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「先生から嫌われると成績が下がる」などの噂は本当か?

成績のつけかたについて、わたしは新年度を迎えると必ず各クラスで説明をしているし、シラバスにも詳細を載せている。

それでも、次のような印象を抱いている生徒や保護者は、一定数存在する。

「先生から嫌われると成績が下がる」
「成績には生徒や保護者が知り得ない先生だけの隠れた点数(加点も減点も含む)がある」


※成績を内申点という言葉に置き換えてもよい。

この記事を読んでいるひとのなかにも、成績のつけかたに対して、こういった印象を抱いているひとがいるかもしれない。



先に答えを書くと、教員が好き嫌いで成績をつけたり、教員だけの隠れた点数があったりすることは、ない。
少なくともわたしの知る限りでは、ない。

といったところで「本当に?」「そんなの綺麗事ではないの?」と思われてしまうかもしれない。

そのためいまから成績のつけかたと、こういった印象を抱かれる理由について、順を追って書いていきたい。



まずは、成績のつけかたに関する大前提に触れておく。

成績は学校単位や教員単位で判断しながらつけられているのではなく、文科省の通達に従ってつけられている。

書くまでもない当然の事実だ。
「そんなのわかっているのに今さらなに?」と思うかもしれない。

でもすこし立ち止まってみてほしい。

本当にこの当然の事実が認識されているのであれば、冒頭の疑問を抱くひとたちは、文科省が「教員の好き嫌いで成績をつけていい」「教員は隠れた点数を用意していい」などと通達していると思っていることになってしまう。

しかしもちろんそんなはずはないだろう。

そのため冒頭の疑問を抱くひとたちは、心のどこかで、やはり学校単位や教員単位で判断しながら成績がつけられているのではないかという認識を持っているのだろう。

でも、だからこそ、もう一度書く。

成績は学校単位や教員単位で判断しながらつけられているのではなく、文科省の通達に従ってつけられている。

文科省の通達に従ってつけられている以上、学校単位や教員単位の判断は、できないのである。

この書くまでもない当然の事実を曲解せず、素直に受け入れるところから始めてほしい。




次に、具体的な成績のつけかたについて書いていく。
成績はどのようにつけられているのか。
大きく分けると下記のふたつだといえるだろう。



・絶対評価

以前は相対評価だったため、他者との比較により成績がつけられていた。

1は◯人、2は◯人、3は◯人、4は◯人、5は◯人といったように、学年やクラスの生徒数に応じて、各成績をつける人数が割り振られていたのである。
そのため1がつく生徒は必ず存在していた。

しかしゆとり教育が始まった2002年から相対評価は廃止され、絶対評価になった。

つまり、他者との比較ではなく、個人の到達度によって成績がつけられるようになったのである。

そのため1〜5をつける人数の制約はなくなり、たとえばクラス全員に5がつくことも可能だし(現に特進クラスの選択科目などではほぼ全員に5がつくといったケースも複数ある)、欠課ではなく成績としての1はほぼつかないものとなったのである。

相対評価と絶対評価については以下の記事でも書いている。

端的にいうと、相対評価よりも絶対評価のほうが、良い成績が取りやすくなっている。




・3観点別評価

中学は2021年度、高校は2022年度から、3観点別評価によって成績がつけられるようになっている。

1.「知識・技能」
2.「思考・判断・表現」
3.「主体的に学習に取り組む態度」


各観点の点数のつけかたについては以下の記事でも書いている。

主観的な要素ではなく、客観的な要素によって、誰が見ても、誰がつけても公平に、各観点の点数がつけられることになっている。

なお、定期試験をよく見ると、設問の末尾や解答用紙などに「知識・技能」「思考・判断・表現」などと記載されているはずである。
これは各問題がどの観点に値するものなのか、生徒から見てもわかるようにするためだ。
もしそういった記載を省き、自分自身だけで把握しておけばいいと思っている教員がいたならばすぐに改善したほうがいいし、生徒側から記載を要求してもいいだろう。

3観点別評価については以下の記事でも書いている。

導入された当初はやや混乱したが、いまではすっかり慣れたものである。



絶対評価についても3観点別評価についても、先述のとおり文科省の通達によるものなので、調べれば情報はいくらでも出てくるだろう。



さて、このように書いても、もしくは口頭で説明しても、冒頭の印象を抱く生徒や保護者はやはり一定数存在する。

「先生から嫌われると成績が下がる」
「成績には生徒や保護者が知り得ない先生だけの隠れた点数(加点も減点も含む)がある」


ずいぶん現実から乖離した印象だと思うのだが、なぜこういった印象はなくならないのか。

その理由は次の3点が考えられる。



1.試験の点数は良かったが、そのほかの部分で減点になっているから

試験は手元に返ってくるので、誰でも到達度(出来具合)を把握しやすい。
そのため試験の点数が良ければ、きっと成績も良くなるだろうと期待するかもしれない。

しかし現在は3観点別評価であり、成績の根拠となるものは試験の点数だけでなく、提出物やグループワークや発表など、多種類にわたっている。

それらの取り組みについて、本人はきちんと取り組んでいるはずだと思っていても、教員から見ると違っているということが起こり得る。

すると期待した成績よりも実際の成績は低くなり、「どうしてあんなに試験で良い点数をとったのに成績はこんなに低いんだろう。きっと先生から嫌われているんだ」と思うことになりかねない。

以下の記事も関連している。

成績に対して不信感を抱く前に、まずは成績のつけかたに関する根本的なことを知ってほしい。



2.成績の根拠は説明を受けたとしてもややこしく、「難しくてわかりにくい=不透明」だと感じるから

先ほどの項目と繋がっているが、たとえば試験の結果、90点以上なら全員5で、80〜89点なら全員4などというように、成績の根拠が単純でわかりやすければ話は別だ。

しかし、実際はもっと判断材料が多く、複雑だ。

人間は理解を超えたものに対して想像で判断をするところがある。

そのため、成績の難しくてわかりにくい部分は、故意により不透明にされているのではないかと想像してしまうのだろう。

気持ちは理解できなくもないが、とはいえ、自分にとって難しくてわかりにくいから不透明にされているという思考の流れは、浅はかだと言わざるを得ない。



3.保護者の世代は成績が適当だった

先述のとおり、ゆとり教育が始まった2002年から相対評価は廃止され、絶対評価になった。

そのため高校生の子どもを持つ保護者の大半は、相対評価で成績がつけられていたことになる。

年配の教員に話を聞くと、当時は成績に対する認識が甘く、「この生徒は試験の点数が高いけれど授業中に生意気だから5ではなく4にしておこう」「この生徒は試験の点数があまりとれていないけれどいつも一生懸命で態度が良いから3ではなく4にしておこう」などと動かすこともたまにあったそうだ。

たしかに適当すぎる。
自分は教員に嫌われているから成績が下がったのではないかと思った保護者もいるかもしれない。
わたしも経験があるため、あのときの悔しさや猜疑心は、いまもよく覚えている。

しかし保護者の経験はもう20年以上前の評価基準の話であり、昭和から平成中期までの慣習なのだ。

いまの評価基準は当時と明確に違う。
それはこの記事にも書いてきたとおりである。

自分がその時代に生きていたからいまもきっとそうなのだろうという思い込みは、まるで守株のようである。



したがって、冒頭の印象を抱きそうになったら、まずは時代が変わっていることや、文科省の通達に従って成績がつけられていることなどをいまいちど認識してほしい。

そしてよくわからない部分は自分で調べ、必要であれば、教員に直接聞いてほしい。

成績を重視しているからこそ漠然とした不満を抱くのかもしれないが、成績を重視しているからこそきちんと実態を把握したほうがいいのではないだろうか。

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