本当の自分に目覚める方法
みなさん、こんばんにちはようす。丸々です!!٩(๑> ₃ <)۶♥
今回は全人類必読書『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」についてご投稿していこうと思います(* ॑ ॑* )⸝
テキストでいえば、第7章「本当の自分に出会う方法」とありまして、これが『太陽の法』第6章の中心的なテーマとなっております。
これは、「文明史」というややオカルトな話ではなく、「人生論」です!
本章では、「本当の自分と偽物の自分」について、仏法真理を詳しく体系化なされている完璧な本書であります!
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もしあなたが、
現在の自分に満足し、現在の人間観に満足しているならば、
居眠りをしていても結構です。
しかし、真実目を開きたいならば、
まず自らの心を探究することから始めるべきです。
仏の国への手がかりは、そこにあるからです。
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つまり、仏典では六大煩悩(貪・瞋・痴・慢心・疑心・悪見)のなかの、「慢心するな!」(怠けたり、サボったりはしないこと)ということが書かれているのです。
それが真実目を開くということであります(* ˃ ᵕ ˂ )b
そして、テキストを開いてみますと、「悟りと人間完成の道」について書かれております(; ・`ω・´)ナン…ダト!?
人間が完成するということは、永遠の魂修行を継続し、自分を鍛え上げない限り、かなり難しい「仏の道」であるということです。
では、本章に入る前に、私たち自身は、何千回も何万回も転生輪廻を繰り返している私たちであって、過去の文明で活躍してきた私たちであるということを以前の記事にて述べました!
これは「全ての人に、平等に与えられている、魂の記憶だ」ということです。「人間は、永年の転生輪廻の過程でつちかったそうした英知を、肉体に宿ったという、ただそれだけの真実を忘れてしまった」ということでもあります。
あなた自身の真実を人々はだれも教えてくれないものですし、自分のことは自分自身にしかわからないということ、これが心の世界なのです。そのために、私たちは、日々、「正しき心の探究」をしているということです!
本書『太陽の法』第6章の1節「目をひらけ」にはこのように書かれております♪(。・∀・)b
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わずか、10年や20年の学校教育で受けた知識をもって、世界の全てが分かったなどと思ったら、とんでもない間違いなのです。自分自身で、本当の自分というものを探究しなければ、一体だれが、お節介にもそれを教えてくれるというのでしょうか。本当の自分にめぐりあうためには、自分自身で、本当の自分とは何かを探究するしかないのです。<中略>
人間の魂は、仏から分かれてきたものであり、仏の自己表現の芸術であると、言ってよいでしょう。ところが、人間は、創造の自由と、行動の自由とを与えられたことから、孫悟空(songokuu)のまねをして、わがままいっぱいに生きてきました。そして、いつのまにか、親である仏のことを忘れ、仏の心を忘れ、自我我欲と煩悩(bonnou)のままに、地上生活を営むようになってしまったのです。実在界の天国よりも、この地上界に執着を感じ始めたときに、人間の堕落は決定的となりました。だから、地上界そっくりの欲望と闘争の世界をあの世につくり、そこが地獄となってしまったのです。
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それでは、述べて、本章1節に参入していきましょう˖°٩( ‘ω’ )و
👉 本章では、『太陽の法』第6章を中心に、「本当の自分」について理解を深め、人間の完成を目指すための方法を学ぶ。本テキスト第5章「悟りの意味」では、HS教学が射程においている悟りの全体像とその奥行の深さを学んだが、本章1節では、私たち一人ひとりにとっての「悟り」を具体的に考察していく。🤜
悟りとは、ほんとうの自分と出会うこと
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あなたがたが、自分自身だと思っているものは、あなたがたの本物ではなくて、ぬいぐるみにしかすぎません。肉体とは、魂がこの世で修行を積むための乗り舟であり、自動車にしかすぎないのです。ですから、舟の舟頭(sendou)があなた自身であり、自動車の運転手があなた自身であって、舟や自動車は、あなた自身ではないのです。
そこで、自分の肉体をあやつっている、もう一人の自分というものに、目覚めていただきたいのです。本当の自分自身にめぐりあっていただきたいのです。
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では、本当の自分に出会うということは、どういうことでしょうか。それは、すなわち、魂の真実に気づくことです。そして、魂の真実に気づくためには、自らの心を徹底的に探究しなくてはなりません。<中略>「悟り」とは、本当の自分自身に出会うことです。本当の自分の真実なる心を、自分自身で語れることです。つまり、これが「私だ」と言い切れることなのです。
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自らを知るとは、自らが仏の子であることを知るということです。仏の御心を知るということなのです。そして、目を開くとは、自らの霊性に気づき、4次元以降の実在界の存在に対して心を開くということなのです。
もしあなたが、現在の自分に満足し、現在の人間観に満足しているならば、居眠りをしていても結構です。しかし、真実目を開きたいならば、まず自らの心を探究することから始めるべきです。仏の国への手がかりは、そこにあるからです。
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3点ほど、ザッーと抜粋しましたとおり、このように思います。
「船頭(sendou)なくば座礁(zashou)せん。船頭すなわち心なり。心もし謝てば、小舟は岩に砕(kuda)かれん。しかして、竿(sao)は法語なり。人生の急流にこそ竿さして。小舟の針路(shinro)を正しゅうす。法語すなわち仏説なり。」と経文『正心法語』にあるように、
自分自身の心は、相手が変えるものではなく、自分で自分の心をコントロールすることができルのです!!゚+。゚(ノ゚∀゚)ノオォオォ゚。+゚
難しい表現だな〜〜(ヾノ´д`)㍉㍉と思うかもしれませんが、ほかのたとえもあります(o'∀')ノ。+。゚☆
この自分自身とは、上記の「自動車のたとえ」に書かれてありますとおり、自動車はモノであって、それを運転する自分こそが本当の私であるということです。
そして、この「本当の私」とは何かというと、自分の心にならない飾り物である自分とは「ニセモノの自分」であり、素直な自分こそ「ホンモノの私」であるということです!
さてと、、この「本当の自分と偽物の自分」の見極めかたは、次回ご紹介します(〃゚艸゚)クスッ
そのまえに〜〜、、、、。。。。
いかがでしたでしょうか??!!
自らを知るためには、自らを捨てるということが大事であり、それは「偽物の自分を捨てて、本当の自分であることを確信する」ということが大事なのであります!!
そのために、次回述べる「人間は罪の子である」という考えを捨てることが重要だということです\( *´ω`* )/
ご精読ありがとうございます。
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