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高校の成績のつけかたと学期末の流れや心境

7月も半ばを迎えた。

高校は6月末から7月頭にかけて期末試験が実施され、眠気とたたかいながら採点をこなし、そのまま1学期の成績処理をおこなっていく。

1年で3回訪れる学期末の繁忙期である。



さて、高校の成績は2002年度から絶対評価となっている。

自分自身が高校生のころ、相対評価で成績をつけられていた保護者は、子どもの通知表を見るときも相対評価の感覚になっていることがある。

すると大抵は「おー、成績が良い!」と驚かれる。

実際は相対評価と絶対評価で、成績のつけ方が大きく異なるだけなのだ。



まず、相対評価は他者との比較によって決められる。もし、クラスに30人の生徒がいれば、30人を得点順に並べて上から5・4・3・2・1と割り振っていくため、5と1の成績は必ず存在する。

次に、絶対評価は生徒自身の到達度によって決められる。他者との比較ではなく、あくまでも自分自身がどうなのかということを見られるため、理屈としてはクラス全員に5がついたり、クラスに1がつかなかったりすることもある。



ということをごちゃごちゃと書いても、頭に入らないかもしれない。
現に保護者に説明しても、わかったようなわからないような表情を浮かべられることが多いのだ。



簡単にまとめると相対評価よりも絶対評価のほうが良い成績をとりやすいといえるかもしれない。



5の数が決められている相対評価とは異なり、絶対評価はいくつ5をつけてもいい。
そのためクラスや科目によっては、大半の生徒が5になることもある。
5も4も上限なくつけていいのだ。

反対に、必ず1をつけなければならない相対評価とは異なり、絶対評価は1などつけなくてもいい。
つまり、絶対評価で1をとったら、それはよっぽどの結果を意味するということだ。

絶対評価だと、5の重みは過去ほどないかもしれなが、1の重みは過去よりもずっしりとある。

かなりざっくりしているが、そんなふうに捉えるといいかもしれない。



ちなみに教員はなるべく1をつけたくない。

学年末の成績で1がつくと進級できなくなるので、ひと言でいうとめんどうなのだ。

そのため欠席の多い生徒以外は、できるだけ2以上をつけたがる。



しかし、1学期に敢えて1をつけて現実を見せ、2学期に奮い立たせることもある。

奮い立たずに2学期も1がついてしまったら、3学期に挽回することはかなり厳しくなるので、進路変更の可能性が濃厚となる。

欠席が多くて進路変更になるケースは一定数あるが、単純に到達度不足で進路変更になるケースは極めて稀だろう。



成績処理は忙しい。

仮の成績をつけたらほかの教員に確認され、5の理由だとか1の理由だとかをいちいち説明し、何か指摘されれば着地点を見つけて訂正する。

また、日々の授業の欠席者数はその都度記録しているはずなのに、いざ成績処理を始めると、なぜか合わないことがある。

それから、出席停止や忌引があると、対象の生徒のみ出席すべき授業総数が減るのだが、その処理もつい忘れがちだ。

こういった過程を経てようやく提出された成績は、教務によってチェックされる。
教務は目の疲れと肩こりに悩まされるし、教務からミスを指摘されるとまた細かな訂正をしなければならない。

とにかく成績処理は忙しい。



しかし成績処理を済ませて無事に成績判定会が終わり、通知表が印刷されて教員同士の読み合わせも終わると、あとはもう夏休みが待っている。



部活指導や進路指導で忙しい教員もいるが、やはり平常授業の連続から解放されると思うと、夏休みの到来はホッとするものだろう。



なお、夏休みは毎日子どもが家にいるからしんどいと言う保護者もいる。

しかし夏休みまで駆け抜けてきた教員はそんなこと知ったこっちゃない。じゃあなるべく学校に呼びますねなどと提案する必要もない。

むしろ子どもがいて保護者でもある教員からすると、夏休みはじっくりと子どもに向き合える貴重な日々だ。

それをしんどいなどと言うはずがない。



梅雨が明けて青空のひろがるこの季節。
成績処理を終えて清々しい気持ちを抱きながら、先生たちが存分に羽を伸ばせますように。

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