クリティカル・デザインは、次世代のデザイン思考なのか? #209
マイブームは、「デザインとは何か?」を調べることです。これまではデザインとデザイン思考の歴史や、現在のデザイン思考の多様性を見てきました。
今回は、そのデザイン思考を批判する立場として登場したクリティカル・デザインについて調べてみました。参考文献は『クリティカル・デザインとはなにか? 問いと物語を構築するためのデザイン理論入門』です。
クリティカル・デザインとは?
本書ではクリティカル・デザインの対義語としてインダストリアル・デザインを置き、従来のデザイン思考との対比を意識しています。特に重要なのは、クリティカル・デザインが反資本主義的な立場を取っていることです。
クリティカル・デザインのルーツ
クリティカル・デザインの批評的実践のルーツは、1950年代後半からのラディカル・デザイン、アンチ・デザイン、カウンター・デザイン、ニュー・デザイン、コンセプチュアル・デザインなどの流れにあるとしています。
最初のクリティカル・デザイナーと言われるカスティリオーニ兄弟は、既製品の組み合わせで製品をデザインすることで、ユーザーに異質な体験をさせようとしました。
最初にクリティカル・デザインという用語が使われたのは、ビル・ゲイバーとアンソニー・ダンによる「The Pillow: Artist Designers in the Digital Age」(1997)の論文だそうです。この論文で紹介されている「The Pillow」は、現代社会には電磁波を発する機器が溢れているということに気づかせるのを狙ったデザインです。
近年ではクリティカル・デザインも細分化しているようですが、アソシエイティヴ・デザインはデザイン領域、スペキュラティブ・デザインは科学技術、クリティカル・デザインは社会問題全般を批判しているという分類が分かりやすかったです。
クリティカル・デザインのキーワード
クリティカル・デザインの特徴は以下の四つです。これらは全て従来のプロダクトデザインが前提とする価値観を転倒させています。
クリティカル・デザインが批判する中心的な命題は、「プロダクトは機能的でなければならない」というモダニズム的な流れだと捉えると分かりやすいです。従来のデザインでは、機能的なものを生み出すことを追求してきました。シカゴの建築家ルイス・サリヴァンの「形態は機能に従う(Form follows function)」という言葉がその象徴です。
この考え方は物自体でどのように機能するかが完結するという前提に成り立っていますが、クリティカル・デザインではこの前提から疑います。つまり、物に本質(機能)があるのではなく、物とユーザーとの関係性で物の機能が見えてくると考えるのです。
ここで、実存主義者のサルトルを引用します。ペーパーナイフが「紙を切る」という本質を内包しているのは、紙を切るために作られたからである。一方、人間は何かを果たすために生まれるわけではなく、まずこの世界にただ存在(実存)する。このことを「実存は本質に先立つ」という言葉で表しました。
クリティカル・デザインでは、この「実存は本質に先立つ」をペーパーナイフのようなプロダクトにも拡張しているとも考えられます。たとえば、ペーパーレスが進んだ時代を想定してみると、ペーパーナイフは紙を切るという機能を果たせません。この時、ペーパーナイフは人間とどのような関係性を築くことになるのでしょうか?
こうした問いを投げかけるデザインをするためには、ユーザーが解釈する余地・曖昧さを残す必要があります。「これは何のために作られたのか?」という問いをいかにユーザーに抱いてもらうかを工夫します。
「機能的であることは善なのか?」とモダニズムの前提を問うようなプロダクトをあえてデザインすることで、インダストリアル・デザインと資本主義に対抗するのがクリティカル・デザインのようです。
日本におけるクリティカル・デザイン
本書では『「クリティカル/スペキュラティブ・デザインは、日本においていかにして可能か?」座談会』という日本語版付録がついていました。そこから、個人的に気になった部分を少し。
クリティカル/スペキュラティブ・デザインは、アンソニー・ダンとフィオナ・レイビーの活動を追えば理解しやすいそうです。二人は90年代からデザインの批評性を模索し始めます。2000年代はスペキュラティブ・デザインという呼称が生まれ、ナノ・バイオテクノロジーなどの先進技術の倫理を問うようになります。10年代からはパーソンズ美術大学に拠点を移し、人類学、哲学、社会学などの人文科学系とのコラボへとシフトしています。
また、スペキュラティブ・デザインがサイエンス・フィクション(SF)の手法からヒントを得ていることも紹介されていました。フランス軍がSF作家を雇ったり、インテルが「SFプロトタイピング」を提唱したりするなど、SFが未来を切り拓く可能性は認められつつあります。この座談会に参加されている方々もSFのシナリオメイキングやストーリーテリングを学んでいるそうです。
ちなみ、『シン・ゴジラ』がスペキュラティブ・デザインのよい例だと書かれていました。ゴジラという虚構の存在が出現した場合、日本政府という現実はどう対処することになるのか。この問いを扱った映画を見た人が、実際の政治に興味を持つ。そんな図式はスペキュラティブ・デザインの理想像とも言えます。日本にスペキュラティブ・デザインを根付かせるためには、特撮文化が役立つかもしれませんね。
全ては資本主義に飲み込まれる
私がクリティカル・デザインを学んでいる時に、頭に浮かんだのは『反逆の神話』です。本書では、資本主義や消費社会に対抗しようとしたカウンターカルチャーがむしろ資本主義を促進したことを論じています。
クリティカル・デザインの目指す反資本主義の試みがクリティカル・デザインによって本当に実現するのかどうかは、あらためて考えるべきなのかもしれません。クリティカル・デザインの展示がされている美術館に入るために、観客は入場料を払う必要があります。その展示が話題になって儲かるのは観客たちではなく、クリティカル・デザイナーや美術館です。
スペキュラティブ・デザインが批判の対象とする科学技術も、『反逆の神話』では以下のように説明されています。
大人たちが科学技術や社会システムを必死に改善しようとしているのに、クリティカル・デザインがその奮闘を批判することになっていないのか。打倒資本主義を志してクリティカル・デザインを実践する前に、『反逆の神話』を読んで自らの批判精神が妥当かどうかを省みた方が良いのかもしれません。
デザイン界隈の内部抗争を超えられるか?
インダストリアル・デザインとクリティカル・デザイン。この関係性をどのように捉えればいいのでしょうか。知名度で判断するべきではないのは承知の上ですが、クリティカル・デザインはまだまだ既存のデザイン思考の牙城を崩すほどの力はないでしょう。
批判するのは簡単です。なぜなら、この世に完璧なものなどないからです。創造するのは大変です。なぜなら、この世にないものを生み出すからです。批判をすることで相手の優位に立ったつもりになることがむしろ批判されるべきことなのではないか、と個人的には思ってしまいます。
大事なのは、批判をすること自体が目的化してしまわないように気をつけなければいけないということ。ちなみに、カントの著書では『純粋理性批判』などと批判という言葉が使われていますが、これは「非難」という意味ではなく「分析して解明する」という意味で使われています。本書でも、批判することの意義についてを論じる箇所がありました。
そもそも"Critical"には「批判的な」という意味だけでなく「重要な」という意味もあります。クリティカル・デザインがインダストリアル・デザインに批判的であるだけで満足することなく、社会の厄介な問題を解決する急所を突くことが出来るようになるならば、デザインが重要なジャンルであることを世の中に知らしめる役割を果たせるようになるでしょう。
まとめ
現在主流のインダストリアル・デザインのアンチテーゼとして生まれたクリティカル・デザイン。次世代のメインストリームに躍り出るのか、それともインダストリアル・デザインの一部として飲み込まれてしまうのか。その未来はまだ誰にもわかりません。
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