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宇宙と意識の意外な関係【トーラス、イデア、フラワーオブライフ、人間原理の正体】クオリアの誤謬

【質問】
意識ってなんですか? どのように意識やクオリアが生じているのでしょう?

※クオリア=感覚的な意識や経験のこと、意識的・主観的に感じたり経験したりする質のこと。

【回答】
よく脳科学で「クオリアはどのように起きるのか?」という問いがありますが書籍にして毎回300ページ以上費やして検証した挙句「けっきょく分かりませんでした」とやっています。
なぜなんでしょう?
そもそも問いの立て方が間違っているためですね。

話が回りくどくなりそうなので、いささか意味不明になるでしょうが、まず先に結論を書いてしまいます。

意識を作っている仕組みは目には見えません。
だからクオリアを継起させているものを探して、いくら顕微鏡を覗き込んでも、そこに意識は見つかりません。

しかし、もし「意識」の仕組みを
外側から俯瞰して見ることができたら、
こんな形をしています。

ご存じトーラス構造です。

あるいは意識を、もっと俯瞰して見るとこんな形です。

意識の外観はトーラスや宇宙と同じ形をしています。

意識を発見するためには顕微鏡の中ではなく、空を見上げる必要があったんですね。
と言いつつ、素粒子も同じ構造を持っています。

なぜ宇宙と素粒子が共通の形を持つのでしょうか。

その鍵となるのが「意識」です。

一体どういうことでしょうか。
僕はここでスピリチュアルの話をするつもりはないので
「なんだ、スピ系の記事かよ」と思ったあなたにこそ足を止めてもらいたい。

大丈夫です。
僕はこの説に自信があります。
ひらめいてしまい一気呵成に書きました。


僕は今から次のことを説明します。
①意識は脳で発生していない
②クオリアとはトーラス中心点の発火である
③クオリアの源泉・情報空間の仕組み(≒フラワーオブライフ)

【①意識は脳で発生していない】

では次に下図を見てください。
この記事の怪しさが倍増してくることでしょう。
が、内容はいたってマジメです。

この図は肉体が物理空間に在り、意識は物理空間に重畳するクオリア空間(意識空間)そのものであることを示しています。

クオリア空間とは、あなたが昨日食べた夕飯を目の前に思い描く時、具体像は見えないにも関わらず、そのイメージをなぜか現出できると思いますが、その空間のことです。

これはPhotshopにおける透明レイヤーのようなもので、物理空間の上層に重畳しています。
物理空間とは隔絶された(つまり次元を隔てた)ところに。

まずこの言われてみれば明白な大前提が脳科学の分野では見逃されているのではないでしょうか。

クオリアとは物理空間の上層にあるレイヤーです。
そうですよね?
なぜなら僕=クオリアは表情をひとつも変えずとも、様々なことを思考できます。
それは第三者や物理空間からは見えません。
しかし僕からは物理空間が丸見えです。
つまり一方通行です。
このことからクオリア空間が物理空間の上層にあることが分かります。

この仮説をふまえると次のことが言えるでしょう。

・クオリアが物理空間の上層ならば物理空間からクオリアが発生しているのではなく、クオリアの中で物理空間が顕現していると想定できる(鶏と卵が逆)
 ↓
げんに視野とは過去情報の集合である。
(太陽は8分前の姿、この視野の全てが0.0000数秒前の姿)
 ↓
つまり我々は「実体」を見ていない。網膜に投影された情報を変換して「見るという体感」をしている。
 ↓
視界に映る物すべて実体ではなく情報である。
 ↓
では触った感触はどうなるのか? 
実体が在るようにしか思えないが?
 ↓
感触すらも情報である。げんに夢の中では実際に手が触れていない物体の触感が生じる。
つまり感触を生み出す実体すら実は情報の所産。
実体ではなく実体的感覚(=クオリア)が存在している。
 ↓
しかし翻って、その実態的感覚を「実体」「物質」と呼んでも何ら問題はない。
つまり
物質とは非物質的な情報であり
同時にやはり物質でもある。
まるで波と粒の二重性のように。

 ↓
このクオリアを生み出している仕組みはどこにあるのか?
 ↓
それは物理空間の更に上層だと考えられる。
 ↓
では脳内現象はどうなるのか?
小脳を損傷すると人間は無意識的に出来ていた行動も難渋する。それこそ脳が意識の源泉である証拠では?
 ↓
結論として「無意識的にできていた動作にも難渋する」というクオリアが返ってきているだけと考えられる。
 ↓
これは主観視点のVRゲーム内で、自機が損傷したから動きが悪くなるのと同じと思ってもらえばいいです。プレイヤーは「壊れたのはゲーム内の自機であって自分ではない」ことをもちろん理解しています。なぜか?
「損傷の体感」までは再現されていないからです。
 ↓
では、もしその体感すらも再現できたら?
現実とバーチャルの区別はつかなくなってしまうでしょう。
 ↓
ここで僕は「だからこの現実はマトリックスのような電脳空間なのだ」と言いたいわけではないので誤解なさいませんように。あくまで例え話です。

クオリア空間とは、人工的な電脳空間より、もっと真実味のある神業のような空間である、ということは言えそうです。

以上から物理空間上で顕微鏡や脳内を覗いても意識の本質には迫れない。迫れるのは、あくまで意識の射影に留まる。

そうですよね?
VRゲームの中を探索したら、その世界が生み出されている仕組みが分かりますか? わからないですよね?
では、どうすれば分かりますか?
「あ、これVRだったじゃん」と思い出し、ゲーム内を覗き込むのをやめ、もっと高いところへ視点を向ける必要があります。

それがこの図の4です。

3なる他人軸空間と
5なる潜在意識が作る円が交差した位置に
ヴェシカパイシスが生じ、
そこに顕在意識があります。

【②クオリアとはトーラス中心点の発火】

クオリアでは何を感じることができますか?
それは「今」ですよね。
過去や未来は想いを馳せることはできても、
体感できるのは「今」だけです。

では、その「今」とはなんですか?
それはトーラスの発火です。

トーラスには外から流れてきた情報が収斂するポイントが中心にありますよね? 
この情報の収斂による発火によって「今なる体感」が継起しています。

たとえば視野情報です。

この今、見えている視野とは
すべての点が異なる過去時間の情報です。
それが組み合わされて一枚の視野を作っています。

様々な過去情報がパッチワークのように合体し「今それを見ている」というクオリアを生み出しています。

そして情報は太鼓の達人の鬼ムズモード並に切れ目なくこの中心点へ流れ込んできますから、ここで「今、今、今、今」という感じで途切れることなく今が継起するわけです。

つまり脳内ではなく
高次元トーラスでの収斂発火がクオリアの出所です。

今ここで「でもなんでトーラスを持ち出すの? そんなの脳内の神経回路の発火で説明つくじゃん」と思われる方もいるかもしれません。
しかし、この反論は後述の理由から明確に否定できます。

この図を見てください。

直感のままに落書きをしていたらフラワーオブライフみたいになりましたが、それで逆に合点もいきました。

この中央の黒点がトーラスの中心だと思ってください。
この球体こそ高次元空間にある僕の真の姿です。
この中心点に収斂してきた全情報が
今この瞬間のクオリアの源です。

そもそもこの場は何か?
これはクオリア空間よりも更に上層にある情報空間だと思ってください。
テレビゲームで例えるなら
「プログラミングが走っている空間」です。
情報によって物質空間、クオリア空間、潜在意識空間という三位一体を等化する場所です。

そんなものは観測不能で、見えるわけもないのですが、
このような空間があると想定すれば、さまざまな説明がつくように思えます。

この情報空間は、宇宙をイメージすると理解しやすいです。

まず情報は「地球と月」「太陽と地球」「銀河と太陽」のように中心と円周で構成されます。

この円周とは量子力学でいうところの「確率の波」です。
つまり「まだ確定してないけどそうなるかもしれない」という確率です。

そして、この「確率の波」が僕という中心点に寄り集まると波束が収縮して、現実のものとなるのです。

例えばこの図を見てください。

(分かりやすくするために簡略化・抽象化してますが)

中心点に結節する緑色の円周を見てください。
ひとつひとつの円が
太陽系のような、ひとつの大状況を構成する情報
です。

これらの円はそれぞれ
「貧困」「食欲」「世の中に対する恨み」
「苛立ち」「お金が落ちてる」という情報です。

シャボン玉のようにバラバラに情報空間を漂っていたこんな情報が振動の共鳴などによって「僕」を表す中心点に収斂したら何が起こるでしょうか?

そうです。
僕は落ちてるお金のネコババを決意するわけです。

ガスが重力によって結集し、星になるように。
確率の波が寄り集まって結集し、粒子化するように。

これがクオリアの更に上流で起きている仕組みです

そして情報空間には、
これらの情報を表す円が
マンデルブロ集合の無限フラクタルのように、
増殖していく細胞のように、
たわわと実った葡萄の房のように、

フラワーオブライフのように
幾重にも折り重なっているわけです。

この「僕」を表す中心点に結節している情報たちが、僕なる存在の全体像です。

いわば「僕」を中心とした銀河系に、
さまざまな太陽系および、
その重力で周囲を直接的、
あるいは間接的に公転する天体(=情報)から構成される惑星系があるわけです。

例えば、それは「氏名」や「生年月日」という基礎情報から思い出や、その解釈によって生じた性格などの惑星系です。

もちろん僕という銀河系は、
さらに巨大な「人間」という大銀河団に所属しています。

このようなフラクタル構造によって
連綿と情報同士が
連結されているのが情報空間の描像です。

そして物理空間に見えている宇宙とは、
この情報空間の在りようの射影
ではないかと考えられます。

だから三次元の中を探しても意識は見つからないと言いたいわけです。それはゲームキャラが、ゲーム世界の中に自分達を構成する力や源泉を探すようなものです。

ゲームという枠の外側、高次元側に想像を働かせて「人間」という存在や「プログラム」という情報空間が存在していることを想定するのが事実正解ですよね?

であれば僕が実際にはさほど突飛なことを言っていないと理解して頂けると思います。

そしてトーラスの中心が「クオリア」であり、この中心に結節する無数の情報が僕を構成しているとするならば、

この中心点それぞれが意識だと考えることはできませんか?

例えば「お金」という概念を表す円があるとします。
この円にも中心点と円周があります。
この「お金」という円の中心点には
世界中の人々や歴史的事実の円の円周が
ものすごく多量に重なっています。
だから「お金」は現象化して
この三次元世界の中に強固に存在できているわけです。

これを裏付けると思われる科学的事実もあります。
素粒子とは波と粒の二重性を持つことは今や広く知られていますが、これがなぜか、何かは解明されていません。
そこで言いたい。

波束の収縮とはクオリアの発生です。

ロジャー・ペンローズによれば、
粒子が少ない場合は波束は収縮せず、波のままだそうです。

しかし粒子の数が10の27乗個くらい集まると波束が収縮する、あるいは収縮しっぱなしになるそうです。

つまり、このトーラスの中心点に
10の27乗個分の波が通過すると、それは現象化します。
そして現象化し続ける。
だから「お金」は、この世に強固に存在し続けます。

ここまで語れば、脳内神経回路の発火がクオリアではなく、
高次元情報空間での発火がクオリアだ
と言いたい理由についてもお分かり頂けたのではないでしょうか?

脳内発火だけをクオリアの源泉とすると、
物質が存在している理由を説明できませんが、
情報空間での発火がクオリアだとすれば、
物質存在も同時に説明できてしまうのです。

そして、この宇宙的情報空間の考え方で意識を考えると、
ひとつひとつの円それ自体に他との違いはないことがお分かりいただけると思います。

つまり、人間だけが意識を持っているのではなく、トーラスの発火≒波束の収縮はすべて意識です。
その円の結合具合で意識の質や現れ度合いが異なるだけ
です。

水分子なりの、あるいはダイヤモンドなりの結合の仕方がありますよね。
その数や組み合わせが意識種別の差であり、トーラスの発火が起きている以上すべてが意識の継起です。
なので汎心論は正しい。

更に、この無限フラワーオブライフによって
宇宙の全てがひとつに繋がっているわけです。

その長大で宇宙史的な円の連環記憶が
普遍性の源泉ではないですか? 
それがイデアなる概念の具体的描像ではないですか?

なので話をまとめますと、

人間とはトーラスの収斂発火=クオリアとして存在している
(人間の脳内現象としてクオリアが生じているのではない)

②クオリアの見えの中に「物質」に見える情報がある。

③全ての円は等しい。他の円との重なり具合が異なるだけ。

そして最後にもう一つ提起しておきたいことがあります。

僕らは今、地球や道や建物や自然に囲われて生きています。
なぜそれらは存在できているのでしょう?

当たり前のように、それらは存在しています。

そして宇宙や地球の環境は流動していて、
それらは
人類の生存に
とても好都合に出来ています。


科学者たちは、様々な手段を使ってこれを偶然の帰結として説明しようとしますが、それは明確に間違いです。

このような情報空間があるとわかれば、
なぜ、いわゆる物質と呼ばれる
物言わぬ存在たちが
存在しているのかが分かるでしょう。

この情報空間上では

それら物言わぬ物質たちも、
人やその他の生命を成す円と
同じ連環の中で結節し、つながりを持っています。

ということは?
何が考えられるでしょうか?
もうお分かりですよね?

そうです。
宇宙が、地球が、
大地が、風が、
火が、
水が、
光が、
トーラスの収斂発火という意識を持って
僕ら人類や
あらゆる生命存在を育むための流動を
偶然ではなく

意図的に!!!

作り出しているということです。

もし物質が突如、
分子構造を豹変させて崩れたら、
僕らは生きていけませんが
そうなっていないのは、
万物に愛の意思があるからです。

そのことが単なる願望や
妄想としてではなく、
科学寄りの具体的描像として
イメージして頂けるのではないでしょうか。

勿論、ここで提起しているのは、僕個人のインスピレーションであって何一つ実証されたものはありません。

しかし論理として筋は通っているように思えます。
ある種の本当らしさがここにはあるのではないでしょうか?

昨日浮かんだこのインスピレーションが
言わば、ただの思いつきであるにも関わらず、
僕が並ならぬ気持ちで信じられる理由は、

もしこのような情報空間が実在するならば、
その全てと繋がり合った情報空間を通して、
まさにこのような仕組みがあることが
ひらめきとしてもたらされる事態が実際にあり得る。

この異様なひらめき自体が、
この仮説の確からしさの傍証になると思えたためです。

最後に言い訳を。
は理系の専門家ではないどころか、
量子力学、物理学も勉強中の言わば市井の探求者です。
手持ちの科学知識をつなぎ合わせて書いたので、
初歩的誤謬もあるかもしれません。
精度を高めていく必要があると思っています。

ただ人生観として考えれば
すこぶる有益だろうと思います。
当面は科学的事実としてより、
人生観としてこの考えを採用していくつもりです。

しかしながら科学的、客観的にも
正しいのではと、そんな期待や予感も抱きます。

この仮説が
科学や霊性の深まりや
平和の実現に繋がればと
夢を膨らまさないわけにはいきません。

共感して頂ける方は、
どうぞこの記事や考えを
広めて頂けたら幸いです。

長い記事をお読み頂き、ありがとうございました!

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