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「悟り」とは何か

みなさん、こんばんにチハようす。丸々です!!キタ━━━━ヽ(☆∀☆ )ノ━━━━!!!!


今回は『太陽の法 概論』の第5章「悟りの意味」に入りたいと思います。

これは『太陽の法』の第4章の部分です。それがこの経典です!!(日本語版もあるが、あえて英語にするw)

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そして、「太陽の法」のテキストは別本ですが、詳しくはAmazonで調べて見てください!今回は、そのテキストの第4章が終わったので、その次の続きです!!

ややこしいですね😅💧



この本は、最初から読む必要はないので、

この本のバージョンでは他にはなかった「悟りとは何か」について書かれておりますからキタ・:*:.・,・ヾ(w´∀`w)ノ。・:*:.・,・ァ

分かりやすく説明しますので、、そんなに難しくないッス!!



まず、「悟り」ってなんでしょうか??!!

結論から言わせていただくと、「人生の目的と幸福、世界の秘密」について参究し、自己変革していくことを意味します。そういう意味で、正しき心の探究を「知と反省」によって自分とは何者なのかを明らかにしていくということです!これが自分の幸せにつながり、そして、その自分の幸せは相手の幸せにつながる意味での幸せのことを「悟り」と言うのであります!

『太陽の法 概論』のテキストでは、第4章(『太陽の法』で言うと第3章)で「愛について」をかなり書きました。この地球神が説かれた「愛の教え」が、今回から語る「悟りの教え」が両方必要で、その2つがマッチングすることにみなさんが気が付くことになるでしょう。

では、具体的にはどのようなものなのかをテキストから参照していきましょう!(ノ´▽`)ノ

それは下記にこう書かれております。


👉  本章では、『太陽の法』第4章を中心に、悟りの概論から、どうすれば悟りを高めることができるか、そして、釈尊をはじめとする高次元の悟りについても理解を深めていく。第1節では、ずばり「悟り」そのものの意味について迫っていく。🤜


「宗教的悟り」について考える

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私が、本章(編集者注:『太陽の法』第4章)で訴えたいのは、主(omo)として宗教的な悟りです。それは、もちろん、哲学的な真理到達への願望と、道徳的なる人間完成への道をも含んでおります。しかし、宗教的な悟りにおいてもっとも肝要なことは、「悟り」が仏との関係において語られる、ということなのです。

つまり、悟りとは、仏のつくられたこの世界の原理を究明しながらも、自ら自身が仏に近づいてゆくということです。そういう意味では、悟りには、限界がありません。<中略>

とはいえ、悟りにも、また、段階があります。ですから、それぞれの段階において悟ったということは、可能です。そして、地上に肉体をもった人間としての最高の悟りというものはありうるのです。

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まず、「宗教的」とは仏の教えを学び実践できている人のことを言います。そして「仏」は地球神の悟りの側面を持つご存在のことであり、「地球神」はこの地球と人間、物質、宇宙、あらゆるものを創造した神のことです。この地球神こそ神であり、仏であり、その御名を「主」(shu)と今でも呼んでいるのです。

そして、人間の本体は見た目ではなく中身が大事であるように、人間の本体は「肉体」ではなく「霊体」であって、この霊体があって肉体があり、両者がバランスをとっているのです。


①人生の目的と使命を知り、世界の秘密を知る

👉  仏教には、「無我」(muga)や「空」(kuu)をはじめ、悟りに到るさまざまな修行論が遺されている。HS教学も同様に、悟りについて豊かな内容があり、かつ現代的悟りについて具体的に示されている点が特徴である。🤜


「無我」とは、私という存在がないということであり、それはどういうことかというと、自分のためではなく相手のために生きるということを意味しています。そして、「空」とは、この世界も人間も本当は何もないのだけれども、その中にこそ真実があるという考え方のことです。ただ「空」は行きすぎると「虚無主義」(ニヒリズム)になってしまい、物事を唯物論的に考えてしまう恐れがあります。ですから、「何もないから、なくて同然だ!だから仏陀もいないのだ!」は違います!!

これは、この世界や人間は物質世界であるけれども、この物質は元は何もないところからできていて、仏の光という目に見えないものが積み重なって、物質ができて、人間も世界もできた。これが「空」であり、人間の心について深く掘り下げた考え方こそ「空の教え」と呼ばれるものです。要するに以前の以前の以前に紹介した記事にある「色即是空」「空即是色」のことを言います。

「HS教学」とは、これらの教えをRO先生の書かれた書籍を読んで理解することを言います。


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私は、悟りについて、次のような定義を下してみたいと思います。

悟りとは、人間が、自分の本質を知り、自分が生きている世界の本質を知り、人生の目的と使命を知ることである。すなわち、「人間とは何か」という根源的なる問いに答えることができ、かつ、「この世界とは何か。宇宙とは何か」という問いに答えることができ、「そのなかで生きている人間の、人生の目的とは何か。また、その使命とは何か」ということを知り尽くすこと、これが悟りである。

このように言えると思います。

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また、経典『悟りに到る道』には、こう書かれております。

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みなさんの多くにとっては、悟りという言葉は、古い仏教の言葉として感じられるでしょうし、お寺のなかにこもって修行をしておられる特殊な人びとにのみ縁のある言葉と、考えられがちではないでしょうか。

しかし、私はこの悟りという言葉に現代的なる意味を付加したわけです。私がさまざまな書物において語ってきている悟りとは、決して人理離れた山のなかで庵を結んで座禅をしたり、山登りをしたり、滝行をしたりして得られるようなものではありません。むしろ、その正反対とも言うべき日常の世界ーーみなさんが職業を持ち、通常の家庭生活を営むなかにおいて得るべき悟りというものを掲げているのです。

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つまり、悟りは修行して得られるものだけれども、滝に打たれるとか、断食とかではなくて、その肉体的な修行のことを言っているのではなく、「心の修行」を通して、自らの行いを神様から見て恥ずかしくなかったかなと振り返ったり、人間関係で相手を傷つけるようなことはしなかったか、仕事をきっちりこなせたか。今日一日はよい一日であったかと思えたか。こういった一つ一つの点検項目こそ「悟り」がもっとも大事であると言うことです!

これは宗教に入らなくても悟れます!仕事やプライベートや家庭、好きなこと、やりたいこと、そうでないこと。これらのすべての項目は日常生活において仏から課題が渡されて、その「悟り」つまり答えが試されている項目だということです。一番試される時は、悩みや苦しみが訪れたときです!そこに必ず、あなたにとっての「悟りとは何か」が問われます。そこをいかに克服し、解決していくかが、その人にとっての悟りになるんです!


②悟りには段階がある

👉  悟りの段階は「仏」そのものの境地であるが、地上に生きている人間が仏のごとく生きることは、なかなかできるものではない。しかし、悟りには段階があり、その人にとっての悟りはあり得る。🤜

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もちろん、普通の人間が、一足飛びに、釈尊(shakuson)の悟りやイエスの悟りを得られるはずもありません。したがって、あくまでも、その人にとっての最高度の発見、最高度の気づき、最高度の目覚めをもって、悟りと言ってよいのです。

その魂の目覚めの段階に差はあっても、その人が過去に集積してきた力と、現在ただいまの環境とを、総合的に併せた(awaseta)ときに、「これが最高の悟りである」と言える境地があります。それを各人がつかみ取り、生き切ることが、死後の幸福につながるのです。

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つまり、悟りとは、簡単に出来上がる心を作らないこと。たとえば「ゼロから私は何もせず1週間でお金持ちになった」と言う人は、努力を認めない成功であって、悟りが低いことを意味します。

やはり、日々の気づきにおける「悟り」も、知識も経験も積み重ねが重要です❗️

そして「釈尊」とは、インドに生まれた仏のことを意味し、この地上で最も尊いお方のことを言うのです。なぜ、尊いかと言うと悟りが高いからであり、人類の創造主であるからです。

みんながみな偉くなることはありません。しかし、主はこの地球をビックバンが起きたときから永く見ておられる方ですから、人間が生まれる前よりも「尊い」と言えます。そして、仏だからこそ人間の心も見えてしまうのであり、その霊能力は人間の心の修行からすべてが出発し、その継続こそ、人間が仏に近くための成長を表しているのです。

「悟り」の段階が「仏」そのものの境地であるならば、「愛」の段階が「神」そのものの境地であります!そして、神や仏はどこにいるのかと言うと、神は自分の心の外にいるご存在であり、仏は自分の心の内にいるご存在です!

これが「宗教」で学ぶべき基本内容です!そして、「哲学」は歴史から偉人の言葉をつむぎ出して、そこで学んだら自分で悟って、神仏の説かれた法(教え)を模索することにあります。


③地上界の意味を知る

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あなたがた人間は、一体なんのために悟ろうとしているのでしょうか。もし悟れたとして、そこから、一体何が得られるのでしょうか。このことについて考えるためには、まず人間本来の目的と使命という点から考えていくことが必要です。

その出発点は、なぜ人間はこの世に生まれてきたのかということにあります。なぜ肉体をもって生まれてきたのかということにあります。<中略>

地上界というのは、一つの修行の場なのです。天上界で自由自在に生きていた霊にとっては、肉体に宿るということは、すなわちこれ、自らの霊性(reisei)、仏性(busshou)が試されるときなのです。自分の霊的なる覚醒が、はたして本物かどうか、徹底的に試される場なのです。霊的に自由自在のときに、仏を信ずることは容易です。しかし、この3次元の物質世界のルールの中で生活して、一体どれだけ4次元以降のルールを悟れるか。仏の力を悟れるか。仏の力が働いている世界であることを悟れるか。それが徹底的に試されるのであり、この試験にパスしてはじめて、人間は、もといた世界以上の高次元世界へと還って(kaette)ゆけるのです。

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👉  この世での魂修行は、あの世と比較して10倍の効果があると言われている。すなわち、この世は魂が飛躍する大きなチャンスの場であるとともに、非常に厳しい試練の場でもある。そのため、個人の傾向性や霊格によって差はあるが、通常はこの世に生まれてくるときに、人生計画を立て、「人生の目的と使命」を設定して生まれてくる。生まれる時代や地域なども、天上界の先生役のアドバイスを受けて、魂の磨きにとってふさわしいと考える環境を自ら選んでいるのである。

20世紀に一世を風靡(fuubi)した実存主義哲学は、人間の盲目的に偶然にこの世に投げ出された存在であるとしているが、自らの自由意思で生まれてきているというのが真実だ。だから、この世で起きる様々な苦難困難を自己責任として受け止め、魂を磨く材料としていくことが重要だ。🤜


「実存主義哲学」は哲学者キルケゴールが書物で提唱して、人々に読み継がれた世界で注目されている哲学である。これはマニ教という宗教にも教義内容として、実存主義哲学は入っている。この哲学は基本的に間違いであると言われていて、人間がこの地上に生まれてくる意味が書かれていないはずだ。人間がこの地上に生まれてくる意味とは守護霊との人生で成し遂げるべきことを約束して、この世に生まれてから守護霊との約束にある「人生の目的と使命」を果たすことにある。それが人生の目的における「人生計画」そのものである。そして、主から与えられた命をどう人々のために生かすか。その使命のために生きている

だから、人間は死ぬべきなのではなく、生きるべきなのである!!

続いて、経典『神理文明の流転』ではこう書かれている。

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あの世での修行とこの世での修行というものを比べてみると、この世の修行というのは、魂の進化にとって、あるいは魂という名の筋力を鍛えるという意味において、5倍10倍の意味を持っているのです。この世において、私たちが1年という時間のなかで学び得るものは、天上界における10年にも匹敵するということが言われているのです。

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では、続いて、「悟りのスゴさ」とはどういうものなのかについて、こう書かれている。

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すなわち、「地上的な目では、善と悪、喜びと悲しみなどのように二元的に捉えられてきたものの、そのマイナスの部分が、実は、霊性の開発、運命の開拓のための試練の役割を果たしていた」という事実、「本来、人間の成長を阻害し切る存在はない。苦しみや悲しみと言われているものも、結局は、魂を磨くための砥石(toishi)にしかすぎない」ということに気づくに至るのです。

この見地に立ったとき、この地上は、ある意味でバラ色に輝きはじめます。このバラ色は、光を含んだバラ色です。すなわち、この地上は、より高度な光を人間に与えてくれるものなのです。

ここで、「悟りには、素晴らしい化学変化を起こさせる力がある」ということに気づくわけです。

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👉  特筆すべきことは、この世に生まれるときには、どのような魂であっても、過去の記憶を白紙に戻し、「ゼロからスタートする」というルールとなっていることだ。すべての人にチャンスの平等が与えられており、本人の努力に応じた結果が現れる公平な世界ーーそれが、地上で修行をする意味である。

このように、「人間と世界の本質を知り、人生の目的と使命をつかむこと」「悟りには段階があることを知り、自分にとっての最高度の悟りをつかむこと」「この地上の出来事を自らの魂を磨く砥石(toishi)として捉えること」「すべての魂が今世ゼロからのスタートをしていることをつかむこと」が悟りであり、その結果、「この世とあの世を貫く幸福」を得ることができる。その意味で、悟りとは、「幸福」の別名と言うことができるであろう。🤜


この「この世とあの世を貫く幸福」そのものが人生のゴールを意味しているのであり、そして、そのための方法論として「この世での修行が、あの世に行けば10倍になって現れてくる」ということに繋がるのさ!

たとえば、「筋肉労働(力仕事)を10年やってます!」(※僕はその仕事をやってないが、。)だと、それがあの世では10倍になるので、「あの世での筋肉労働は100年分になる!」ということさ!!

しかし、それが良い方なのか悪い方なのかを見極めるべきだ!そして、この世での修行が大きければ大きいほど、「心の筋肉」は鍛えられるものなんさ!!

経典『永遠の仏陀』には、「ゼロからのスタート」の意味について次のように説かれている。

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真の平等とは何であるか。

いかなる境涯にある魂であっても、

母の胎内に宿り、

そうして、赤ん坊として、いったん生まれたならば、

すべて過去の事実を忘れて、

ゼロからのスタートを切るという点においてのみ、

人間は平等を享受できるということなのだ。

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いかがでしたでしょうか??!!(*`・д・)ノ 

「悟り」とは、言葉が美しく、奥深く、そして、正直に、率直に書かれた言葉です!

やはり、真実で語る言葉の方が、心にgグットきます👍

「失敗は成功のもと」と言うことも悟りの一つですが、やはり、自分で試練を自分で乗り越えた人とは悟りを得た人だと言えるのではないでしょうか?

悟りが高い人とは釈尊のことですが、こう考えると、釈尊も母を生まれた時から失って、いろんな苦難困難があって苦しい思いをして、それを取り除き、仏教という組織を起こしたという意味で、悟りが深まっていたと言えます。

「悟り」とは、現代に通じる「現代的悟り」だけでなく、「宇宙の悟り」とかもあります。やはり、「悟り」とは、その人の人格や霊格そのものを表しているとも言えます。


みなさんは「悟り」についてどう思いますでしょうか?

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