相手によって言語を完璧に切替える!?私が出会った2人の天才トリリンガル幼児達。"褒め"に意外な答えあり?
お疲れ様です!オーストラリアで保育士をしているぴぃです。
今日は私が日本、オーストラリアで出会った天才トリリンガル2人を紹介致します。
バイリンガル、トリリンガル教育については賛否があるところかと思います。あまり早いうちに何ヶ国語も教えると、いわゆる母国語がなくなってしまう。
3歳までが言語の敏感期だからなるべく早くに教えるべきだ。
など。
そんな賛否云々に関わらず、環境の中でいつの間にやらバイリンガル、トリリンガルになる子ども達は沢山います。
両親の言語と住んでいる国の言語が違う子ども達、両親が異なる言語のバックグラウンドをもつ子ども達、その両方が当てはまる子ども達などです。
そんな子どもたちの多くは発語が初めは遅れがち。2つ以上の言語を同時に覚えなければならないので当然と言えば当然です。なのでお子様がそういった段階にある親御さん、どうか心配しないで頂きたい。
しかしながらそんな環境で育つ子どもたちの中で稀に稀代の才能を発揮する子たちがいます。
私が出会ったのもそのような子ども達です。
1人は日本で出会ったインド人のご両親をもつ女の子Aちゃん。私が出会った当時彼女は既に3歳になっていましたが、それより以前からこれからお話することのほとんどは出来ていたのだろうな。と思わせる完成度を彼女は持っていました。
彼女が話していたのは日本語、英語、そして彼女のご両親が話す言語(記憶ではヒンディー語とおっしゃっていたかと。)
彼女の凄いところはその3ヶ国語全てを喋ることが出来るという所だけではありません。
誰がどの言語を話せるか、というのを完璧に把握し、その場にいる人々や状況によって完璧に言語を使い分けていたのです。
お母さんと話す時、お迎えの際には基本的に英語、お兄ちゃんもお迎えに来ていたり、お母さんもヒンディー語で話しかける時にはヒンディー語、お家ではヒンディー語と英語。
園ではほとんどの先生が英語を話せなかったので基本的には日本語。驚くなかれ感情的に泣く時でさえ日本語で泣いてくれるという徹底っぷり。
しかしながら帰国子女の先生がひとりいて、その先生と、週に1度やってくるアメリカ人の英語の先生とは英語で話していました。
すごいなと思うのはこの子がうっかり英語のわからない人に英語で話したり、アメリカ人の先生(実は日本語堪能)に日本語で話しかけたり、という瞬間を一切見たことがないのです。
三十・・・3歳なうな私は現在似たような環境で日本語で話すべき相手に英語を使ってしまったり、誰も日本語がわからない時に日本語をポロッと使ってしまうという失敗をちょこちょこしてしまいます。
ちなみに当時まだあまり英語を話せなかった私が練習しようとありったけの英語ではなしかけるとそれもニッコリと笑って受け入れてくれました。完璧かよっ!!
さらにこの子を天才たらしめていたものは他にもあります
パズルです。
その園には子ども用のパズルがいくつかあったのですが、子ども用と言えど侮れず、難しいものは大人でもちょっと考えつつ数分はかかる様なものでした。
それを彼女は、全ピース記憶しているのか、ボードに残ったピースの痕跡?をみて瞬間的に自分の手の中にあるピースとマッチさせているのか、とにかくピースを手に取ってから正しい位置に置くまでがまさに"秒"なのです。
1番難しいものでも彼女の手にかかれば数十秒で仕上がってしまいます。
インドは数学教育が進んでいると言うけれど図形に関する理解がこうさせるのか、それともなにかご家庭の教育に秘密があるのかなぁ?と思いお母さんと話してみたことがあります。
するとお母さんの答えはこうでした。
ただたんにこの子は頭がいいのよ。パズルも好きだから何回もやって覚えてるの。それだけよ。
と、とてつもなくシンプル。
ちなみに当時6歳のお兄ちゃんは日本語は喋れなかったそうです。
でもそれもAちゃんは頭がいいから出来るだけで、決してお兄ちゃんが劣っているとかそういう事ではなく、ただ違うだけ、というさっぱりとした考え方でした。
2人目に紹介するのはオーストラリアで出会った当時2歳半の男の子Bくん。お父さんは韓国人、お母さんは日本人で言うことなかれ英語圏のオーストラリアで育っています。
一般的にも私の経験からも、語学が得意だったり、早い時期からお話を始めるのは女の子が多いのですが、Bくんは2歳の時点で
日本語、 日本に住む2歳児よりも完璧
英語、こちらも同じクラスの子の中でもまぁ流暢な方
韓国語、お父さんとの会話は韓国語だそう。だけどお母さん談によるとお父さんはもうちょっと頑張って教えるべき。とのこと。
ちなみにお迎えの時などお母さんは彼に英語で話しかけていましたし、お父さんとお母さんは英語で会話していたと思うのでお家でも恐らく全ての言語を話していただろうと想像できます。
そう考えるとより、かなり驚異と言えるほどの日本語の語彙力を彼は持っていました。
日本で育った2歳児が発してもちょっと驚くかもな?というような言葉も彼は知っていたりもしました。
そして彼もAちゃんと似たところがあって、
誰が何語を喋るのか、ということをしっかり把握していました。そして、ちゃんとその言語を話せると分かるまでは英語を通す。というポリシーを持っていました。
私自身も信用されるまではなかなか日本語で話してくれなかったので、英語は完璧だけど日本語はまだそんなに喋れないのかなぁ?と思っていたほどです。
その後ものすごく仲良くなったのですが、私が知っている限りの知識で韓国語で話しかけても嫌そうな顔をして完全に無視。でした笑
ちなみにこれも結構あるあるで、日本語が喋れる子どもによくエデュケーター達がよかれとおもってフルオブ英語アクセントで「アリガトーゴザイマースッ」と、話しかけて、イラッとされているのを何度か見た事があります(苦笑)
まぁそれはおいておいて、
日本語が喋れる人間だという認定をして頂いた私と日本語で話すようになってからは私と話す時、そしてほぼ英語が話せない同じクラスの日本人の女の子と話す時は自然と日本語に切り替わるようになりました。
Bくんのすごいところは、2歳にしてそこまでの語学力を持ち合わせているという事実もさる事ながら、どこで覚えたのか、お手本になる人もいないだろうに日本語のニュアンスをうまーくつかってのご機嫌のとりかたまで知っていたのです。
先程もお伝えした通り私が日本語を話せることも手伝ってか私たちはとっても仲良くなりました。彼も語学には長けていると言えやんちゃ盛りの2歳の男の子。なかなかにお話を聞いてくれず、特に私の前では注意を引くためにわざとわがままを言うことも増えてきました。
そこで私は、彼の性格や私たちの距離感を考慮した上で
「Bくんがお話聞いてくれないならぴぃもお話聞かないよー。」
と言う、かなり原始的かつ非教育者的な方法をとることにしました。
するとちょっと焦った彼はちょっと考えてから、私の呼び方を
ぴぃから
ねぇねぇーぴぃちゃーん?
に変えたのです。
う、かわいい。
それでも聞かないよー。という態度をしていると、
ねぇねぇーぴぃ先生???
とより甘えた声で言いながら、覗き込んでくるのです。
なんとこ憎い・・・キミ、私の事先生なんて呼んだことないやんか。
いやもう、負けました。
「ね、お話聞いてくれないと悲しいでしょ?ぴぃもお友達もBくんにお話聞いて欲しいんだよ。今度から聞いてくれる?」
と、お伝えをしたのち、抱きしめてしまいました。厳しくする時は徹底的に。が苦手な私でございます。しゃぁない。人間だもの。
また彼は愛情表現もとっても豊富で、
ぴぃちゃんかわいい
とか、
Bくんはぴぃちゃんのこと大好きなんだよ。
と、2人になった瞬間に言ってきてくれるのです。
いやもう
「惚れてまうやろーーー!!」
彼、天才・・・ですよね?
まぁまぁ、落ち着いて・・・
将来子どもが出来たら日本語を教えたいと思っている私はBくんのお母さんにも彼は凄いと思う旨を伝え、どうしてるかを聞きました。
するとお母さんはこうおっしゃいました。
いやー、普通じゃないんですか?この子ひらがな読めないからまだまだなんですよー。
とのこと。いやいやっ!日本でも2歳でひらがなわかる子はあんまりいないですよ!というと、
お姉さんが日本で保育士をされていて、彼くらいの年齢でひらがなを教えているとの事。
私は3歳にも興味のある子以外文字はそこまで積極的には教えていなかったので、改めていろ色々な方針があるのだなーと思ったものです。
特にオーストラリアに来てからはこのような環境で育っている5歳までの子を沢山見てきましたが、この2人は中でもやはり、語学やその他においても理解力が、恐らく生まれ持ってかなりある子たちなのだとは思います。
しかしながら親御さんの考え方にも少なからず共通点を感じたのです。
それは、
子どもの能力を大袈裟に凄いと捉えていない。
という所。
同年齢の子ども達を常に見ている私たちのにとっては、この子はこの能力が秀でているな。というのは確かに親御さんより気づきやすいのですが、
それにしても一般的に見て年齢を考えると明らかに語学の面で秀でていたこの2人とも、親御さんは
まぁ、出来ますねぇ。それがなにか?
という感じなのです。
何が言いたいかと言うと、
この親御さん達には、
出来たら凄い=子どもは出来なくて当たり前
という考え方があまりなく
この子はこれが出来る。それ以上でもそれ以下でも無い。
と言う事実をそのまま自然な事として受け入れるニュートラルな対応をお子様たちにしていたように思うのです。
これはある意味、"年齢"という世間に作られた計りや、"期待"という親としての計り(これは期待しすぎない、つまりこれは出来なくていいやなども含みます)というものに影響を受けず
お子様の"個"をまさにありのままに受け入れる
お子様への信頼
から来るものなのではないでしょうか?
ううむ・・・私が親になった時、これが出来るであろうか・・・
バイリンガルとは少しズレますが、
日本で出会ったCくん、彼は文字と電車がとーっても好きな男の子でした。出会ったのは3歳になる少し前。その頃からよーく喋る子でした。
記憶力がとっても良くて、特技は近くに通る路線の駅を始発から終点まで順番通りに全て言えること。ひらがなカタカナも完璧に読めていました。
そして3歳になると同時に能力爆発。
2歳の頃からやってはいましたが、前述の電車、車内アナウンスを完コピ。それも日本語はもちろん、その後に流れる英語のアナウンスまで、一言一句たがわずパーフェクト。
さらに驚いたのがそこそこ難しい漢字、しかも頻出でもない物も普通に読めていたのです。
その園は苗字プラス先生で保育士を呼ぶ園でしたので、彼が私の下の名前を聞く機会なんてほぼなかったと思うのですが、小学校高学年レベルで、珍しくは無いものの日常であまり出てくるわけでもなく、そして名前ではなければその読み方もしない漢字を使うその下の名前が私物に書かれてるのを見た彼がなんの躊躇もなく
○○(下の名前)先生 (ニコッ)
と、女子を急に下の名前で呼んでドキッとさせる男前テクを使いつつ呼んでくれた時には、このお方は3歳児の皮をかぶったイケメン上司かなにかであらせられるのか?と思ったものです。
で、彼のお母さんの彼に対する評価も
いやーほんっとオタクですよねーずーっと文字ばっかり見てるんですよ。
以上。
あぁ、オタク、の3文字でおかたづけになられた・・・
この出会いから私がちょっと考えていること、それは
子どもって、褒めすぎない方がいいのかなぁ?
ということです。
褒めて伸ばす。褒める教育。などよく聞きますよね。私自身もあまり褒められずに育った反動から結構、褒めすぎちゃう系保育士。です。
パッと見悪いことには思えないですよね?
でも、私自身、意味無く褒めすぎないよう結構気をつけています。
私が現在働いている園で行っているモンテッソーリメソッドをはじめ、
褒めて育てる必要は無い。
という教育理論は実は結構多いのです。
これは私なりの解釈ですが、決して褒めてはならない。という訳ではありません。
なんでもかんでも褒めていると、子どもは褒められる事に価値を感じるようになります。
なので、何かをすることのモチベーションが、褒められたいから。になってきます。そうなると、
なにかを達成したいからやる。とか、自分はこれがやりたいからやる。が後回しになってしまうのです。
そしてそのまま大人になってしまうと、本当はなにかをしっかり達成出来ているのに、それを褒められないと自分が出来ていなと思ってしまう。他人に評価されることでしか自分の価値を認められなくなってしまう。という論調が多いよう感じます。
前述の3人のお母様方(お父様方とはそんなにお話出来る機会がなく・・・)は、褒めすぎない。をお子様への信用の元自然に行っていたのではないかなぁ?と思います。だからこそ子ども達も、自分がやっている事を凄いことだとも思わず、もっとできるようになって欲しい、と言うようなプレッシャーを感じることも無く、
シンプルにやりたいから、満足するまでやる。そして出来るようになったからもっと色々やりたくなってやる。いつの間にがめちゃくちゃ出来るようになってるからさらにおもしろくなってやり続ける。その繰り返しが自分にもたらしてくれた楽しさやスキルに価値を見出すことが出来ていて、その結果がどうしても年齢という計りをまだまだ使ってしまう私を驚かせていたのではないのかと。
当然全く褒めないというの違うと思います。
褒めすぎない、でもうまく褒めて、子どもを伸ばす方法ってあると私は思います。
今回は長くなってしまったので、それについてはまた今度お話ししますね!
文責:ぴぃ
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