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【磐梯町】磐梯町って言ったら、人!の人

新しいインタビューシリーズの始まりです!
「磐梯町の人たち」! というシリーズですマガジンはこちら!

インタビュアーは福島県は磐梯町で地域おこし協力隊をしているゆいぴさん

その土地に住む人たちのお話を記録していきながら、場所と人間の人生を重ねあわせた一つのファブリック、言葉の織物ができたらと思っています。
その織物を眺めるうち、きっとあなたは、読者であるあなたは(って書いてる私qbc自身も)、ついつい磐梯町に行ってみようかな、という気持ちになるでしょう(だんだんね、だんだんだんだん)。
その土地の人の声を聞いた上で、その土地に実際に足を踏みいれたとき、旅の体験は増幅されます。文章で読んだ記録と、目の前の風景が重なりあい、脳にズドンとひとつのきらめきがあります。感動ですね。頭の中に言葉、目の前に流れる風景。この混淆を楽しんでください。
で、ところで、松尾芭蕉も言っていました。人生は旅です。「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」です。じゃあ、その旅の目的地ってどこなのよ? 人それぞれ?
そうですね人それぞれ。では「無名人イン旅ュー」というものがあったとしたら、その旅の目的地は私は「人」だと思うんですよね。インタビューをして、人の心にふれるということがこんなにも幸福感をもたらすものであるならば、人生という旅の目的地は「人」だろうと。それは自分という「人」に出会うことであり、同時に他人という「人」に出会うことだろうと。
あなたのまだ知らない出会ったこともない他人というのは、未知の開拓地です。無限の情報です。豊かな人の心。さあ、ここからがインタビューの始まりです。
と思う2024年6月22日9時33分に書く無名人インタビュー818回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 大森 佳幸 さんです!

年齢:30代後半
性別:男
職業:磐梯町地域おこし協力隊(堆肥マン)


現在:やっぱり子供たちって、農業もそうですけど、いろんな選択肢を作ってあげたいなと思いました。

ゆいぴ:
大森さんは今、何をしている人ですか?

大森 佳幸:
磐梯町の地域おこし協力隊です。農業分野で農家さんのサポートだったりとか。あと今はもう最終年度なんで、就農に向けての準備。あと、堆肥作りですね。

ゆいぴ:
就農に向けての準備っていうのは具体的にはどんな感じのことを?

大森 佳幸:
来年の4月から地域おこし協力隊という立場がなくなって新規就農者という立場になるので、個人事業主として動くので。例えば園芸作物だったりとか、今、藍とかも栽培したり。そういったところをお金にしていくという形ですね。

ゆいぴ:
藍以外だったらどんな作物を育てようと思ってる?

大森 佳幸:
人参とか。借りられる畑の場所によってもちょっと変えないといけないのかなと思うんですけど。一応人参やら、キャベツやら、そういったところを主に、あとサツマイモか、ですね。

ゆいぴ:
藍って珍しいなって個人的に思ったんですけど、何か理由あるんですか?

大森 佳幸:
磐梯町にばんだい薬草の会というのが、自分が入る前からあって。その前は磐梯薬草栽培研究会って名前、ちょっと変わったんですけど。それがあって、その中にオタネニンジンっていう朝鮮人参、よくエナジードリンクの後ろを見ると朝鮮なんとかって書いてあるそういう人参だとか、藍。あとその他何品目かある会があって、その事務局というか行政職員の他に自分も関わってて、そん中で藍というのを知ったっていう形ですね。

ゆいぴ:
何か魅力を感じた?

大森 佳幸:
農業って言ってもただ作るだけでもお金にならないと思うし、一次産業って言ってね、人参もそうだしここだとトマトとかお米を作ってJAに売るっていうことも一つの価値だと思いますけど。その他にもやっぱりやり方っていろいろあるなというとこで藍をいろいろ調べてたら藍染めだったりとか、そういったこともできるので栽培から染物までやったら面白いなっていうことの、それがきっかけですね。

ゆいぴ:
他に就農に向けて自分で動いてることはあるんですか?

大森 佳幸:
就農に向けて動いてることは、本当にどこで農業をするか。磐梯町って言っても標高200mから、ここだと5〜600mあるわけで。その中でもやっぱ全然、下から上までも雪の多さとか、気温も全然違うし、土質も違うの。その中で場所によって全然作れるとか、作りやすい作物も変わってくるから、ある程度磐梯町から東部、標高高いところで考えてるのでその中でそういった農業、そういったところを目指して探しているところではあります。畑、あとは自分の住む家だったりとか。

ゆいぴ:
堆肥というワードもさっき出てきたんですけど、堆肥についてちょっと詳しく。

大森 佳幸:
今年で協力隊4年目、本当は3年ですけどコロナの影響があって4年目ですけど、1年目のときから磐梯町に磐梯さとやまの慧みっていうブランド事業があって、その中で堆肥を。会社さんから堆肥を買ったりしてますけど、磐梯町で堆肥作れるのかなみたいな感じのイメージだと思うんですけど、そこでその当時農林課で堆肥ちょっと作ってみようかと言って、中川牧場さんって磐梯町にあるんですけどそこと一緒に堆肥作ってみようということで。あとは酒粕だったりとかそういうのも入れながら磐梯町産の堆肥を作ろうということで取り組みが始まったと思います。そこに自分は全く興味なかったけど関わり出して、そうしたらその行政職員の方たちがどんどん異動でいなくなって、結果自分がやることになってしまって、しまってという言い方もあれだけども。

そしたらなぜかもういろいろトントン拍子で、今年三重県の橋本先生ってところで堆肥の勉強してきたらどうだ、っていうことで。年間22回の堆肥の勉強して、それをもとに自分もある程度知識を得たところで磐梯町でもさらにいい堆肥を作れるような形にしていければいいなということで。農業って堆肥って大事なので、あと循環型農業の一環としてそういう良い堆肥を使ってもらって、町内の人とか町外の人とかも含めて堆肥を使っていただければいいなっていう仕組み作りをしたいなって思っています。

ゆいぴ:
どうですか?堆肥の勉強をしてみて。

大森 佳幸:
難しいね。ただ発酵させて、はい終わりっていうわけでもなく。発酵って温度を上げること。その中でもやっぱり微生物だったりとか、ミネラルだったりとか、あと腐りにくいやつを入れたり腐りやすいものを入れたりバランスっていうのも大事だし、置いとく場所もあるし。なんか聞けば聞くほど本当に奥が深いなと思います。作れるは作るんだけどね、堆肥って。簡単に作れるは作れるけどね。いいものなのか悪いものなのか。食べ物もそうだけど、同じ食べ物でもこれまずいって思うのと、うまいっていうものあると思うんでそれと同じかな。

ゆいぴ:
協力隊として4年目ということですが、今どんな気持ちですか?

大森 佳幸:
時間がない。コロナの影響もあって、皆さんは3年だけども運よく4年やらせていただいて。あと何ヶ月だ?あと9ヶ月しかないんで。来年の4月からね、今までは1ヶ月いくらってお金もらってたのがもらえなくなるっていう、そういう不安もあるんで。そうならないためにこう、やっていかないといけないなって思いますけど。時間がないなっていうのは本当に、もうその気持ちが強すぎる。

ゆいぴ:
他に協力隊としての活動でもそうじゃなくてもいいんですけど、普段やってることとか何かありますか?

大森 佳幸:
活動というか、さっきも言ったように来年の4月からね、お金がなくなるっていうか、定期的に月いくらっていうお金がもらえなくなるので。まずは農業を4月にスタートしてもすぐその月にお金が入るかっていうと入らないんで。藍もただ葉っぱをハイってやれば染められるものじゃないので。そのために準備をしてます。1500株ぐらい藍を植えて、それを栽培してます。それを来年の4月からしっかり使うような仕組み作りを今してます。

あとは、水道検針っていうのをしてます。420〜30件、それでお金を得てます。あとは、小学校中学校のジャージと制服の販売も今してます。農業だけでは最初からご飯食っていけないって思ってるんで、それ以外にもお金を得られなきゃいけないと思ったんで。ある程度、副業じゃないんですけど個人事業主として今そういう働きもしています。

ゆいぴ:
水道検針っていうのはなんで始めたんですか?何がきっかけ?

大森 佳幸:
町の建設課からやってみないかって言われて、はーいって言っちゃいました。すごい大変なんですよ。何もあんまり考えずに入っていっちゃったし。痩せながら、運動をしながらお金もらえるっていう勝手な考え。思った以上に結構きついですけど。

ゆいぴ:
もう一つの小中学校のジャージの販売っていうのはどういうきっかけで?

大森 佳幸:
前任が、今年の3月までいたA君って子がその事業をやってまして。その子は東京に一旦戻ったんですけど、誰かやってくれないか、大森さんだったらやってくれそうかなっていうことで話いただいて。お前がそう言うんだったらやるわって言ってやってます。結構大変です。

ゆいぴ:
どのようなところが大変?

大森 佳幸:
結局洋服屋さんと一緒で、在庫を持たないといけない。人口が少ないし生徒数も少ないんだけども、だからといってね、在庫を持ちすぎても駄目だと思うし、少なすぎてもね。ないんですか?って言われて何もありません、今ちょっと発注しますっていうのもしたくないんで。うまくそのバランスっていうのは、なかなか難しいな。農業と一緒で、やっぱり個人事業主なんで今後そういう部分も含めて勉強の一環っていう勝手な気持ちもありますけど。そういうのを一つ経験しておくといいなって今では思ってますけど、結構大変ですね。

ゆいぴ:
仕事に限らず、趣味的なことでもいいんですけど例えば週に1回これやってるよとか、そういうのってありますか?

大森 佳幸:
それはもう、ばんだいびすけっつでしょ。

ゆいぴ:
ばんだいびすけっつとは?

大森 佳幸:
協力隊がほぼメインですけど、週1回スポーツやりませんかっていう。あとはあれか、最近動き出した磐梯フットボールクラブですね。町内限定ですけど子供たち、サッカーやりたい、やってる子って思った以上に多いんですよね。部活もないしサッカーやれる環境はないので、町外に出て、スポーツ少年団とかクラブチームに入っている子がほとんど。あとやりたいけど、なかなか踏み出せない子たちがいっぱいいたんですよね。そんな子供たちのためにそういう環境を作ろうかということで動き出しました。一応、私もサッカーやってましたっていう。

ゆいぴ:
主に子供を対象にしている?

大森 佳幸:
子供を対象に。例えばそれでね保護者さんとかね、子供に「お前それ取れただろ!」って文句言う大人たちも一緒にね、やらせたら面白いと思うし。今までサッカーやってきたけどちょっとね、できなくなったっていう人たちもやればいいと思うし。だけどメインはあくまでも子供たちですよ、という感じで。

ゆいぴ:
子供たちのためにって思ったのはなんでですか?

大森 佳幸:
私がやろうって言ったわけでは、あともう数人いたんですけど。やっぱり子供たちって、農業もそうですけど、いろんな選択肢を作ってあげたいなと思いました。別に本人がサッカーやるやらない別として、一つの選択肢としてサッカーがあればいいと思うし、バスケットもあればいいと思うし、バレーもあればいいと思う。一つの選択肢をなくしたくなかったなっていう。自分の勝手な気持ちね。サッカーってテレビで見たことあるけど、やる環境ないわって思わせたくないっていう。

ゆいぴ:
それはいつ頃始めたんですか?

大森 佳幸:
ちょうど先週1回目でしたね、6月15日が1回目。小学校中学校にサッカーゴールってあるイメージじゃないですか、磐梯町にはないんですよ。それがびっくりして。だからゴールがないところでサッカーをしてますけど、カラーコーンとかを置いてね。それでもサッカーできるんだよって。ゆくゆくはね、ゴールとか用意できればいいなと思いますけど。まずはスモールスタートじゃないけど、集まってみんなでボールを蹴れるだけでも全然違うなって。

ゆいぴ:
初回どうでした?やってみて。

大森 佳幸:
すいません、俺出張でいなくて。ただインスタを見る限りでは10何人集まって。初心者の子も経験者の子も。初心者は経験者と一緒にやってもボール取れないとかボール触れないっていうので、ちょっと分けてやるようには話をしたのでそうやってもらって、みんな楽しくできたとは聞きました。

ゆいぴ:
パーソナルな部分も聞きたいんですけど、自分自身はどういう性格だと思いますか?

大森 佳幸:
どういう性格?甘えん坊かもしれませんね。三男、末っ子なんで。最近ふと言われた、末っ子らしいって言われました。

ゆいぴ:
末っ子エピソードとかあります?

大森 佳幸:
末っ子エピソード!?何でもやっぱり自分のものにしちゃうっていうか。あとは大森家っていうのもあるかもしれないけど、歳も5歳上と4歳か、離れてるし。たぶん親も本当は女の子欲しかったけど、ああなんだい男かい、みたいな感じだと思ったし。もうとりあえずね、明るく元気よくなんか適当に育てばいいなぐらいの気持ちだったと思う、勝手な想像だけど。自由にやらせていただいたなと思いますね。本当、末っ子らしい生き方をしてるなって。

ゆいぴ:
周りの方からはなんて言われます?

大森 佳幸:
明るいって言われます。大森=笑顔っていうのを言われるんですけど。逆に俺が真面目な顔してると機嫌悪いの?って言われるときもありますし。あと今までの経験上いろいろね、部活もいろんなことしてたら何かまとめるタイプみたいで。よくまとめがちかな。みんなで寄ってきてくれるんで、それがすごく嬉しいなと思います。

ゆいぴ:
最近ハマってることとかあります?

大森 佳幸:
仕事も全く関係なく?ハマってることか。空き家を見ること。磐梯町って空き家あんまりないし、他にこんな家あったらいいなとか、まあ家探してるんでこういう家にしたらいいなとか、こんな部屋あったらいいなとか。時間があれば携帯いじってみてますね。

ゆいぴ:
それは自分の家を探している?

大森 佳幸:
今、一軒家に一応住みたいなと思って空き家探してるんですけど。内装とかもこんな部屋あったらいいなとか、こんな壁だったらいいなとか、それを見て妄想して、いいなーって。

ゆいぴ:
元々そういう建築物に興味があったわけではなく?

大森 佳幸:
ではない。やっぱりそういう家にそろそろ住むんだって思うと、やっぱりなんか、うん。昔から間取り見るの面白いなって思っていました、詳しくはないけど。

ゆいぴ:
間取り見ることの何が面白いんですか?

大森 佳幸:
なんだろう。そう言われるとね、なんだろうね。なんでここが何畳でとか家の作りっていうか、中の作りを見ちゃうのかな。なんか俺だったらこうしてるわ、みたいな。いろんなね、基礎とかなんかあると思うけどそれは置いといて、勝手に妄想するの好きだから妄想しちゃうよね。

過去:専門学校でこういうことを学んだらこういう仕事に就くんだなって思ったときに、何してんだろうと思ったんだよね。やっぱりサッカーしたいんだって、ふと思ったんだろうね。

ゆいぴ:
子供の頃、どんな子供だったのか聞いてもいいですか?

大森 佳幸:
運動しかしなかったっすね、何かあれば動いてた。勉強はせず動いてた。運動すればいいんだって思ってましたね。

ゆいぴ:
運動っていうのは?

大森 佳幸:
小学校のときはサッカーから陸上から水泳からいろいろやりましたね。基本的にはサッカーメインの動きでしたけど。なんか先生も結構スポーツが好きな先生で。今考えるとおかしい、もうやべえだろうなっていうことをやってましたね、昔はね。

ゆいぴ:
例えば?

大森 佳幸:
ひたすら泳がされたりとか。いろいろなんか、ちょっと昭和っぽい、あんときは平成でしたけど。今思えばね、なかなかグレーなことやってたなと。それが一つの経験にもなったかなと思いましたし、スポーツに生きて生かされたって感じですね。

ゆいぴ:
そういうやばいことに対して当時どう思ってたかって覚えてます?

大森 佳幸:
いや、それは当たり前なんだろうなって思ってたかもしれないっすよね。やめたい、大変だ、疲れたって思いましたけど。結果それが活きたのかなっては思います、今はそう思いますね。

ゆいぴ:
中学高校はどうですか?

大森 佳幸:
基本的に中学校も高校もずっとサッカーでしたね。サッカーやってればいいと思ってたんで、中学校のときも。それで高校を選んで高校に行ったら、壁にぶち当たったっていうぐらいっすね。

ゆいぴ:
その壁について聞いてもいいですか?

大森 佳幸:
一応こう見えて高校から来てくださいって言われて、行ったんですけど。いろんなとこから選手が集まってくる、県外からも来るような高校でサッカーをやってて。中学校まではやっぱね、狭い世界しか見てなかったんで。頑張ればプロになれんだ、ぐらいの気持ちだったけどやっぱりね、もっと広い世界を見たらもっとすごい人がいっぱいいて。あとはサッカーだけじゃなくて寮生活もしてたし。団体行動をしてたつもりだったけど、理不尽なこともどんどん出てきたし。監督も何これ言ってんだ、って理不尽なことすごいあって。そういうのにぶち当たったかなって。俺何やってんだろう、って。これ許されるんだ、けど自分が同じことやったら許されなかったりとか。サッカーだけじゃなくてそういうのを含めてぶち当たって、サッカー嫌いになっちゃって。

高校2年のいつ頃かな、やめようと思って親にやめたいんだけどってメールを送ったら、もうちょっと頑張ってみない?みたいなニュアンスのメールが返ってきて。何とか3年間やったんですけど、本当に最後の1年半ぐらいはもう嫌いなままでサッカーしてたな。練習前に吐きたくなってトイレで吐いて練習をする。その繰り返しをやってました1年半。たぶん精神的にもやられてたんだろうなって今は思うよね。そんな生活してましたね。

ゆいぴ:
高校生のときにサッカーが嫌いという意識を持ったけど、今はサッカー関係の活動をしているじゃないですか。それはどういう流れで?

大森 佳幸:
高校3年間が終わって、もう燃え尽き症候群的な形になって。働きたくもない、けどサッカーでまた大学に行きたくもない。もうサッカーしたくないから。仕事もしたくない。地元に専門学校があって、何も関係ない専門学校なの、サッカーやスポーツと全く関係ない。とりあえずそこでいいやって。県立だし実家から通えるし、みたいな。

で、いつ頃かな、半年とか、何かふと思っちゃって。何してんだろう俺って思っちゃったの。そこも1年で辞めちゃって、サッカーの指導者になり始めた。やっぱサッカーしたいなと思ってサッカーの指導者を始めて。そのときまだ20歳だったから、まだ俺もっとやれるんじゃんと思って。指導者をやめて今度フットサルやり始めた、県リーグっていう。福島県のリーグ戦。そういうのをやりだして、なんかやっぱサッカーは好きなんだなって。離れるとそう思いましたね。けど、やっぱり体はっていうか心っていうか頭は覚えてて、あの症状が出てた。ウッていう症状が出てた。数年経ってもそれは残ったまま。

ゆいぴ:
それはどう乗り越えた?今もある?

大森 佳幸:
今は本気の試合っていうのをしてないから。みんなでやるって考えたらなんなくなった。これがちょっと試合出てみようか、とかなったときにどうなるかわかんないけど改善はされたかなって。好きなことは変わりない、サッカーとかね。

ゆいぴ:
やっぱりサッカー好きなんだなって思ったきっかけとか出来事ってあったんですか?

大森 佳幸:
全然サッカーと真逆だしスポーツとは真逆だし、こういうことで仕事をしていくんだなっていう。その専門学校でこういうことを学んだらこういう仕事に就くんだなって思ったときに、何してんだろうと思ったんだよね。やっぱりサッカーしたいんだって、ふと思ったんだろうね。こういう資格を取ったらこういう職場に行くんだとか、そう思ったら何してんだろうと思ったんだろうね。

ゆいぴ:
ちなみに何の専門か聞いてもいいですか?

大森 佳幸:
俺が入ったのは、当時は環境システム科って言って、配管だったりとか電気だったりとか、そういうのを含めた科だった。人生で初めてめちゃめちゃ勉強して国家資格を取った。こんな勉強したことないって、運転免許以外にはそれがもう人生で初めてめっちゃ勉強したっていうぐらい勉強して取ったんだけども、今ではもう使わないなって思いますね。持ってはいるけど使えない。

ゆいぴ:
なんていう資格ですか?

大森 佳幸:
第二種電気工事士。家の中の配線とか、そういうのを組んだりとかできる資格。

ゆいぴ:
資格取った後、そういう仕事に進もうっていうのは?

大森 佳幸:
思わなかったの。だから何してんだろうと思って、サッカーの指導者になったのかな。サッカーの指導者って当時ね、簡単にお金もらえる環境でもなかったからね、給料も少なかったし。そん中でもね、自分でもやりたいなって思ったのかな。

ゆいぴ:
サッカーの魅力を語ってもらってもいいですか?

大森 佳幸:
サッカーの魅力?なんだろう。シンプルで、あの2つのゴールに入れるっていうのはやっぱ。スピード感もあるしなって思いましたね。シンプルにそれなのかな。あと高校とかプロのサッカーとか、見に行ったことある?

ゆいぴ:
うんうん。

大森 佳幸:
すごくない?あの声っていうかさ、会場のあの感じ。あれすごい良いなと思いますね。自分に応援はしてないけど、なんか応援されてる気持ちになって、また頑張ろうっていう勝手な気持ちになるっていうか。

ゆいぴ:
ちょっと時系列戻って、専門を辞めた後っていうのはどういう生活をされてたんですか?

大森 佳幸:
そのときからサッカーの指導者になって、2年半ぐらいやったのかな。スクール、幼稚園生から小学校、そのときは中学生も、そういう中のスクールを担当してました。

ゆいぴ:
それが生活のメイン?

大森 佳幸:
メイン。

ゆいぴ:
そこから今の地域おこし協力隊で磐梯町に移住するっていうところまでの間っていうのはどういう?

大森 佳幸:
サッカーを教えながら自分の選手活動ってなかなか、サッカースクールの仕事はやっぱ土日も試合とかあるから。自分のフットサルとかやると土日試合だからできないなと思ってやめて、土日休みの工場で働き始めて。それも2年半くらいいて。友達に、東京に会いに行ったんだよね。そんときにすげえなって、こっちの世界と思って。都会、東京とか。旅行とかは行くかもしれないけど、ちゃんと数日使って1人で行って。なんか、行ってみたいなと思っちゃったの。何も仕事とか決めずに、親には相談して俺行きたいんだって言って。

いろんなこういうスポーツで働こうとか、地元に何かしたいなってずっと思ってたの、何かわかんないけどしたいっていう。もう会社で働けないって思ってたから、スポーツで働くのかなとか。とりあえず何も決めないで行って。で、物流会社で働いた。派遣ってあるじゃん、1日だけの仕事とか。それでちょっと運よくその物流会社で働き始めて、それでバイトになるかって言われてバイトになって、社員になるかって言われて社員になって。ほとんどその物流会社にお世話なって。8年ぐらいその物流会社にお世話になったね。アパレルの商品を扱っている。とてもブラックな。

ゆいぴ:
どんなところがブラックでした?

大森 佳幸:
残業時間だけで、本当に忙しい月だと月200時間ぐらいあった。繁忙期、10月後半ぐらいから11月12月、成人式までか、そこら辺はもう繁忙期で。もう会社に寝袋持ってって寝て、朝3時過ぎからまた見て、みたいな。1回家帰ってお風呂入ってまた来るとか、そんな生活をやってました。暇なときは暇、本当にアパレルってすごくびっくりして、暇なときめっちゃ暇なの。忙しいときはめっちゃ忙しいの。感謝祭とかあるじゃん、感謝祭わかる?やっぱりそういうときは忙しいんだよね。みんなは「やったー安いー買おうー」って、でもその裏側ではすごい頑張ってる人たちがいるなと思いながら商品買ってます。

ゆいぴ:
そういう生活についてどう思ってたんですか?当時。

大森 佳幸:
俺はずっとここにはいないって思ってたんで。とりあえず、もう勉強だな、頑張ろうって思って。それもなぜそれができたかっていうと、やっぱ高校のときのが強くて、高校の部活とかあの3年間あったら、こっち軽いなって思っちゃった。相当高校のがきつすぎて、これができんだったらもう何でもできるわと思う。だからそれもできたかな。本当に眠かったしやばかったけど耐えれたね。ただ自分はここではずっと働かないって決めてたから、何やるか決まってなかったけどできた。

最後の方でふと、実家の方からは何も言ってこなかったけど、ちょっとなんか農業したくなったんだよね。農業したいなと思った。まず農業したいと言っても何の知識も何もないから、関東で農業しようと思って、埼玉県の入間市っていうところの農業法人さんに働かせていただいて、2年無いぐらいか。本当に俺は農業をやりたいのかっていうのを確かめるために、仕事ですけどいいですかっつって働かせてもらって。やっぱやりたいんだなと思って。

地域おこし協力隊っていう制度は全く分からなくて、ただ農業できるよっていう、磐梯町で募集あるよみたいなの聞いて募集したっていう。その前に実家に話をしたの、俺農業したいんだって。喜多方で最初農業しようと思ったんだけど、市役所行っても微妙な対応で。実家は米しかやってないんだけど長男が一応、今は専業農家ではないけども、ゆくゆくは長男がやるからお前は別にいいわって言われて、自由にやれって。けど農業やるにはやっぱ埼玉県と福島県の会津の農業の仕方とかサイクルが全然違うから、まず農業学びなさいっていうことで。ちょうどよく磐梯町の募集があったから、磐梯町に来たっていう感じ。

ゆいぴ:
となると、地元はどちら?

大森 佳幸:
喜多方。

ゆいぴ:
喜多方には何歳までいたんですか?

大森 佳幸:
23歳ぐらいまでいた。高校3年間は郡山で寮生活してたけども、それ以外は喜多方だね。

ゆいぴ:
喜多方ってどんな街ですか?

大森 佳幸:
ラーメン。

ゆいぴ:
ラーメンの街?

大森 佳幸:
高校入るまで喜多方ラーメンしかほぼ食ったことなくて、とんこつラーメンとか細い麺にびっくりしたっていう記憶があります。あと馬がいたとか。馬車が、今はないけど馬車が観光客を運んだりとか。本当に、うん、いいところではあるかな。

ゆいぴ:
その喜多方で、家族からはどんなふうに育てられたと思ってますか?

大森 佳幸:
自由。さっきも言ったけど三男の末っ子で、好きにやりなさいっていうふうに育ったのかなって今でも思うから。高校とかも、私立だからやっぱお金もかかるし。いろいろあったけど、あんたが行きたいんだったら行きなさいっていうふうに言われたし、特に反対されるってことは今までなかったかな。あなたがそう思うんだったらそこ行きなさいみたいな。本当にいいの?って言われたことは何回かありましたけど。関東に行くにしてもね、結局やっぱり助けてくれたっていうか、なんでもかんでもやっぱフォローはしてくれたかな。

今でも取ってあるけど、関東に行って最初の数年間ずっと荷物、お菓子だとかなんかいろいろ、手紙も入ってて、お金も入ってんだよ。これで何か食べなさいとか、そういうお金を取ってあるの。今でも、手紙とか。母親も含めて、父親もそうだけど本当感謝は今でもしてるかな。たぶん三兄弟の中でも一番だらしなかったし何もしてこなかったし、どうしようもない。たぶん3人の中ではどうしようもなかったけど、今はそうやって田植え手伝いに行ったりとか。逆に今は一番手伝ってるんじゃねえかって思うぐらい、それも過去があったからやっぱ今があるのかなって思いますね。

ゆいぴ:
仕送りを取っておいてるのはなんでですか?

大森 佳幸:
なんか使えなかった。別にそれを何に使うかもわかんないし、今後何に使うかもわかんないけど、とりあえず取っとこうと思って取っておいた。そんな毎月何万とかじゃないよ。本当にたまに送られてきたときに1万でこれでご飯食べなさいとか、いいもん食べなさいとかそんなぐらい。何十万とかの世界じゃない。全部数えても数万ぐらいだったけど、誕生日のときとかに1万入れる、何かあったときに1万入れてくれるみたいな。仕送りっていう仕送りではない。

ゆいぴ:
なんで使えなかったんですか?

大森 佳幸:
わかんない。それ今でもわかんない、なんで使えなかったんですかね。なんでだと思う?

ゆいぴ:
なんでです?

大森 佳幸:
なんか重いのかな、それともそれで何かしようと思ってんのかな?まだ思ってないけど。何かあったときに使おうと思ってたのは確か。本当にやばいときは使おうと思ってた。けど、使わなかった。

未来:一番成功したいなと思う。誰よりも成功したい。大森うまいことやってるなとか、なんか良い農業してるなって思われたい。

ゆいぴ:
未来についても聞きたいんですが。この先5年10年とか、さらにもう20年30年と最後に自分が死ぬっていうところまで考えてみて、未来に対してどういうイメージを持ってますか?

大森 佳幸:
まず近い未来、来年から農業していくんだけど。ちょっと過去に戻って小さいとき、小学校のときは農業好きだったけど、中学高校のときって実家農家だよな、とかっていうのが嫌いだったの。冬とか軽トラックでさ、送り迎え恥ずかしいと思ってた。農業って恥ずかしい仕事だと思ってたんだけど。やっぱ農業っていいなって仕事にしたいなって思う。

あと、藍染めをしようとしてんだけど。今着てる服もそうだけどさ、化学的に染められてる服じゃん。けど藍染めとかそういうのってさ、天然由来ので染めてさ、これだと1着2〜3000円じゃん。けど同じ色でもさ、1万とかしちゃうんだよ。それでも買いますか?っていう世界に今行こうとしてるの。それが10年後50年後100年後って続けられるのかなっていう。今そういうのに進化してるのにも関わらず、真逆行こうとしてる。それをどうやってよく伝えていけるかなっていうのが何か楽しみだなと。10年後とか50年後も、その死ぬまでも、例えば俺の子供ができて子供がそういう同じ仕事をしていってもらえたら嬉しいなと思うし、もっと広まってたら嬉しいなと思うし。そうなればいいなと思ってる。

だって農業って言っても今ね、土で育てるんじゃなくて工場とかで育てるのもあるじゃん。レタスとかさ、なんか変なライト当てられてさ。そういう世界にもなってるわけじゃん。農業ってちょっと変わっていく中で、反対なやり方をやろうとしてるのもあるから、どうやって魅力を伝えられるかなっていう活動は大事だなと。そういうのをしていきたいなと思って。

ゆいぴ:
なんでその逆を行こうとしたんですか?化学との逆を。

大森 佳幸:
いや、それもいこうと思ったわけじゃなくてさ、いって大丈夫かなっていう感じなんだよね。いったらどうなのかなっていう。今でもわからない。ただそれをいいなーって、あっち3000円でこっち1万だけど、こっちを手に取ってもらうような活動をしていきたいなって思うし、そういう人が増えればいいなと思う。それをもうちょっと安くできれば一番だけども。先週まで1週間徳島に行ったけど、こういう過程なんだって思うとさ、簡単には売れないなって思うしさ。これをもっと広めるためにどうしたらいいのかなと思ったし、正直どうなるのかわかんないけどせっかくだからやっぱね、広めていきたいなと思って。

ゆいぴ:
気持ち的な面ではどうですか?

大森 佳幸:
とりあえずなんか、やるからには成功したいなと思うし。本当にあの、生きていけるだけのお金があればいいなっていう人間じゃないの。やるからにはお金欲しいし、みんなより良い暮らししたいなと思う人間なの。そういうね、なったらいいなっていうためにも、しっかりやることをやっていかなきゃいけないから。気持ちって言っても楽しくやっていきたいなと。楽しい=楽、じゃなくて、楽しい=つらいことも含めて楽しく、それで結果がついてくればいいなっていう。俺1人でやるつもりもないし。例えばうちの嫁もそうだし、さっきA君っていう名前も出てきたけど、A君ともいろいろできたらいいなと思うし。いろんな仲間を作って大きくしていきたいなと思うから。本当にみんなと一緒にやっていきたいなと。どうしても楽しく、楽しく元気よく、だよね。

ゆいぴ:
みんなと一緒にっていうのは?1人でやるっていう選択肢はない?

大森 佳幸:
1人じゃ無理だなと思った。限界があるな。農業もそうだし会社もそうだけど、1人でやってるのってなかなか限界あるじゃん。農業も1人だとこの面積しかできないけどさ、2人なら倍できると思うし3人いればもっとできるし、俺は大きくしていきたいなと思う。

ゆいぴ:
今まで話を聞いてきて、サッカーだったり高校時代の記憶に基づいていろいろ活動をしてきたのかなって思って。そういうのがなかったら、サッカーという存在が大森さんの人生になかったら、今までどういう人生を歩んできたと思います?

大森 佳幸:
またそれはそれで楽しかったかもしれないよね。例えばそれが野球なのか、スポーツじゃないとしても、変わらないのかなと思う。ただそれがサッカーだったっていうだけで。例えばこれが個人スポーツと団体スポーツだとまた変わってくると思うけど、運よく団体スポーツに関われて、いろんな人と関われたっていうのはすごく大きかったのかなと思うから。個人スポーツだったりとか、何かまた1人の世界っていうとまたちょっと違う、今同じって言ったけど、ちょっとまた違うかなと思う。団体スポーツだったら変わらないのかなって思うし。

どうだろう、サッカーがなかったらって言われてもな。けどメインは変わらないな、大森というね。変わらないから、そこまでブレはしないのかなって思う。けど本当に環境が大きすぎて、どうだったんだろうって言われたらどうだったんだろうね。導かれて導かれたものなのか。なんか答えにならないね、難しいね。すごい質問してきたね。サッカーなかったら何してたかな?あんま考えたことないよね、なかなか答えられないね。

ゆいぴ:
運動をしない人生だったとしたら?

大森 佳幸:
どうなってたかって?もっと頭良かったのかな、俺。勉強もそうだけどさ、好きだったらできんじゃん。何でも好きだったら入れるじゃん、覚えるじゃん。何か好きなことを見つけることができたらそれやれるのかなと思うし、どうなのかな?何かを作るのが好きだったから、作る世界に行ってたかもしれないね。

ゆいぴ:
物づくり?

大森 佳幸:
物づくりって言っても何だろうな、別にガンダムとか作ってなかったしな。絵描くことも好きじゃなかったしな。勉強も好きじゃなかったしな。ちょっと考えてみなかったね。面白いね。

ゆいぴ:
なかなか思いつかない?

大森 佳幸:
思いつかないね、何してんだろうね。いろんな記憶を辿ってるけどさ、やっぱ動くことしか考えてなかったからさ、それをやってないと思うと何してたのかなって思うね。そうなると家族すら変わってくるのかなと思っちゃう。上の2人の影響があってサッカーも始めたから。それがいないっていうふうに考えちゃうかもしんないなって。ひとりっ子だったらまた変わってくるかも。もしかしたらサッカーじゃない道、スポーツじゃない道があったかもしれないけど。上の2人がサッカーやりだしたっていうのもあってサッカーやりだしたっていうのが、スポーツをやりだしたっていうのがあるから。もう逆に家族層すら変わってくるのかなって今思っちゃった。

ゆいぴ:
なるほど。

大森 佳幸:
親も変わってくるのかな?親は関係ないか。けどなんで長男にサッカーやらせてたのかな?っていうふうになってくるよね。そういうの聞いたことなかったね。ちょっと聞いてみるわ。そういうとこから変わらないとたぶん俺は変わらないと思う。

ゆいぴ:
大森さんにとって磐梯町がどんな存在なのか、磐梯町に対しての思いとか。今後の野望があれば教えてください。

大森 佳幸:
正直農業をするにあたって磐梯町ってなると、なかなか難しいのかなって思いました。磐梯町は噴火によって石が多いとか。めっちゃ石多いの、思ってる以上に多いの。雪降るし。お米とか農業やる人にとってはすごい、盆地に比べたら結構大変な地域だと思うけど、水が良かったりだとか。あとは一番、人がすごい良いなって思ったんで。魅力的な、本当に人だね。人がすごく良い。人口が少なければ少ないほどっていうのもあるし。若い農家さんもいっぱいいるし、人にすごい救われたなと思うんで。もう人だね、磐梯町って言ったら、人!で、質問なんだっけ?

ゆいぴ:
今後の野望があれば(笑)

大森 佳幸:
農業=成功しないみたいなのがやっぱ多い。今、新規就農者で磐梯町ってたぶん10人ぐらいいると思うんだけど、そん中で成功してる人は何人ですかっていうときに、本当1人2人とか。成功って何だろうって言ったらやっぱ一番は稼ぐ、生活できるかとかさ、人が満足すれば成功だとは思うけど。はたからデータとして成功っていうと、なかなか1人2人とか少ないのかなって思うから。一番成功したいなと思う。誰よりも成功したい。大森うまいことやってるなとか、なんか良い農業してるなって思われたい。

それもこの4年間があったから、今の人生この選択肢があったから、やっぱこの4年間ってすごい大事だったなと思う。1年目とはまるっきり変わったからね。だから野望は、磐梯町で一番稼げる農家になりたいな。農業にとらわれず、商業というか売る方、今ジャージだったりもやってるし、藍染めも販売してるし。全体的に大きな会社にしていければいいなと思います。なんかワンピースみたいだなって、ワンピースわかる?

ゆいぴ:
漫画の?

大森 佳幸:
漫画の。仲間を集めて、みたいな。そんな感じだなと思う。1人じゃできないから。みどりっていうのを埼玉県からマッチングアプリで連れてきたりとか、A君みたいなのを連れてきたりとか。そういうやっぱ仲間を集めて、大きくしていきたいなと思います。大きく、磐梯町で一番に、なりたい。

ゆいぴ:
最後に言い残したいことっていうのを聞いていて、遺言みたいになってもいいし、読者へのメッセージでもいいし、インタビューの感想でも何でもいいんですけど、何かあればお願いします。

大森 佳幸:
自分のことを曲げないことが一番かな。曲げることも大事だけれども、一つぶれないものを持った方がいいなっていうところで。何か一つ負けないものを持ちたいなと、持った方がいいですよっていうのと。あとは今いろいろ質問されて、ふともう1回人生とかいろいろ思い出させてもらってすごい良かったかなっていうのは。すごく逆に嬉しかったっていうか、もう1回考えさせられた。感謝してます。

遺言っていう遺言はないけど、本当にまずぶれないこと。ある程度の部分があってやっていけるように、しっかりやっていきたい。もう何言ってるかわかんないけど。感謝してます、ゆいちゃんにも。本当なんかいろいろね、スポーツなかったら人生どうなんですかって言われて何も答えられなかったし。もう1回いろいろ原点も含めて考えさせられて、また一つやる気が上がったかなって。遺言っていうのはないけど、とりあえずもう楽しく、やっていきたいな。それが遺言ですかね。楽しく元気よく。楽しいが一番、それだけですよ。何でも楽しくやらないと面白くないからね。楽しくやろう、ということだけ。それしかない。言い残すことはない。以上です。

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

あとがき

熱く打ち込んできたものって、愛情を注いできたものって、ふとした瞬間に牙を剥いてくるときありますよね。ずっと人生の軸だったくせに急に先尖らせてぶっ刺してきたな~みたいな。恋人に浮気された時と同じですよ、知らんけど。でもそういうのもいずれ生き様の土台になりますよね。過去あっての今だから。その上に立ってこそ現在の「自分」が在るんだって誇れる。そんでまたそれを愛することもできる。
何でも楽しく面白くやりたいですよね、私も心からそう思います。何事も楽しめる人は、何事も踏み台にできる人だと思います。良い意味でね。誰よりも上に、誰よりも高く、誰よりも輝いて、生きていける人なんじゃないかな。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ(磐梯町で地域おこし協力隊)】

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