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理性と知性が伴う悟りを

みなさん、こんばんにチハようす。丸々です!!ワカンナイ(*´ェ`*)ゞ


今回も「全人類必読の書」である経典『太陽の法』の解説に入りたいと思います!早速、『太陽の法 テキスト』から学んでいきまぁ〜show!! キタ━━━ヽ(`・ω´・(`・ω´・(`・ω´・ )ノ━━━!!!

前回は、キレイな一転語で〆(shime)くくった感じでしたが、。RO先生(総裁とも言う)の書いたこの『太陽の法』という書物は、説明なしで読むとすぐ読み終わりますが、難しく感じて終わることが信者には感想としてあるそうです(TT)

ですから、ゆっくり説明すると、「なんだァ!そういうことか?!!工工エエェェ∑(`Д´ノ)ノェェエエ工工」という感じを受けると思います。しかし、分かりやすくすると、話が長くなるかもしれません。でも、それでイイと僕は思います!それが幅広くみんなに知れ渡り、みんなの幸せにつながると感じるからです。

そんな余計なはなしをすると、長ったらしくなるので割愛します(σ'ω')σYO!!


では、前回の記事の復習と致しまして、「阿羅漢の悟り」から始まって「太陽界の悟り」まで語りました(ノ)´∀`(ヾ)おぉ♪

「太陽界の悟り」の次にくるものが「釈迦(shaka)の悟り」と呼ばれるものです。

ここには「大悟」(taigo)と「入寂」(nyuujaku)の2つが本書『太陽の法』に書かれておりますが、それを説明する前に、「理性と知性を伴う悟りとは何か」について説明していきましょう!

soredeha, Let's GO 🏃‍♂️💨 フレーヾ(゚∀゚ゞ)( 尸∀゚)尸フレー🏃‍♀️💨



理性と知性を伴う(tomonau)悟りを

👉  本節では、悟りの段階と各境地の悟りの内容について概観した。それぞれの悟りの段階に付随する高度な霊能力についても詳しく示されている点が大きな特徴だ。現存する宗教の教えで、ここまで明確に悟りについて説き切ったものは存在しないと言っても過言ではない。通常の人間が自力で悟れるレベルをはるかに超えた内容だ。

このような正しい知識をもつとともに、人間を超えた神々、仏の偉大なる悟りの一端を見、日々謙虚に精進していく指針とすることが大切であろう。特に、霊能力の非凡性ばかりにとらわれていくと、魔界の餌食(ejiki)となってしまう危険性もある。合理的で論理的な思考など、この世的能力を同時に磨いていくことが重要となる。

RO総裁は、次のように述べている。🤜

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観自在も如心も、おもしろいことはおもしろいのですが、夢中になると、どうしても他人への愛や救いを忘れていきます。それが姿を変えれば、いろいろな教団の教祖や霊能者が、個人相談と称して、法外なお金をふっかけたりするような使われ方をします。そして、そうしたことをしているうちに、その人自身もおかしくなっていくのです。<中略>

私自身、ふだんは、持っている霊能力の十分の一も使っていません。まったく普通の生活としてやれることは、そのようにしていますし、仕事のレベルで話ができることは、仕事のレベルで話をしています。そのほうが普遍性があり、みなさんが共通に認識して行動できるからです。いつも霊能力に基づいてやると、なかなか説明がつかないことのほうが多いので、霊能力以外のものも使っているのです。

↑↑↑↑↑

👉 これは釈尊とピッタリ対応する行き方です。釈尊が高度な霊能力を持っていたことは論をまたないのですが、釈尊は同時に、きわめて合理主義的な考え方も持っていました。釈尊は理性と知性が非常に強い方です。それは、遺されているものを見てもよく分かります。🤜


ここで、「釈尊」という言葉が出てきました😎

ちなみに、RO先生が霊能力を使うケースはご法話のなかで説かれております。これはweb上になくて、精舎のなかにあるものです。実際にご法話のなかでは、「神秘現象リーディング」「夢診断」「月の裏側の基地リーディング」「エリア51のリーディング」「過去世リーディング」「UFO・宇宙人リーディング」などなどいっぱいあります!

これは神様でしかできない高度な霊能力であることを、以前の記事にてかなりご説明したように思います。

霊能力は、他人の心や世界で何が起きているのか、宇宙では何が起きているのかが分かるための画期的な手段ですが、みなさんに勘違いしないでいただきたいことは、

霊能力は超能力と同じではなく、その超能力で物体を動かすスーパーパワーが霊能力と同じではないということです。それはどういうことかというと、3次元(縦・横・高さ)でモノを動かすのは超能力ですが、高次元(それ以上)で相手の心を読むことができるので、これが高次元レベルです。そして、それは真の宗教家でないとできないパワーであるということなんです!3次元の物体はそう簡単に動かせません。それを信じるのは愚かな人だけだと思います。

摩訶不思議なことが、あり得ないことが起きることを持って「信じる!」と思ってはいけません!これはニセモノの信仰です。ホンモノの信仰は、御利益信仰でも、超能力信仰でもないということです。では、本来あるべき信仰とはなんでしょうか?

霊能力は「自分だけよかれ」と思うような黒魔術の魔法ではなく、「相手のためにより良くできる」ような霊能力が大事だということです。

つまり、人間が霊能力を発揮するための方法は、前回も述べましたが「信仰生活の実践」「利他の実践、愛の奉仕活動」にあるということです。テキストでは「信仰生活」についてこう書かれております。


👉  霊的な影響に翻弄(honrou)されないためには、以下の点を日々の信仰生活、教学修行の心得としていただきたい。🤜

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このように、RO総裁先生の説かれる教えは、迷信だとか嘲笑されるような内容なのではなく、人間として当たり前のこと・基本的なことを教えているのです!

今の世の中で、何が正しいのか。

本当の幸福とは何かを。

普段は、書店やネットショップにある自己啓発を読んで元気になれるものを探したり、自分なりにブログで人生論を語って、自分のなかの正しさを見つける以外、方法がないのが世の中だと僕は思います。

しかし、このRO先生の説かれる釈迦の教え。そして、釈尊が説かれる「法」のなかに、悩みの答え、人生のヒントが数多く残されているのです!


この悟りの感覚こそ、「理性と知性」が合わさった教えであるというのではないでしょうか。

やはり、人生を間違わないで生きるための方法こそ「教学」にあるし、人生の悩みを乗り越える糧となります!

もし、RO先生や釈迦の教えが信じられないのであれば、ソクラテス・プラトン・アリストテレス、またや坂本龍馬などの、自分が感激する歴史上の偉人の言葉についていけば良いと思います!それ以外でも真実語でもって哲学を申すこともできる。

そこにも、地球神の言葉、仏の言葉、悟りの極意が一部として数多くあると思います。

やはり、個人哲学や個人道徳論も大事な考え方であると僕は思います。


っということで!!!!!( ・ノ。・)コチョコチョ( ・ノ。・)コチョコチョ( ・ノ。・)コチョコチョ

本書『太陽の法』第4章の「悟り」に関して、これまで「悟りとは何か」「悟りの方法」「悟りの段階」(阿羅漢、如心、観自在、如来、太陽界)と述べましたが、次に出てくる段階こそ「人類最高の悟り」であり、それが「釈迦の悟り」「9次元の悟り」と呼ぶものです。

では、テキストの3節「釈迦の悟りと9次元の悟り」に入ります!ヽ(。・∀・)ノ ダァーヽ(。・∀・)ノ ダァー


👉  本章の最後に、「人類最高の悟り」(『太陽の法』 p.21 )といわれる釈尊(ゴータマ・シッダールタ)と、大如来、救世主の世界である9次元(宇宙界)の悟りについて学び、「悟りの極致」とは一体何であるのかを探究していこう。🤜


まず、テキストの新しいページに入る前に、まず最初に、「釈尊の悟り」に入る前に、本書第4章8節「釈迦の悟り⑴ーー大悟」を抜粋にてこう書かれております。

ここは、次回ご紹介する内容に踏まえて、大事な内容ですので、よく覚えておいてください!!d(ゝc_,・*)ок♪


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9次元宇宙界の悟りに入る前に、二千数百年前、インドで、ゴータマ・シッダールタ、すなわち、釈尊(shakuson)の得た悟りについて、まず、お話しましょう。

釈迦は、29歳で出家します。それから、6年間の難行苦行のはて、苦行をすて、菩提樹(bodaiju)の木の下で悟りを開いたのは、35歳のときです。彼は、約1週間にわたる禅定(zenjou)ののちに、ある夜、夜中の1時ごろから深い定(jou)に入ってゆきます。そして、そのときに得た悟りというのが、次のようなことでした。

「私は、長年にわたって、食べるものをろくに食べず、飲むものをろくに飲まず、肉体を極限まで苦しめ抜いたときに、精神的な飛躍が得られるーー悟れる、と思って苦行をやってきた。

妻ヤショーダラー、子ラーフラをすて、父王シュッドーダナのあとつぎの願いをふりきって、カピラヴァスツを抜け出して以来、すでに6年の歳月が過ぎた。カピラヴァスツにいたころの私は、筋骨隆々で、文武両道にひいでていたが、いまの私の姿はどうだろう。アバラ骨は浮き出し、目は落ちくぼみ、肉体は骸骨(gaikotsu)のようだ。

もし肉体を苦しめることが人生の修行ならば、人間は、肉体に宿って生まれてくる自体がまちがいではないかのか。もし本仏が私たちの肉体を否定することを願っているならば、自殺者こそ、最高の覚者といえるだろう。

しかし、自殺によって得られる結果はなんだろうか。大宇宙の法則は、原因ーー結果の連鎖のなかにあり、悪しき種をまけば、悪しき実を刈り取らなければならないことは確実である。自殺によって、苦しみという新たな原因をつくれば、あの世の地獄界でも、のたうちまわるような苦しみが待っているにちがいない。自分自身の肉体を苦しめる難行苦行は、緩慢(kanman)なる自殺行為そのものではないか。

仏の境地がやすらぎの境地であるならば、苦行のなかにはやすらぎはない。苦行のなかには悟りの因(in)はない。6年間の修行の結果、私の得たものは、人目をおどろかすような醜悪な容貌(youbou)と、眼光鋭く人を射る(iru)ようなまなざしだけだ。苦行によって得られるものは、厳しさだけであり、他人に対して向けられた矢のような厳しい視線は、そのどこにも、愛と慈悲の片鱗(henrin)さえうかがわれない。

自分自身の心がやすらいでいないで、自分自身の心のなかに幸福感なくして、一体どうして他人に対して、真にやさしくし、真にいたわることができようか。

しかし、自分のなかの幸福感とは、一体何か。カピラヴァスツにいたころ、王子として、みなの者からちやほやされ、金も、女性も、物質も、何もかも自分の自由になったとき、はたして、私の心のなかには幸福感があっただろうか。

そこにあったのは、ぬるま湯的けだるさであり、私の心はつねに飢え、つねに渇(kawa)いていた。いろんな人々の思惑(omowaku)だけがあれこれと入り乱れ、私の心は、つねに葛藤(kattou)のなかで揺れ動いていた。やがては必ず王となる自分の身の上。そのときは、カピラヴァスツの人々を率(hiki)いて、隣国とも戦い、その結果、多くの人々の血が流れることとなろう。

この世的な地位や名誉を求めても、そこにあるのは虚(muna)しさだけだ。カピラヴァスツの日々は、私にとって、決して幸福な日々ではなかった。精神的には満たされず、不安と、焦燥(shousou)ばかりがつのっていた。停滞と惰性のなかに、人間のしあわせはない。人間のしあわせは、日々、精神的な進歩するなかにある。この世的な立身出世ではない。本仏の心にかなった、自分自身の霊性・仏性の向上のなかにこそ、本仏の子として生まれた人間の本当の幸せはあるのだ。……<続く…>」

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この続きは明日にしましょう🌈

いかがでしたでしょうか?!メモメモ((φ(б_б*)


9次元存在の釈迦の言葉はすごく、しかも、平均的年齢で見れば、29歳で出家は遅いと感じますけど、深みがあります。この言葉が信じられないならば、この悟りの言葉の深みを知らないことと同然であります。


釈尊の悟りの言葉は重くて、「全人類を救いたい!!」という思いの深さ。人生は川の流れのようなものであることを痛感させる内容でしたΩヾ(´ω`*)へぇ~へぇ~

このように「悟り」は、人間の魂の向上によって、知識と経験が智慧に変わるだけでなく、それに応じた霊能力が使えるとは限りません。その智慧が慈悲に変わり、人々の心に火を灯すことができるほどの「福音書」になるということが本書『太陽の法』を見ると分かると思います。

つまり、『太陽の法』は全人類のための福音書です!!

それは、もうとっくのとおり、世界中で証明されているのです。

たとえば、麻薬中毒者がこの教えに出会って救われたハワイ人。そして、日本でご高齢のかたが涙を流しながら読む姿などなど…。たくさんの奇跡がご報告として、または数多くの証拠として残されております。


っということで、、、( ゚艸゚)・;'.、ブッ

以上。丸々が解説する「太陽の法」感想講義を終わります フーン _(:3 ⌒゙)_ポリポリ

次回は、「釈迦の悟り<前編>」に入ります。+。゚☆YORO(ω'∀`ω)SHIKU☆゚。+。

ご精読ありがとうございますアリガ㌧!∑゚+d(゚д゚*)+゚

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