運動が苦手で手先が不器用な子〈発達性協調運動障害〉(DCD)
運動が苦手。
手先が不器用。
頭で理解していても体が追いつかない。
ぎこちなくてひとつひとつの行動に時間がかかる。
こういった特性を発達性協調運動障害(DCD)という。
以下にDCDの一例を挙げていく。
着替えが遅い。
穴に通すタイプの小さなボタンをつけられない。
階段がぎこちない。
特にくだりは手すりを持たないと足もとがおぼつかない。
ボールを希望する方向へ投げられない。
投げられたボールを胸のなかで受け止められない。
縄跳びや跳び箱や平均台など、全身の能力やバランス感覚をいっぺんに使うような運動が突出してできない。
箸や筆記用具を正しく握れない。
いつまで経っても幼児期の握りかたから卒業できない。
力の加減がわからない。
強く掴んだつもりなのにあまりにも弱々しかったり、もしくはそっと掴んだつもりなのに強すぎたりする。
体幹が弱くてまっすぐに静止していられない。
授業中は椅子に座り続けたり集会中は立ち続けたりしなければならないが、ゆらゆらと動いたり斜めになったりしてしまう。
ほかにもさまざまな例がある。
まったくできないわけではないが、同年齢の子たちに比べると差が顕著で、日常生活を送るにあたり多かれ少なかれ支障がある。
DCDという概念はわりと最近できたものだ。
しかし、自分の子ども時代を振り返ると、そういえばあの子はDCDだったのかなとか、もしくは自分もDCDだったのかなとか、なにかしら思い当たる節があるのではないだろうか。
その理由は、DCDが目立つから(というより目立つ機会を作られているから)だと、わたしは思っている。
学力などの内面的な能力と違い、身体的な能力は、人前で披露する機会がとても多い。
保育園や幼稚園の体操、小学校以降の体育、そして運動会や体育祭……
まるで公開比較されるかのように、クラスメイトやその保護者たちの前で、ひとりずつ運動を披露しなければならない。
得意な子にとっては喜びの瞬間だが、極めて苦手な子にとっては、恥ずかしく、情けなく、なぜ自分だけこんなにできないのかと劣等感を抱いてしまいがちだ。
でも、以下のふたつを忘れないでほしい。
▶︎単なる体質に過ぎない。
運動が得意、運動が苦手、手先が器用、手先が不器用。どれも個々の体質だ。当然のことである。
▶︎成長と共に目立たなくなる。
特に運動能力は、年齢が低い時期ほど人前で披露する機会が多く、重みも大きい。しかし成長すると次第に運動能力を披露する機会が減り、重みもなくなっていく。大人になってしまえば気にされなくなる。
単なる体質で劣等感を抱いているとしたら、それは本人や保護者のせいでなく、劣等感を生み出させる環境のせいだと捉えてほしい。
そして劣等感は成長と共に消えていき、大人になればきっといまよりもずっと楽になる。
それでも、そんなことはわかっていても、大切な成長過程において、劣等感を抱かせたくはないだろう。
だからこそわたしはDCDも、ほかの発達障害と同様に、早期診断と早期支援を勧めている。
地域差はあるかもしれないが、DCDの子を専門的に診てくれるような病院や施設が近くにあれば、訪れてみるといいかもしれない。
なお、わたしは理学療法士による支援の場に立ち会ったことがある。
縄跳びがまったくできない高校生に対し、怖くないということを言葉ではなく身体的に理解させてから、動きをひとつずつ分解して教えていた。
最終的にすべての動きを繋ぐと、その高校生はなんとなくそれなりに跳べるようになった。
しかし、どうしても跳びながら一歩ずつ前へ進んでしまい、長く続かない。これはDCDの子もそうでない子も、よくある光景だろう。
すると、理学療法士はすかさず足もとにスッと線を引いて「この線のうえに着地しながら跳んでごらん」と伝えたのだ。
高校生は足もとの線を意識するというただそれだけのことで、前へ進まず、一定の位置できれいに縄跳びが跳べるようになったのである。
やはり素人にはわからないポイントがあり、それを的確に教えてもらうことの効果をわたしは目の当たりにした。
体質のため、専門家と関わることで劇的に良くなることはないが、ポイントを教えてもらうかどうか、そして理解してもらうかどうか、その差は大きいだろう。
これはDCDに限らず、ほかの発達障害にも共通している早期診断と早期支援のメリットである。
なお、DCDは内面的な発達障害と併存しやすいといわれている。
たしかにわたしが過去に関わってきたDCDの生徒たちは、自閉症スペクトラムなどと併存しているケースが多かった。
しかし、必ずしも内面的な発達障害と併存するわけではなく、DCDのみが特性としてある子もいる。
わたしの経験だと、DCDのみが特性としてある子は、どうしても周囲が気づきにくく、早期診断や早期支援に繋がりにくい現状があるように思う。
最後に根本的なことを書いておく。
DCDという概念はわりと最近できたものなので、まだ知らない教員も、診断や支援に繋がっていない生徒も、たくさんいる。
そのため、運動が苦手だったり手先が不器用だったりする生徒に出会ったとき、無理に練習させたり、「やればできる」などという根性論を押しつけたり、からかったり、皆の前で目立たせたりして、劣等感を増幅させるような対応を取ってしまう教員もいるだろう。
運動能力は人前で披露する機会が多いからこそ許容されているかのような配慮に欠ける対応。
内面的な発達障害と併合していないDCDの生徒は、より一層、こういった配慮に欠ける対応を取られやすいように思う。
でもたとえば学力だったらどうだろうか。
学力の低い生徒を前にしてそんなことは絶対にしないはずである。
運動や手先だけ例外というわけではない。
知らないから許容されるというわけではない。
教員は仕事上の知識としてDCDを知るべきだが、知識の有無にかかわらず、生徒自身に見合った適切な対応を取るよう常に心がけていきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?