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母への感謝

小さな頃から私の母に対する思いは複雑だった。

どうやっても私には彼女が理解できなくて、学校の友人やらが姉妹のような親子であったりすることに、驚きと動揺と嫉妬を隠せなかった。

私は本当の子どもでないのだろうと本気で思っていた時期もあった。

例えば “〜〜しなさい”と言われて、私にはそれをする理由が分からなかったので、理由を聞くとそこに確固たるものはなく、問い詰めていくと、必ず最後は、”親のいうことを聞きなさい”で締め括られた。

家の中はいつもぐちゃぐちゃで物が溢れかえっていて、”物を跨がない”と怒られても、ではどこを歩けばいいの?という感じだった。

一番苦手だったのは、夜な夜な電話で彼女の参加していたサークルの仲間達とネガティブな話をしていたこと。

私はいつもそれに傷ついて声が聞こえないように部屋に引きこもり布団をかぶっていた。

それでも母が満足する娘でいたいという気持ちもあった。いい子でいようと努力もした。

だからとても複雑だった。

自分の母親なのだから好きになりたいし、愛したいのにどうしてもそれができないというジレンマを持ったまま大人になった。大人になって家を出て、やっぱり母を大事にしたいと思って久々に家に帰っても、また同じような電話をしていて、やっぱりダメだと思っていた。

つい最近まで。

最近といっても2年少し経つけれど、ある時奇跡のような体験をした。

以前のノートにも断片的にその話を書いた。
初めて魂が震える出会いをした。初めて人の”魂”を直に感じ、”魂”の存在に気付かされたのもこの時だった。涙が止まらず食事も喉を通らない日が続いた。そして私の”魂が解放された”と思った。

それから私はまるっきり違う人間になっていた。それまでの”私”は眠っていて、全くの別人が私の人生を送っていたのだと思うほどだった。

偶然に偶然が重なってのことだったけれど、それは必然だった。

そして、その偶然はいくつかに枝分かれするのだが、その一つを辿っていったら、私が生まれた瞬間まで遡ることになった。

私が生まれて”女の子だとわかった瞬間に○○の学校に入れたい”と母が突如思ったという話をよく聞かされていた。その学校のことを母もよく知らなかったという。それで実際のところ、その学校はなかなか入るのが大変で、母はそれを知らなかったのだが、私は結果的にその学校に通うことになった。

そこで私は本当の自分を出せないまま暗い日々を過ごし、良い思い出がないまま卒業した。友人と言える友人はだれひとりできなかった。その学校に行かせた母のせいだと思っていた。

その経験がまさか後になってそんな奇跡のような出会いに繋がるとは当時思いもしなかった。

でもその出会いを経験したことで、私は生まれて初めて母に感謝することができた。それと同時に母と私はお互いから学ぶために家族になったのだと分かった。

そのことが分かってから初めて家に帰った時に、相変わらず母が私には看過できない発言をしたので、私は勇気を出して注意をした。彼女がハッとしていたのが分かった。口をつぐんでいた。その様子が私には一瞬子どものように見えた。

そして、私は色々と置きっぱなしにしていた自分の部屋の荷物を全て片付けた。小さな頃から捨てられずに取っておいたものなどとにかく全て片付けて部屋を空っぽにした。彼女がそこから学べればいいし、そうでなければそれまでという気持ちもあった。

物を跨がないとかドアをバタンと閉めないとか、細々と躾をされたことにも感謝できるようになった。理由が分からないまま続けていたら、いつしかそれは習慣になっていた。

それが、物の声が聞こえる(物が発する波動を感じる)ようになって、物を大切に扱ってきて良かったと思えるようになった。昔の母は理由を説明することはできなかったかもしれないが、今の私には理由の説明はいらない。


去年初めて母の日にお花を送った。
今年は爽やかなグリーンにしようかな。



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