「田舎と町をつなぐ架け橋に」―お互いが助け合い豊かに暮らせるまちづくりを―有志団体BURUPON代表 辻竜也



『田舎と町、そして若者をつなぐ有志プロジェクト』BURUPON代表辻竜也

現在愛知県で、田舎と町、そして若者をつなぐ有志プロジェクトを立ち上げたBURUPON代表の辻さん。

ものづくり一筋で歩んできた辻さんが、田舎で新たなチャレンジをスタートさせるまでの物語をうかがいました。

https://instagram.com/burupon2021?igshid=YmMyMTA2M2Y=



田舎から町へ。15歳で飛び込んだモノづくりの道

福岡県の田舎町、三人兄弟の末っ子として生まれた辻さん。
周りは山と川、海に囲まれた自然豊かな土地で過ごしていたそうです。

「中学卒業後の進路について考えたとき、『このまま田舎にいていいのかな。』という漠然とした不安を抱えていました。自分には兄と姉がいたのですが、二人の姿を見つつ、自分も田舎で大人になっていくのかなぁ……と。」

思春期で、親元から離れたい気持ちもあった事から、愛知の職業訓練学校(企業内訓練校)に行くことを決意。

「子どもだったので後先考えずに飛び込んでみた、という感じです(笑)高校の資格もとれる。外に出られる。不安もあったけど、正直何も考えずに単身で愛知に移り住むことにしました。」

愛知に来てからは、寮生活と学校生活、そして社会人としても扱われる環境に必死だったと話します。

「その時の私はまだ15歳で、年齢的には子ども。でも、そこでの扱いは社会人でした。そこでの新しい環境で揉まれていましたね。自分的にはまだまだ学生の気持ちなんだけど、周りから大人の扱いを受け始めて戸惑いました。
認められたい気持ちはあったけど、チャンスをつかんで可能性を広げたい気持ちで必死だったんですよね。
家出る時は、周りや家族にも反対されていたので…。そのチャンスをつかみに行くために、がむしゃらにやっていたと思います。」


ものづくり五輪で味わった挫折

自分の人生で『チャレンジ』を常に大事にしているという辻さん。
自分の世界から一歩踏み出していく事で、経験や気づきを得られる実感を得ているそうです。

「チャレンジするって、最初は大変だけど、私はその飛び出しの積み重ねからきっかけを得ていると感じています。
“15歳で田舎から出る”という飛び出しチャレンジをした後、企業内訓練の中では「モノづくりのオリンピック」と呼ばれる、技能五輪にチャレンジしました。県大会、全国大会、世界へ……とモノづくりで挑戦してみたい。どうしてもチャレンジしてみたい!という気持ちがありました。」

参加していた競技の中で辻さんは全国大会優勝の有力候補だったとの事。

「毎日必死にモノづくりに向き合いました。自分が納得いくまでとことん突き詰めて。優勝するだろうとタカをくくっていましたね。でも、何故か当日思ったようにいかず……。優勝を逃して、挫折を味わいました。」

しかし、当時を振り返った辻さんは

“負けてよかった”

と、その挫折経験を今では前向きに捉えることができているようです

「正直悔しい気持ちはありました。同じ会社で、優勝した先輩をたくさん見てきましたから。でも一方で、優勝すると会社生活のレールが決まってしまうのも見てきた。負けた私は、そのルートから外れることになって、自分は何したいかを考え始めたんです。そういった意味だと『負けてよかった』と今では感じています。自分の人生を考える良いきっかけになりましたね。」


震災と人生、自分について向き合い始めた瞬間

企業内訓練校を無事修了し、そのままその会社に就職した辻さん。

社会人になってからの葛藤が彼を取り巻いていたと話します。

「ものづくりの五輪に向き合っていた学生時代、僕はいわゆるアスリートでした。
どう極めていけば、いいものができるのか、極限をきわめていました。その気持ちのまま就職することになるのですが…。じゃあいざ、職場に配属され本当の会社のコミュニティにようやく入るようになって、理不尽な事、納得いかない事も初めて味わいました。」

自分が今まで熱を込めてやってきた事と実際の現場とのギャップや、いわゆるサラリーマンの常識にモヤモヤを抱えながら生活していた。と話します。

「私はこれまで、どちらかというと体育会系をひたすらやってきた人間でした。我慢することで道がひらけることもある。ちょっとその思考に偏っていたところもあったと思います。だからこそ、その会社の雰囲気に違和感を感じていながらも、我慢して得られるものを目指して、ただひたすら、がむしゃらにがんばっていたんですよね。心の中ではちょっと違うよな、という葛藤を抱えながら20代前半を過ごしてきた感覚があります。」

「一般的には、高校や大学を卒業するタイミングで仕事について考える人が多いと思うのですが、僕は何も考えなくても、キャリアが決まっていたんですね。自分について考えることなく、勝手に大人になって、気づいたらその会社で働く人になっていた。20代後半になるまでその会社で働いていって、家族もできて……。

やっと会社とは何かが見えてきたとき。

東日本大震災が起こったんです。」

「当日はいつもと同じように会社で働いていました。愛知県でも揺れて、自分が経験した中で一番大きい揺れを感じました。けっこう大きいな…と。
メディアを見ていると、被災状況が目に入ってきました。」

そこで初めて、自分というものを考えたという辻さん。

『仕事中心で生きていたとしても、この一瞬で人生が大きく変わってしまうことがある。』
『自然界からすると、人の人生ってほんの一部でしかない。』

それを実感として、肌で感じたと話します。

「何か役に立てないかなと、ずっと思っていました。半年ほど経って、個人的なボランティアに行こうと思い立ちました。『自分が何の役に立つのだろうか?』『迷惑がかかるかもしれない』と、不安な気持ちで夜行バスに乗り約10時間、被災地を実際に自分の目で見て感じてきました。メディアで見た感じだと落ち着いているように見えた現場も、実際には荒れた大地が広がっていました。

ボランティアには『自分自身も被災しているが、もっと被害の大きな人のために来ている人』『故郷が被災し帰省している人』『なんの縁もゆかりもないが仕事を数週間休み来ている人』など様々な人がいました。そして被災されたお家の方には”こうやって来てくれる気持ちが嬉しい”と言っていただけました。

行く前の不安な気持ちで行動しないより、誰かの役に立ちたいと一歩踏み出して行動することの方が明らかに価値がある事だと実感することができました。そして自分の事より周りのことを考えて行動している人が沢山いることも知ることができました。」

この震災が、会社以外の活動に興味をもち始めたきっかけだったと話します。


「好き」と「できる」の違い

震災をきっかけに、「自分は何者なのか」考え始めたと話す辻さん。
『外にでればきっかけが得られる、成長する。』という今までの経験を生かし、仕事以外の場所で何かしてみようと思い立ちます。

「有志の団体で、日本で唯一の”有人の空飛ぶ車をつくるプロジェクト"を走らせている人達がいました。CARTIVATORといって、2020東京オリンピックの聖火台に火をともすという目標を立てていました。私も、そういう人達とあつまって社会を変えられる事をやりたい!と思って参加を決めたんです。」

本業とは別に、ボランティア的な形で少しずつそのプロジェクトに関わっていったと言います。

「会社以外のコミュニティに属することで、とても視野が広がりました。専門性やスキルがあるからというよりも、想いや情熱があって、『周りの人との協力を得ながら何かを生み出せるんだ』という実感を生み出せました。SNSやメディアで見る、”成功している人”は凄く見えるけど、どんな成功者も小さなところから始めて地道な努力を重ねていると、知ることができましたね。」

「自分が主体的になってやらないと、意見も通りにくいし、楽しくない。
自分がやりたい!という気持ちを出して、経験値を積んで…というところをやろうと思いました。じゃあ、自分にできる事と言ったら、やっぱりモノづくりかなぁと。」

このプロジェクトへの参加をきっかけに、会社の時間外の取り組みで、ものづくりコンテストに参加するようになったそうです。

“どんなモノでも乗り物にすることができる、魔法の車輪”を作り、外からの評価も得ていた辻さんでしたが、ある気持ちが浮かんできたと話します。

「自分が思っているよりちゃんとできて、外からの評価も受けたりしていたのですが……。

自分って、”モノづくり”の何が好きなんだろう?
…と。
今まで10年以上ずっとモノづくりやってきて、いわゆる理系のマニアックな凄い人が作ったモノを沢山見てきました。
もちろん素晴らしい技術なのですが…、私は、それを受け取って誰の役にたって、誰の笑顔につながるのか、がはっきりしていた方が好きだと気づいたんです。」

自分には何ができるかと言われれば、それはモノづくりである事は間違いない。

しかし、『好き』か問われたときに浮かんでくるのは人の役に立つ、人の幸せに繋がる事だったのだそうです。


田舎と町を繋げるプロジェクト

自分の『好き』に気づいた辻さんは、新たなチャレンジをしたいと考えていました。

「はじめは、自分も子どもがいたことから、子育てや送迎についての課題を解決するプロジェクトに伴走していました。そこから、自分でそろそろチャレンジしてみようかと思った矢先にコロナで…。思ったように外出ができない、という日々が続いたんですね。そんな中、たまたま気分転換にと、家族で参加した農業体験が僕の今に繋がるきっかけになりました。」

田舎育ちという事もあり、田舎の生活に心掴まれたという辻さん。
家族と共に何度も通い、田舎の良さを味わっていったと言います。

「現地の方が、60を過ぎて定年をすぎた後に、田舎を盛り上げようと頑張っていることを聞きました。そこで、10年以上。今年で70歳、80歳くらいの方が、僕たち家族に本当に良くしてくれたんです。めちゃくちゃエネルギッシュで、若々しくて、自分もそんな80になりたいなぁと。
でも、そういった方も年を取ると体力も落ちてきて、どうしても活動が下火になってきてしまうんです。
せっかく良くしていただいて、ここが自分の第2の故郷になったのに、若い自分が頑張らなきゃどうするんだ、と。市内に住んでいる自分が頑張りたい、そう思ったのがきっかけでBURUPONの立ち上げを考えました。」

周囲に相談しながら、ビジネスコンテストなどに参加して仲間を集めていったとの事。

「『DASH村をつくろう!』という、第3の居場所をつくるイメージでプレゼンしました。都市部の若者たちが現地の田舎の人と協力し合って、農村を作っていく、自分たちの手で村を作り上げていくプロジェクトです。
お世話になっている現地の方々に相談して、自分の故郷にもなってきたその土地を盛り上げたい。若い人集めて活性化したい。その気持ちをいろんな人に伝えて、少しずつ話が繋がっていきました。」

プロジェクトを進める中で、なかなか上手くいかない葛藤もあると続けます。

「活性化させるんだという気持ちは揃っているのですが、中身はなかなかそう簡単にはいかなくて…。モヤモヤしているし、日々メンバーと葛藤していますね。うまく進まんね…と。例えば、耕作放棄地を魅力のあるコミュニティ農園に変えていきたいのですが、
そもそもメンバーが誰もやったことがないので、全て0からなんです。どうやって進めるかもわからない…(笑)
来年に農園を開く予定なのですが、どういう姿にしていったときに魅力的な居場所になるかもわからない中で、色んな人に頼りながら頑張って企画している途中です。」

困ったら人に頼る。を、意識して頼るようにしているという辻さん。

「上手に頼れているかはわからないけど、私は頼られるのが好きです。感謝がうれしい。きっとそれは他の人も一緒で、自分が頼ることで相手との関係性も良くなると考えています。」


「今ある目の前の事を精一杯」をベースにした人生観

BURUPONの活動を通して、田舎の活性化に注力する一方で
家族との時間の過ごし方も考えたいと話します。

「実は今、仕事は育休中で。今は家族、子どもの事を第一優先にして生活したいなと感じています。
大切にしたい事を大切にすることはできるようになって来ていますが、仕事を再スタートした時にそこのバランスをどう取っていくか、課題だなあと。」

「私はあまりキャリアを考えない人間で。こうなりたい、を叶えるというよりは、
今ある目の前を精一杯頑張るがベースにある。自分の心に素直に在りたいです。
心に素直になれないことが続くのであればそれは、すこしその生き方を考えた方がいいなという気持ちがあります。」

『自分がいつか年を取って死ぬとき、思い返したとき後悔しないように。』を基準にしていると続けます。

「私は自分が死ぬときに、『もっと仕事頑張っておけば良かった』とは思わないと思います。子どもや家族との時間の事を考えて、『もっと、大切な人を大切にしとけばよかった』と思う気がするんです。人生の最後にできるだけ後悔しないような生き方を考え続けたいですね。」

「誤解のないように伝えておきたいのは、こう見えて「サラリーマンとして頑張ること」も結構好きだったりしています(笑)。」

それも含めて今はとにかく、目の前の事に全力で取り組み続けたいという辻さん。

「BURUPONの活動は、実際にはまだまだ構想中段階ですが、自分のやっている事が人の笑顔に繋がって、いろんな人に広がって、喜んでもらいたいなぁと。そこに注力していきたいです。」

ようやく大事にできるようになってきた「わくわく」と、「大切な人との時間」のバランスをとれるように日々試行錯誤しながら挑戦していきたいと語ってくれました。

編集後記
辻さんのお話を聞いていて、自分が知らない世界を旅行しているような気持ちになりました。モノづくりで培った確かな技術とアイデア、そして計画を実行するパワーに心動かされます。その根幹となる想いが、「人の笑顔」や「幸せ」であるというところからも辻さんのお人柄が溢れるインタビューでした。
辻さん、貴重なお時間ありがとうございました。
(インタビュー・編集・イラスト By Umi)


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