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#2 背中に値札をつけた男│人生を変えた出会い

目を疑った。
フロアには2~3人のお客さん。
でもこの日、埃をかぶりかけた僕の曲が息を吹き返したのだ。


その日は、有名レコード会社のプロデューサーを審査員に迎えたコンテスト形式のイベントだった。

当時の僕は、メジャーデビューはできたものの、成功とは言えない状況の中でバンドを脱退し、ソロで再起をかけていた。

横浜の老舗のライブハウスで行われるそのイベントの誘いを受けたのは、3日ほど前。
友人が運営に関わっていて、オーディション形式だと聞いて少しためらったが、出演者が集まらず苦戦していると聞いて出演を決めた。

そして、フタを開けてみると、冒頭のような状況だったわけだ。


僕自身にも責任がないわけではなかった。

他にもイベント出演が立て続いていたし、場所も普段の渋谷からは遠かったので、声をかけたほとんどの人に無理だと言われてしまった。
”声をかけた”というのは、ファンが一旦離れてしまっている中で、SNSの投稿だけで来てくれる人は、ほとんどいなかったのだ。

一言で言えば、人気がない。
そういう状況だった。

それなのに、かつてはテレビオーディションで優勝したり、メジャーデビューという肩書もあったので、プライドだけは高かった。捨てきれていなかった。

このギャップを、開場した閑散としたフロアを見て痛感した。
情けなくて、悔しくて、逃げ出したかった。


楽屋では、主催の友人が申し訳なさそうにしていたが、容赦なくイベントは始まった。

MCは小柄でダンディーな男性。
この状況で、まるで何百人もを前にしているかのように話し始める。
僕が育ってきたクラブという環境では出会わないタイプのMC。

一目でプロだとわかった。
主催の友人にすぐに聞くと、長年ラジオのMCをしている人だという。

他の出演者の出番の間、僕を紹介する内容の打ち合わせをしていると、僕の地元のFMで長年パーソナリティをつとめていたことが分かった。

すっかり意気投合すると、
「君さ、ガリちゃんさ、プロはお客さんの数じゃないよね。期待してるからね!」
そう言ってステージに戻っていった。


出番。

狭い袖からステージへ上がると、フロアにはプロデューサーと3人のお客さん。
お客さんにもイベントにも申し訳ないし、自分の力の無さに胸がキュウっとなった。
それでも、さっきのMCの言葉に背中を押されて、ステージの中心に立つ。

持ち時間は15分。
普段なら3曲つないで歌うところだが、この日は、何か変わらなければいけない気がして、自分でも思いもよらないパフォーマンスをした。

これまで公の場で話したことのなかった自分の生い立ちや、歌う理由を話した。
それから心を込めて、救われたい自分を救うように、客席にいるもう一人の自分へ語りかけるように、2曲歌った。

芸の世界では、ネタの説明をしてからネタをするようなもので、僕はそういうことはご法度だと思ってやってこなかった。
しかも曲は、メジャー時代、「平凡で売れない曲」と言われ、表に出ることのなかった2曲だ。

すると、数人は涙してくれ、MCの彼もウンウンとほほ笑んでいた。

それが単純に歌の良さからくるものだったのか、ストーリー込みの感動だったのかは分からない。
でも、この時、確かに僕の歌に対する向き合い方は変わったのだ。


イベントが終わると、友人が簡単な打ち上げの場を設けてくれた。

プロデューサーと少し話をして、あとはMCの彼とじっくり話し込んだ。
彼は僕を過剰にほめたりはしなかったが、デモをくれというので、その日1枚も売れなかった手作りのCDを渡した。

「あの曲いいよね。ワンラブだっけ?ちょっと考えてることがあるから、また連絡するね。」

それから数日。

ある全国規模の大会の公式サポート曲に決まった。

「”笑う”って曲さ、もっとわかりやすくするために”笑う~One Love~”にしない?こだわりあったら申し訳ないんだけど。あ、OK?じゃあそれでいこう!」

僕にとって初めてのタイアップは、観客が3人だけのイベントで出会ったMCによってもたらされたのだった。


この大会は世界大会の予選も兼ねているので、2年も前から全国各地でキャンペーンが始まる。

そこで歌う機会があるのだが、いわゆるギャラの設定をしなければいけなかった。

僕はフリーになりたてで、個人でどんな価値を提供できるのかもおぼつかない状態。

「あの、ショッピングモールでの営業とかの相場しか持っていなくて…。設定と交渉はお任せしていいですか?」

そうMCの彼に相談すると、彼は目の奥だけ真剣に、こう言った。

「わかった!
でもガリちゃんさ、この金額以下でもう仕事受けちゃダメだよ。
君の価値は、これからはこの金額が基準になるんだからね。
まぁほら、オレの顔も立てるっていうことで、よろしく頼むよ!ははは!」

こうして、僕に値札がついた。

1曲歌っても、30分歌っても、その金額をきることは無かったし、宿や楽屋の待遇も、経験したことのないことばかりだった。

マネージャーの子にもちゃんとお金を渡せるし、サポートメンバーにも多少の報酬を出せた。

求められ、明確な役割が与えられることの幸せを噛み締めた。

後に聞いたのだが、公式テーマ曲はもう決まっていたのに、僕の曲をどうしても使いたいのだと運営側に掛け合い、公式サポート曲という枠から作ってくれたらしい。


思えばこの27歳~29歳の時期、ようやく歌手だと自覚できた気がする。

「平凡で売れない曲」とメジャー時代のプロデューサーが言い放った僕の楽曲が、たった一曲でその先の僕の、そして僕の法人で働く人の生計をも支えることになる。

始まりは、すべてを脱ぎ捨てて進もうとした僕の覚悟を彼が受け取ってくれた、あの悔しい夜。

数千人、数万人に歌を届けるきっかけは、思いもよらないところにあったのだ。

彼が僕の背中につけてくれた値札は、今でも僕を支えてくれている。



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