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【小説】真神奇譚 第八話

 二人は無言のまま長い時間見つめあっていた。
 眩次が何か取り繕うと口を開いた時、門爺が驚きともつかぬ声を上げた。
 「おお、なんと言うことじゃ。生きている内に会えるとは思わなんだ。そなたオオカミではないか。間違いない本物のオオカミじゃ。しかもまだ若い」
 唖然とするお雪と眩次を尻目に小四郎は落ち着き払って答えた。
 「いかにも私はニホンオオカミ。名は剣の小四郎と申す。はるばる四国は阿波の山から仲間を探しに来ました。ご老体も一目で見分けるとはただの飼い犬ではありませんな。もしやオオカミの血を引いているのでは」
 「さすがじゃな。わしの父親はオオカミじゃった。母親はこの里の近くに住んでいた飼い犬で父親は獲物を追って山から下りてきた時に母親と知り合ったそうだ。しかし父親はわしが生まれていくらも経たぬうちに姿を消した。」
 「なるほど、道理でオオカミの匂いがするはずだ」
 「小四朗さんが遠路訪ねてきたからにはわしも名乗らねばなるまいて」門爺の表情が引き締まったように見えた。
 「わしは龍勢の五郎蔵と申す」
 「龍勢の五郎蔵だって、随分と貫録のある名前だね門爺とは大違いだよ」  
 お雪は呆れたような表情で五郎蔵の名を口の中で繰り返し言ってみた。
 「この名は父親からもらったオオカミの名じゃ。もう何十年も口に出したことも無かった。小四郎さんが来なければ忘れてしまうところであったわ。この歳になって五郎蔵の名を口にしようとはな、わしにもまだツキが残っておったかの」
 それまで黙って聞いていた眩次が口を開いた。
 「五郎蔵さんあんたのことは良く分かったけど、肝心なことを教えてくださいよ。オオカミのお仲間はこの辺りにはいるんですかい」
 「この界隈にオオカミなぞ居るはずはなかろう。わしももう何十年も会ってはおらん。少し前まではわしのような父親がオオカミで母親が犬の者もおったが、今生き残っておるのはわしだけになってしもうた」五郎蔵はさびしげなため息交じりの口調で言った。
 「それはそうと小四郎さんはもう語らずの滝には行かれたかな」
 「いや、まだこちらに来て二三日しか経っておらんし何より物見遊山の旅ではない。その語らずの滝に何かあるのですか」小四郎は不思議そうな顔で聞いた。
 「いやなに大した意味は無い。それよりもうそろそろ夜明けじゃ。家の人間も起き出す時分じゃて今日のところは帰りなされ。人間に見つかると厄介じゃ」五郎蔵はあわてたようにそう言うとそそくさと小屋の中に戻ってしまった。
 「旦那、五郎蔵さんの言うことももっともだ、そろそろ退散しやしょう。また来れば良いですから」
 「うむ、仕方ないがそうするとしよう。人に飼われてきた犬の言うことなどこれ以上聞く価値があるとは思えんが、最後に言った滝の事は妙に気にかかるな」
 社に戻る道すがら眩次も気になったのかお雪の方を振り返って聞いた。
 「姉さん五郎蔵さんの言ってた語らずの滝て言うのはどこにあるんで。でも語らずの滝とは何となく意味ありげな名前でやすね」
 「語らずの滝は、ほら、この前行った人間がオオカミの写真を撮ったところのすぐ近くだよ。あの滝に行った者はあそこで見たことや起きたことは一切喋ってはならないと言われているのさ」
 「喋るとどうなるんでやす」眩次は興味津々な顔でお雪に聞いた。
 「何でも喋った者は行方知れずになっちまうらしいよ」お雪はぶるっと身震いをした。
 小四郎は不機嫌そうに足を速めた。
 「もしかして旦那、紀州の事を思い出したんですかい」眩次が小四郎の顔色をうかがいながらひとり言のようにつぶやいた。小四郎は聞こえないのか聞こえぬふりをしているのか眩次のつぶやきには答えず歩を速めた。
 「紀州で何かあったのかい」
 「はあ、いや何も無かったからと言った方が良いかもしれやせん」


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