”できる人”は短期的には、結果を出すかもしれないが
”できた人”は長期的に、結果を出し続ける人のことを
指すのかもしれない。
このスタンスを続けてきたから、
僕が辞めると言うことを聞いて
最後に、自分に会いに今日先輩が
名古屋まで遊びにきてくれる。
「朋とも有り、遠方より来たる、亦また楽しからずや」
これは、”できた人”の言葉なのかもしれない。
今日は、久しぶりに飲み明かすぞ!!!
ほなまた!
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