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ゆるりと進む、マイペースキャリア

29歳までほぼフリーターだったのに、気の向くままに流されていつの間にか監査等委員になっていた私ですが、齢50歳になったことを機に、自分のキャリアを振り返っておこうと思います。

学校卒業から非正規時代

私は専門学校卒です。専門学校で学んだ内容は現在のバックオフィスの仕事と何の関係もない分野なので、詳しくは書きませんが、一応その時一番興味のある分野の専門学校に通い、就職氷河期で撃沈し、卒業後に世の中にリリースされました。

就職氷河期ではありましたが、私自身は他の人と比べて就職活動を必死にしたわけではなかった(せいぜい10社程度会社説明会の案内の送付依頼を文書で企業にしたくらい)ので、就職先が獲得できなかった言い訳はできません。

就職活動を懸命にやらなかった理由は、専門学校で勉強したらその分野に対する気が済んでしまったからです。このとき学んだことは、やりたいことはさっさとやってしまえば、上手くいかなくても後に引きずらず、気持ちが次に向かいやすくなる、ということです。

「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」

しかし、次に向かう、といっても、卒業後はしばらく何もしたいことがなかったので、アルバイトで佐●急便の伝票仕分けをしたり、TS●TAY●でバイトリーダーをやったり、個人経営のCDショップで販売員をしたりしていました。いわゆる「フリーター」というやつです。

特に販売員としての経験は、後に経理職についたときに、現場の方々の苦労(カスハラにも結構遭ったので)やオペレーションを想像しやすくなったので、経験しておいてよかったと思います。

さりとて将来してみたいということは特にありませんでしたが、”やる”と決めていたことがあります。それは24歳に到達する年までに正社員として就職する、というものです。

なぜ「24歳に到達する年」なのかというと、その年に父が還暦を迎えるからです。社会人としてそれまでに何らかのけじめをつけたい、という考えを漠然と持っていました。


初の正社員雇用と経理職志望

どうにか23歳になる年に正社員で大阪●線●送社(現U●EN)に就職しました。職種は電話でのリクエスト受付で、リクエスト曲や間をつなぐ曲のCDやレコードの現物を音響機器にセッティングして放送することです。俗に「モニター」と呼ばれていました。

最初はローカル支店に設置されている放送所に勤めていましたが、しばらくして各放送所が統廃合されて本社に設置されることになり、そちらに異動になりました。

ローカル支店時代ではワンオペでリクエストの電話受付を担っていましたが、異動後の本社では、たくさんのモニターがリクエスト受付業務に従事していました。

それまでほぼ他のモニターと交流がなかったのですが、多くのモニターと一緒に働くことになったことで重大事に気付きました。入社後半年であろうと、10年選手であろうと、やっている業務の内容はまったく変わらないのです。

それまで自分のキャリアについて真面目に考えたことはありませんでしたが、さすがにそれはよろしくないのではないかと不安になりました。そもそも飽き性なので、10年間も変化のない仕事を続けれられるとも思えませんでした。

しかし、この職場では、ミスをしたらそれが他者に発覚する前に自ら報告し、さらにそのリカバリー案を併せて提案すると信頼を損なわない、という大事な教訓を得ることはできました。

とはいえ、キャリアとしての成長が見込めない環境であるため、また近いうちに転職しようと思ったのですが、その際のキャリアプランの条件として決めたのは、主に以下の2つです。

  • ある程度余裕のある独り暮らしができるくらいの収入を得ること(フリーターの頃はもちろんのこと、モニター時代も年収250万円くらいしかなかった)

  • 事務職(接客業はカスハラ経験があってもううんざりだった)

この要件を満たすものとして、単純に一番最初に頭に浮かんだのが経理職でしたので、早速簿記の勉強を始めました。

簿記はことのほか面白くて苦にならず、勉強を始めてから1年くらいで日商簿記1級に合格し、その後転職活動を始めました(結局、大阪●線●送社に勤めたのは2年弱でした)。

そもそも事務職経験がなく、デスクワーク自体が自分に向いているかどうかわかりませんでしたので、まず経理職に限定せず、デスクワーク全般で転職先を探しました。

そして新卒・中途採用関連の広告代理店にパートとして雇用されることになりました。そこではデータベースを利用した個人情報等の管理やデータクレンジング、販売管理システムのオペレーターなどを担当しました。

ここで得た有益な経験としては、

  • データベースソフトを使えるようになったこと

  • 数千~数万件のデータクレンジングが日常茶飯事だったので、大量のデータ処理に慣れたこと

  • 販売管理システムの仕組みに触れられ、さらにシステムの入れ替え業務に関われたこと

などがあります(ちなみに、Excel・Wordはこの会社に入社する前にMOUS検定(現MOS検定)に合格する等である程度使える状態でした)。

ここに3年半ほど勤務し、所属する部署でパートが担える業務を全てできるようになったことや、デスクワークへの適性に問題ないことがわかったので、今度こそ経理を目指そうと転職活動を始めました。


労務から経理へ

簿記1級合格者とはいえ、経理未経験。さらに私の年代は一番人口が多い年齢層で、掃いて捨てるほどいます。経理職への転職活動は決して易しくはありませんでした。

それでも最終的に2社から内定をいただきました。1社は家具メーカー、もう1社はスパやフィットネスクラブ、飲食店の運営をしている年商20億円程の老舗非上場企業でした。単純に給料の高い後者を選んで入社しましたが、ひとつ問題がありました。当初は経理ではなく、しばらく労務セクションの立ち上げに取り組み、ゆくゆくは経理に異動、という内容のオファーでした。

入社時は希望と違う部署に配属され、後の異動は口約束だった、というのはよくある話です。そのため少し悩みましたが、この時すでに29歳で、未経験経理の転職活動が厳しかったこと、それでも簿記1級は評価している旨をはっきりと言ってもらえたことなどにより、事務的専門職のキャリアをスタートさせられるのであればこの際どんなチャンスでも掴みに行こうと思いました。

この会社では、最初の1年で勤怠や給与・人事システムの導入など、労務セクションの業務プロセスを確立させ、2年目に部下が入って3人体制になり、グループ全体(正社員約250名、契約社員約100名、アルバイト約600名)の労務業務を担いました。

3年目には労務セクションのマネージャーをしながら(この年に社会保険労務士の試験に合格)、なぜか経理サイドの担当者として会計システムの入れ替えプロジェクトに加わり、そのプロジェクトでの働きが認められて4年目についに経理セクションにマネージャーとして異動。6~7人の部下を持ちつつ決算・税務申告業務と、部下に割り当てられていない庶務的業務のすべてを担いました。

この会社で得た職務経験としては、

  • 700名程度の企業規模の給与計算を含めた労務業務を一人で担当したこと

  • 労務系システムの導入と、会計システムのリプレースプロジェクトを経験できたこと

  • 経理の決算業務と税務申告書作成業務を担ったこと

  • マネジメント経験が得られたこと

  • 経理・労務以外にも幅広い管理業務に携われたこと

などがあります。

当初の目標だった余裕を持った一人暮らしも叶い、5年目に入ったところでこの会社内でのキャリアの天井が見えてきたので、スキルアップを目指して転職することにしました。このときに転職先として狙いを定めたのが上場準備企業です。

なぜ上場準備企業をターゲットにしたのかというと、経理のキャリアアップとして上場企業での経理経験は市場価値が高くなりますが、上場企業未経験者が上場企業に転職するのは難しく、それなら上場準備企業に入ってあわよくばIPOを達成したら、自動的に上場企業経験者になれるではないか、と考えたからです。

そして次はIPOを目指すバイオベンチャーに経理として転職しました。

(なお、この転職活動のときに大卒でないと応募できない案件が多かったので、某大学の通信制の学部に3年次編入学し、2年後に卒業して無事大卒の学歴を獲得しました)


ひとりバックオフィスの苦難

転職先のバイオベンチャーは従業員が20名程で、管理部門は、私の直属の上司となる経理部長と、派遣社員1名、総務部長という体制でした。ただし、入社数か月後に経理部長と派遣社員が辞め、総務部長もその後に退職したので、最終的に私が管理部門業務を一人で切り盛りすることになりました。

この会社には8年半ほど在籍しましたが、書き切れないほどに本当にいろんなことがありました。思い付くかぎりものを以下に挙げてみました。

  • お金がない(入社して資金繰り予定表を見たら3~4カ月後には資金ショートが見えていて、在籍期間のうち半分以上はずっとそんな状態を継続)

  • 未上場なのに株主が多い(株主40~50名程+SO保持者もいたので、株主管理事務や総会準備がめんどい)

  • 無償減資2回(お金がないので役会・臨時総会開催&議事録作成、債権者公告、変更登記の手続き等々を全部自分でやった)

  • 某上場子会社からのデューデリ対応と資本提携(これで一定期間お金に余裕ができた)

  • 自社開発サービスの上市・事業化(このとき始めて単年黒字に。バイオベンチャーが開発したモノを市場に安定供給できるようになるまでの道のりの長さと苦難を味わった)

  • 経済産業省、JST、NEDO、生研機構など、政府系補助金の採択(資料作成や証憑管理、会計検査院の検査がめちゃくちゃ面倒ですが、内部統制に通じるところがあるので経験しておいてよかった)

  • 給与支払遅延2回(それぞれ数カ月分の給与の遅延)

  • 従業員数が最終的に5名程に減少 etc…

表立って書けないこともたくさんあり、苦労の連続でしたが、上場準備をしていたこともあり、監査法人への対応や、業務フロー・帳票の整備、年次予算や中期経営計画の策定、予実管理、原価計算、会社法に則った組織運営など、よい経験も多く得られたと思います。

初めて給与支払が遅延になった後に運よく財務状態が回復しましたが、次にまた給与が遅延になったら退職する旨を役員に告げていたので、2回目に給与支払遅延のときに、宣言どおりにこの会社を辞めました。


管理部門体制の構築から監査等委員へ

バイオベンチャーを退職した数か月後、次の転職先である介護分野のベンチャー企業に入社しました。

こちらも上場準備会社で、入社当時の従業員数は20名程度。事務員が2名いましたが、管理部門体制と呼べるほどのものではなく、私よりひと月前に入社したCFOとともに、社内管理業務を構築していきました。

管理部門業務で整備していったものは多岐にわたりますが、主なものを挙げれば以下のとおりです。

  • 各種の会計関連システム、人事関連システム、承認フローシステムの導入

  • 会計監査に耐えうる経理財務業務プロセスの構築

  • 中期経営計画策定において、コンサル外注→策定プロセスの内製化

  • 各種規程の作成

  • 役会・総会運営業務 etc…

入社して約3年半後、前任者の辞任を受けて急きょ常勤監査役に就任。半年後の定時株主総会で機関設計が監査役会設置会社→監査等委員会設置会社に移行する際に、一旦辞任しました。

それから1年間は業務委託としてこの会社の経理業務を支援しました。再び社内の人間として管理部門業務に携わるという選択肢もありましたが、一人で広範囲の業務を支えることで他の管理部員が育ちにくくなるという問題が見えていました。そのため一旦社外に出て心理的に距離を置き、他の人材が自立的に業務に取り組む環境になることを期待しました。

結局監査役を辞任した1年後、上場準備期間におけるいわゆるNー1期にあたる時期に、今度は常勤監査等委員に就任することになりました。以前監査役に就任したときと同じく、監査とは?監査等委員の役割とは?などと考えながら、五里霧中の状況で上場審査に耐えられる監査等委員会の実効性の確保に取り組みました。

監査される経験はあっても、監査する側になったことがなかったので、とりあえず公認内部監査人(CIA)の資格を取得したりもしました。

これらが功を奏したかどうかはわかりませんが、ありがたいことに会社は無事上場を果たすことができました。この企業に関わって現在8年目。上場会社にふさわしい監査等委員とはどうあるべきかと試行錯誤を重ねる毎日です。

振り返ってみると、私のキャリアは決して直線的ではありません。フリーターから始まり、労務、経理、総務と様々な分野を経験し、あれこれと手を出しているうちにバックオフィスのゼネラリストと化し、今では上場企業の監査等委員として日々悩みながら監査業務に取り組んでいます。

幸運なことに、その時々で得た経験は、その後に続くキャリアの中で何らかの形で役に立っているような気がします。今後も、常に学び続け、自己成長を怠らず、かつ焦らずにゆるりゆるりと歩み続けられたらと思います。

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