天才はただの性質
あなたは良いじゃない。賢いんだから。
そんな言葉は、飽きるほど聞いたような気もするし、思えば言われたことは二度くらいだったような気もする。
私にとって、頭を使うことは、確かに他の人間よりもやりやすい行為だった。
スポーツで例えるなら、バスケットボール選手として、二メートルある選手のようなものだ。普通の選手ができないようなプレーをすることができるし、何よりゴールに最も近い
選手となることができる。
けれど、それはただの性質でしかない。
現実としては、私の身長は160cm程度しかなく、バスケットボール選手になるには低く、その分野においては残念ながら役立たずの部類だろう。
だから、頭が良いだの、賢いだのは、ただの性質でしかない。
ただ世の中の全員の必須項目として「勉強」があるから、そこに絶対的な価値があると思い込んでいるだけだ。身近で一番比べることができるし、比べられる問題とも言える。
でも、それもまた仕方がないとも思う。
人間の中の嫉妬の感情は、生きいく上で必要な感情なのだろう。
嫉妬は、何かの原動力にもなるし、嫉妬がなければ向上しないのかもしれない。
その感情を上手くコントロールした結果、成功した人間もいる。
だから、一部の成功者を産むには必要なもの。
言い換えれば、その他無数の人間にとって、嫉妬の感情はただ自分を苦しめるだけの行為でしかないのかもしれない。そこに救いはなく、ただあるのは、何かに対する願望だけ。
それもまた良いじゃないか、とも思う。
人、各々にはその時々で役割がある。
どのスポートでもポジションがあるように、人間だって、生まれながらの定められた場所があるのかもしれない。
果たして、それを運命と呼ぶのか、宿命と称するのか。
ただ一つ言えることはある。
どのような感情に苛まれても、どのような幸運に巡り合ったとしても、それはその場に、自分がいたから得られた限りない経験であるということだ。
それだけが価値がある。
その後の結果など、それこそただの性質でしかない。そういう流れの中にいた、ただ人から評されるためだけの歪な形が残るだけ。
だから、自分がいることを、周りには幸運だと思ってほしい。
なーんてね。
剣城琴美は、ふわりと微笑んだ。
それを見た、周りの景色が、赤みを帯びていく。
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