うちまけんゆう

沖縄の元地方紙記者です。40歳を手前に、この先の生き方についてしっかり考えたくて会社を…

うちまけんゆう

沖縄の元地方紙記者です。40歳を手前に、この先の生き方についてしっかり考えたくて会社を辞め、転職した後、今は雑誌のライターなどをしています。これまでの体験や、日常で感じたことなどを、noteで週1回程度綴っていきます。私自身楽しみながら書いていきます。よろしくお願いします!

最近の記事

あいらぶエッセイ⑩「ニンジンが嫌いになりかけた話」(思い出の映画)

 実家で母親がよく、ごはんのおかずにニンジンの炒め物を作ってくれた。だが、僕はある時期から、それを恐る恐る食べるようになってしまった。たぶん、また吐き気をもよおさないか、心の隅で警戒していたのだろう。あれは33年前の小学5年生だった頃に、初めて友達同士で街の映画館へ行った出来事にさかのぼる。  夏が近い、ある暑い日の休日だったと思う。バスに乗り、僕らの住む地域から約20分ほどの場所にある、今は名前を変えた映画館へ、同級生の3人で向かった。子どもたちだけで街の映画館へ行くこと

    • あいらぶエッセイ⑨「子どもの力」

       幼い頃、両親のことが大好きだった。歳がいってから結婚し、僕ら兄弟が生まれ、可愛くてしかたなかったのか、父親は、いつも僕らへ柔らかな笑みを浮かべていた。寡黙で、威厳もあった。僕は夕方5時半を過ぎると、二階のベランダ側の掃き出し窓のそばに立ち、オートバイのスーパーカブに乗って仕事から帰宅する父親が道の遠くから現れるのを、よく楽しみに待っていた。母親へはわがままをよく言い、ケンカも頻繁にしたが、夜、寝床に就くときには、「お父さんも好きだけど、お母さんも好き」と伝えるなどしていた。

      • あいらぶエッセイ⑧「足元を掘り起こせば」

         昨年、雑誌の仕事で、沖縄県出身の芥川賞作家の先生から、じっくり話を伺う機会があった。  先生は、戦後間もない生まれで、地元にずっと住み続けている。そして驚くことに、生み出してきた作品の数々は、すべて地元が舞台か、地元のイメージが舞台になっている、とのことだった。  サンゴ礁や、カーミージー(亀瀬)と呼ばれる自然海浜、グスク、祭祀、米軍基地などを挙げ、 「沖縄のすべてが網羅されているのが僕の原風景であり、極端に言えば、世界の歴史が浦添に詰まっているように感じる」 と、

        • あいらぶエッセイ⑦「“異文化交流”に思う」

           高校生の頃のことなので、記憶が定かでない(ので、誤りがあれば後日、訂正する)。  わが校に、マット君という米国からの短期留学生がやって来た。ずんぐりむっくりで毛の濃い者が多いウチナーンチュ(沖縄人)の男子生徒に比べ、彼は足が長く、目鼻立ちは明らかに西洋人で、どこか上品さとお坊ちゃんのような雰囲気が漂っていたように思う。基地がある沖縄と言えども、普段、なかなか身近で接する機会のない外国人が突如、校内に現れたので、生徒たちは若干、色めき立った。  しばらくして、そのマット君

        あいらぶエッセイ⑩「ニンジンが嫌いになりかけた話」(思い出の映画)

          あいらぶエッセイ⑥「異国のホワイト・リリー」

           40歳を手前に、長年勤めた会社を辞めてフリーになり、人間関係が一気に希薄になった。しかも、昨年来の新型コロナ感染拡大のせいで、家にこもる時間が長くなり、僕は隠居したジイサン(今のお年寄りの多くは活動的だが)のような生活を送りつつあった。年ばかり食って、いまだ一度も実現していない結婚が、さらに遠のいていく。  ヤバイ……このままではいかん!僕は意を決して動き出すことにした。  世間ではすでに利用が当たり前になった、マッチングアプリへの初参戦である。そこで人生の伴侶と出会いた

          あいらぶエッセイ⑥「異国のホワイト・リリー」

          あいらぶエッセイ⑤「『ありがとう』の偉力」

           母親は、昔からとにかく我の強い人だった。  幼い頃、僕はよく風邪をひいて高熱を出したが、そのときに母親が取る恐怖の対処法があった。 「うぇぇ……もう熱、下がってるから、やらなくていい」 「いいん!これやらないと下がらないよ!ペー、ペペェーッ!!」  母親が、自らの唾を僕の足や手にこすりつけるのである。  誰から習ったのか知らないが、母親はそれが最も効果的な解熱法だと信じて疑わず、僕は抵抗するのを諦め、ただ時が過ぎるのを待った。嫌悪感で、熱がさらに上がった気さえした。

          あいらぶエッセイ⑤「『ありがとう』の偉力」

          あいらぶエッセイ④「人間関係が希薄だと言われていますが・・・」

           都会の喧騒から離れ、田舎に住むのが憧れだった。四年前に、長年勤めた会社を辞めたのを機に、それを実行した。ただし、実家のある那覇から少し離れた、サトウキビや電照菊などの畑が近くに広がるプチ田舎だ。  青年会のエイサーが昔から盛んな地域で、住人同士の結びつきも当然、強いと思っていた。新しい地での人との濃い交流も期待していた。が、僕の入居したアパートは、もともとの集落の隣の、最近整備された区画整理地区にあり、想像していた状況とは違った。  土産のケーキ(千円くらいした)を持って

          あいらぶエッセイ④「人間関係が希薄だと言われていますが・・・」

          あいらぶエッセイ③「物忘れ癖が直らなくて・・・」

           物忘れが、とにかく激しい。  携帯電話や財布、卓上に用意してあったハンカチを持ち忘れて外出しようとするのは日常茶飯事。先日は、お気に入りの喫茶店へ行き、客がいっぱいだったので自宅へ引き返すと、財布を持たずに家を出ていたことに気づいた。もし入店できていたなら、僕は鞄の中を確認しないまま、迷わず奮発して、大好きなオーガニックコーヒー・ホット(八百五十円)を頼んでいただろう。  前の職場でもひどかった。  伝統芸能公演の運営担当を任されたとき、夕方に閉幕し、後片づけを終えて屋外

          あいらぶエッセイ③「物忘れ癖が直らなくて・・・」

          あいらぶエッセイ②「お世話になった方へ、ありえない贈り物をしてしまった話」

           車中で、しばらく僕は呆然としていた。無いのだ。もう一つの紙袋に入っていたものが……。代わりに、トマトやキャベツなどの入った紙袋は残っている。実家から出発してからのことを、僕はもう一度振り返った。  日頃、お世話になっていたYさん夫妻へ、ある年の正月、贈り物をすることを思いついた。僕より年が三十歳近く離れたYさんはとても名の知れた人であるのに、誰に対しても気さくで、率直に接し、遊び心のある粋な人だったので、多くの人に慕われていた。仕事の関係で、僕はよくYさん宅を訪れた。  

          あいらぶエッセイ②「お世話になった方へ、ありえない贈り物をしてしまった話」

          あいらぶエッセイ①「優しきドラゴン」

           今から十八年前の社会人一年目に、急に白髪が何本も生えだし、原因不明の咳が止まらなくなった。入社した新聞社で、運動部記者として仕事がこなせず、精神的に参っていたのだと思う。現場へ行っても選手や監督から話を引き出しきれず、原稿はまともに書けない。記事を書くときに先輩記者に初めてした質問が、「『づ』は、キーボードでどう打つんですか?」だったから、よっぽどの新人だったのだろう。  だから当然ミスも連発する。あるスポーツ団体の新役員が就任挨拶で来訪したときには、前会長の退任理由を「

          あいらぶエッセイ①「優しきドラゴン」