デザインが文化人類学と出会う時 #210
パーソンズ美術大学・Transdisciplinary Designでデザインを学んでいると、デザインが文化人類学の方法論や考え方を参考にしていることに気づきます。
そこで、デザインをさらに知るためにも「文化人類学とは何か?」について調べてみることにしました。すると、文化人類学は現代社会の常識を形作った学問であることが分かりました。
文化人類学とは?
まず、デザイナーだけでなく現代人が文化人類学を学ぶべきである理由を、ジリアン・テット氏の『Anthro Vision(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界』から引用します。
彼女によると、誰もが自分の文化で培った思い込みやバイアスという「汚れたレンズ」を通して世界を見ていることを自覚し、以下の4つのステップを踏むべきだそうです。
この「汚れたレンズ」を磨くために、文化人類学ではブロニスワフ・マリノフスキというポーランドの人類学者が確立したフィールドワークという方法を採用しています。フィールドワークの説明は、奥野克巳さんの『これからの時代を生き抜くための 文化人類学入門』の文章から引用します。
つまり、文献調査では満足せず、実際にその文化に参加するというフィールドワークを重視し、そこで実際に見た現地の生活をエスノグラフィー(民族誌)として記録していくのが文化人類学です。
また、フランツ・ボアズというドイツの人類学者が提唱し始めた文化相対主義も文化人類学の特徴的です。異文化で生活すると、自分が生まれ育ってきた文化の常識が通用しないという経験をします。この時、自分たちの文化が絶対的に正しいものではないことに気づき、自文化が相対化されます。この経験が相手の文化を尊重したり多様性を認めたりするきっかけになります。
ちなみに、こうした異文化を尊重する考え方は他の学問にも波及しています。たとえば、「Global Mental Health」という世界全体のメンタルヘルスを考える学問では、西洋の科学的な治療方法を押しつけるという従来の手法ではなく、メンタルヘルスを損なった人が所属する文化を理解することを優先し、その文化圏の伝統的な治療法を尊重します。つまり、精神疾患の症状と治療法のように科学の領域にあると思われることでさえ、実は文化に依存していると考えるのです。
まとめると、文化人類学は異文化の生活を自ら体験する参与観察の手法と文化相対主義の考え方が特徴であるということです。
文化人類学の歴史と展望
ここで、文化人類学の歴史を簡単に見てみましょう。エスノグラフィーのように異国の地での経験を文章にするというのは、人類学が誕生する以前から行われてきました。ジリアン・テット氏によると、最古の「人類学者」はペルシア戦争を記録した古代ギリシャのヘロドトスだろうとしています。
人類学が学問として成立していくのは時が進んで19世紀、植民地支配が行われた帝国主義の時代です。西欧諸国が非西欧圏の植民地支配を効率良く進めるために異文化を理解したいというニーズが生まれた頃でした。
この頃は、ダーウィンの進化論の影響力が強い時代です。「進化によって優れた存在が生まれていく」という考え方は人類や文化にも適用されることになり、西欧諸国の人々や文化は最も「進化した」存在であり、非西欧諸国は「遅れている」と考えました。この考え方は進歩史観と呼ばれ、西欧諸国が非西欧諸国を植民地化することは「啓蒙」であるとして正当化されました。
支配のために人類学を使う傾向は、第二次世界大戦前後まで続きます。たとえば、アメリカの人類学者であるルース・ベネディクトが日本文化について記した『菊と刀』は、太平洋戦争に勝利した後の日本統治を容易にするための調査に基づいています。ちなみに、戦時中ということもあって日本本土でのフィールドワークなしに書かれたため、賛否両論あるようです。
進歩史観に基づいた支配のための人類学を転換させたのが、人類学者であり構造主義の創始者でもあるクロード・レヴィ=ストロースです。彼のブラジルでの「フィールドワーク」の経験や、未開とされていた地域の婚姻規則が最先端の数学理論であった群論と同じであることを解明したことなどから、人類学は文化相対主義の旗頭を担うようになりました。
現代は構造主義やポスト構造主義の時代であると言われるように、彼の思想を土台として学問が発展しています。前述の「Global Mental Health」もこの影響を受けています。現代の学問の基礎となる文化相対主義が文化人類学から生まれたことから、人類学を学ぶと全ての学問ジャンルの理解が進むということが分かります。
さらに、「価値観は人それぞれ」という今日の常識でさえも、この文化相対主義に由来すると言ってもいいでしょう。私たちは知らず知らずのうちに人類学的思考法を採用しているのです。
ところで、最近は人新世という言葉が注目されるようになりました。もともとは地質学の用語で、人類が自然にもたらす影響力が大きすぎるが故に地層に人類が生きた痕跡が残るのではないかという仮説を表しています。日本では『人新世の「資本論」』という本が出版されたこともあり、一般にも知られるようになりました。
こうした状況に対応するために、文化人類学では人類と人類以外の生物との関わり合いの理解を試みる「マルチスピーシーズ人類学」なる学問が生まれるなど、研究対象を人類から広げる動きが始まっているようです。
デザインと文化人類学のタッグ
人類学の影響はデザインにも及んでいます。たとえば、デザインリサーチの手法を見てみると、フィールドワークを実施してリサーチャー自ら参与観察を行い、エスノグラフィーのような質的調査をするというように、人類学の手法を拝借していることが分かります。
また、人類学では「マルチスピーシーズ人類学」のように研究対象が人類以外にも拡大していることを紹介しました。その流れにあると思われるのが、"Everything we design in turn designs us back" を提唱した存在論的デザインです。つまり、研究対象が生物だけでなく、デザインという人工物にも及んでいるということです。
ちなみに、デザインと人類学の大きな違いは、相手に影響を及ぼすことに対する考え方です。デザインはデザイナーによる介入によって相手の問題を解決しようとします。一方、人類学ではフィールドワークの対象にできるだけ影響を及ぼさないように気をつけます。「ホーソン効果」という現象もあるように外部から人が来ることによる影響は必ずあるのですが、それでも極力影響を与えないように参与観察とエスノグラフィーの執筆に専念します。
このように相違点もあるデザインと人類学ですが、2010年代頃から協力の道を模索しています。たとえば、以前紹介した『クリティカル・デザインとは何か?』に、スペキュラティブ・デザインのダン&レイビーが人類学とコラボしていることが言及されていましたが、たしかにパーソンズ美術大学の授業で人類学の先生は彼らと共同でプロジェクトとしているとおっしゃっていました。
ちなみに、レヴィ=ストロースは「賢人とは正しい答えを与える者ではなく、正しい問いを立てる者だ」と言ったそうです。問題解決ではなく問題提起を志向するスペキュラティブ・デザインが人類学と合流することを予見するかのような言葉ですね。
まとめ
文化人類学はフィールドワークによる参与観察からエスノグラフィーを書くという方法論を構築し、文化相対主義を重視する学問であることが分かりました。また、文化人類学の方法論や考え方が現代の学問や人々の常識に多大な影響を及ぼしていることも分かりました。
文化人類学の観点から言えば、留学とは「フィールドワーク」であり、noteに書いている記事は「エスノグラフィー」と言えるのかもしれません。デザイナーの素養としてだけでなく現代を生きるスキルとしても人類学は求められるので、これからも学び続けていきたいです。
主要参考文献
・奥野克巳『これからの時代を生き抜くための 文化人類学入門』
・ジリアン・テット『Anthro Vision(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界』
・中村寛『人類学とデザインは共創できるか?』
・COTEN RADIO『人類学って何?異文化に飛び込んだ同級生に聞いてみた』
追記:コメントにあるリンクの記事
伊賀聡一郎『エスノグラフィを利用したイノベーション──顧客理解からはじまる機会デザイン──』
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