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あいらぶエッセイ⑨「子どもの力」

 幼い頃、両親のことが大好きだった。歳がいってから結婚し、僕ら兄弟が生まれ、可愛くてしかたなかったのか、父親は、いつも僕らへ柔らかな笑みを浮かべていた。寡黙で、威厳もあった。僕は夕方5時半を過ぎると、二階のベランダ側の掃き出し窓のそばに立ち、オートバイのスーパーカブに乗って仕事から帰宅する父親が道の遠くから現れるのを、よく楽しみに待っていた。母親へはわがままをよく言い、ケンカも頻繁にしたが、夜、寝床に就くときには、「お父さんも好きだけど、お母さんも好き」と伝えるなどしていた。(今、思い出すと、気恥ずかしさでむしずが走るが)

 両親とそんな関係だったが、ひとつ、困ってしまう場面がたまにあった。夫婦喧嘩である。

 幼かったし、40年近く前の話なので、ケンカの内容はもはや覚えていない。僕らへは温厚だった父親の表情がみるみる険しくなり、顔の中心に陰ができて(僕にはそう見えた)、方言を交えながら口調が荒くなった。母親は母親で、怒りの火に油を注ぐ才能があるようで、憎らしい表情のまま、ぶつぶつ延々と文句を言い続けた。

 あるときは、おそらく、それほど激しくするつもりはなかったと思うが、怒りが頂点に達した父親が、椅子に座る母親の肩を手で押し、バランスを崩した母親が転倒してワンワン泣いたこともあった。直前まで食べていた餅か何かが、床に転がった光景が薄っすら記憶に残っている。そばで、かなりバツが悪そうな表情をした父親も、僕には可哀そうに思えた。

 その出来事も、夫婦喧嘩の際に起きた。食卓を挟み、また言い合いが始まる。

父「〇✕△▢〇✕△▢!!!」
(父親の名誉のために、内容は伏せておく)

母「私が言ってること、間違ってるね!?」
(みたいなやり取りが繰り広げられていたと思う)

 もう我慢ならない、といった様子で父親が椅子から勢いよく立ち上がった。眉間に入った皺は深く、眼光は鋭い。そばの席にいた僕は緊張が走る。父親が母親に近づく。母親は席を立ち、何かをわめきながらすぐ後ろの台所へ後ずさった。そこへ、父親がさらに距離を縮めていった。

 お母さんが危ない!!

 僕の体は反射的に動いていた。台所にあった、食器の水切りカゴへ駆け寄る。そこから迷わず、出刃包丁を手に取った。そして、母親の元へ歩み寄った。

「お母さん!!!これ使って!!!!」

 二人が一瞬、僕を見た。顔と、差し出した出刃包丁へ交互に目を移す。

「フヘェ、フヘェ、フへェ……」

 父親の顔がとたんに和らいだ。

「あんたー……やらんよおー、大変よー、やめなさい。グフフフ」

 母親も、僕にそう言い笑い出した。

 直前まで怒りと興奮に満ちていた二人の表情が、突然変わったので、僕には何が起きているのかわからなかった。それまで緊張していた僕も、つられてぎこちない笑みを浮かべてしまった。ケンカはそこで終わった。

 それ以降も、二人は、たまに言い争いをした。そのたびに、僕は居心地がかなり悪かった。だが、変化もあった。暴力やそれに近い場面が、あれ以降、見られなくなったのだ。ケンカの頻度は減り、激しさや時間の長さもだいぶ縮小していた。おそらく、二人とも、夫婦喧嘩が子どもに与える影響の大きさを痛感したのだろう。振り返って僕は、自分があのとき好プレーだったとぼんやり思っていたが、大人になって考えてみると、子どもの純粋さが持つ力や影響力は、やはり大きいのだろう、と感じる。ケンカはときどき続けたけれど、自分たちの行動を変えた両親も、その部分では偉かった。

 僕に子どもはいないが、子どもの純粋さを大切にしたいと、欲望などで心が薄汚くなった今の自分を省みて思う。話は全く変わるが、新型コロナウイルスの感染拡大のなか、多くの子どもたちが最も楽しみにしている運動会などの行事が延期や中止になったことを知ると、胸が痛くなる。僕らは、純粋な子どもの心を守れているのか、と。「なぜ五輪はできて、運動会はできないのか」という子どもたちの問いに、ちゃんと答えきれているのか、と。子どものときに受ける心への影響は、大人の僕らが想像する以上に、はるかに大きいと、あらためて思うのだ。

 現在88歳の父と、83歳の母が住む実家へ帰ると、たまに空気が重いことがあり、ああ、またケンカしたんだな、とわかる。が、整理整頓好きの父親が、「お母がダメと言うから……」と弱気な顔で言い、物置を埋め尽くすガラクタなどを捨てきれないでいるのを見ると、長年のうちに力関係がすっかり変わったのを感じ、苦笑してしまった。

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