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構造主義って何? #129

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以前、構造主義という大きな思考の枠組みがあるという記事を書きました。

今回は構造主義の入門書として有名な『寝ながら学べる構造主義』と『はじめての構造主義』を読んでみたので、その要約のような感想のようなことを書いてみます(特に記載がなければ、『寝ながら学べる構造主義』からの引用です)。


そもそも構造主義とは

世界の見え方は、視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と主張することは論理的には基礎づけられない。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。

これが構造主義の主張です。この主張を「当たり前じゃないか」と思うということは、それだけ構造主義が世界に広く浸透しているという証拠です。この考え方は1960年代頃から主流になってきたようで、それまでは「自分たちが正しい、自分たちが進んでいる」と考えるのが当たり前だったようです。


構造主義前夜

ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで「作り出した」意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です。
人間は生産=労働を通じて、何かを作り出します。そうして制作された物を媒介にして、いわば事後的に、人間は何ものであるかをしることになります。

生産=労働によって他者とのかかわりの中に身を投じることで自己自身を客観視できるのという考え方の起源は、ヘーゲルやマルクスにあるようです。マルクスはヘーゲル哲学を学んでいたという話はCOTEN RADIOで紹介されていました(21:15頃から)。


その後、フロイトの無意識の発見も構造主義に影響を与えます。

私たちは自分が何ものであるかを熟知しており、その上で自由に考えたり、行動したり、欲望したりしているわけではない。これが前―構造主義期において、マルクスとフロイトが告知したことです。

ちなみに、本書でニーチェからミシェル・フーコーに系譜学的思考(歴史を調べる考え方)が引き継がれた話があり、以下の文章が目に留まりました。

フーコーは、ついでにニーチェから「大衆嫌い」の傾向もちゃんと継承しました。そのおかげで、現代大衆社会では「大衆なんて大嫌いだ」と大衆たちが口を揃えて言い立てるという、「ポスト大衆社会」的な光景が展開することになりました。

この文章で思い出したのは以前読んだ「反逆の神話」でした。この本でも、マルクスやフロイトが「カウンターカルチャー」の歴史に与えた影響に触れていました。


始祖、ソシュール

そして、「構造主義の始祖」とされるソシュールが登場します。ソシュールについては、ゆる言語学ラジオでも紹介されています。


ソシュールの言語学が構造主義にもたらしたもっとも重要な知見を一つだけ挙げるなら、それは「ことばとは、『ものの名前』ではない」ということになるでしょう。
ある観念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、ある観念が私たちの思考に存在するようになるのです。

これを専門的に言うと、名称目録的言語観を否定したと表現されます。日本人は蛾と蝶を区別するけど、フランス語では「パピヨン」と一括りにする。フランス語では羊を「ムートン」と呼ぶが、英語では、「シープ」と「マトン」で食べるか食べないかで区別する。このように言語によって概念が異なるということです。

マルクスが記述したような資本主義の危機に直面していなくても、あるいはフロイトが例に挙げたような神経症を患っていなくても、ただ、ふつうに母国語を使って暮らしているだけで、私たちはすでにある価値体系の中に取り込まれているという事実をソシュールは私たちに教えてくれたのでした。


構造主義の四銃士

いよいよ「構造主義の四銃士」と呼ばれる人たちが紹介されていきますが、今回はミシェル・フーコーとレヴィ=ストロースを紹介します。

ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』、『狂気の歴史』、『知の考古学』『性の歴史』などの著作で以下のような指摘をしました。

人間社会に存在するすべての社会制度は、過去のある時点に、いくつかの歴史的ファクターの複合的な効果として「誕生」したもので、それ以前には存在しなかったのです。

「シルシルミシル」という番組で「○○のお初」というコーナーがあったと記憶しているのですが、それを社会制度に対して行ったのがミシェル・フーコーです。

また、無数の可能性の中で偶然生じているのが「いま・ここ・私」なのであるとして、「歴史の直線的推移」つまり、ヘーゲルやマルクスの唱えた進歩史観を否定したことにもなります。

世界は私たちが知っているものとは別のものになる無限の可能性に満たされているというのはSFの「多元宇宙論」の考え方ですが、いわばこれが人間中心主義的進歩史観の対極にあるものと言えます。

この人間中心主義進歩史観の否定が、後のレヴィ=ストロースの文化人類学で文化相対主義につながります。レヴィ=ストロースについてはより詳細な説明が載っている「はじめての構造主義」から引用していきます。

レヴィ=ストロースは、ソシュールの言語思想を学んだヤコブソンと議論をしていたそうです。また、モースの唱えた「贈与論」にも影響を受けたようです。こうしてソシュールから恣意性を、モースから「交換で価値が生まれる」という考え方を引き継ぎました。こうした思想の継承の結果、構造主義が結実することになります。

構造主義は、真理を"制度"だと考える。制度は、人間が勝手にこしらえたものだから、時代や文化によって別のものになるはずだ。つまり、唯一の真理、なんてどこにもない。

こうした「文化相対主義」の登場が、パーソンズ美術大学で「西洋的・白人男性中心の視点にならないように」と教わる背景にありそうです。

ちなみに、レヴィ=ストロースが、"New School for Social Research"に在籍していたことを知り、同じニュースクール傘下にあるパーソンズ美術大学に通う身としては何か縁を感じました。パーソンズ美術大学で人類学を学べば、その系譜を少しでも感じられるのではないかと期待したくなります。


まとめ

構造主義は、ヘーゲル、マルクス、フロイト、ソシュール、レヴィ=ストロースなどの名だたる偉人が積み上げた思想の歴史であること、そして、哲学、経済学、精神分析学、言語学、記号論、人類学というまさに分野横断的(Transdisciplinary)な歴史から生まれたことが分かりました。

ポスト構造主義の登場が唱えられながらも、未だ構造主義が社会の常識として通底しているという現状は続いています。未来の世界を考えるならば、構造主義を理解することは避けられない。ということで、まだまだ構造主義の勉強を続けていく必要がありそうです。

入門書を頼りに構造主義が生まれるまでの大まかな歴史が掴めたということにして、今後は偉人たちが書いた著作を読んでいきたいです。

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