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あいらぶエッセイ④「人間関係が希薄だと言われていますが・・・」

 都会の喧騒から離れ、田舎に住むのが憧れだった。四年前に、長年勤めた会社を辞めたのを機に、それを実行した。ただし、実家のある那覇から少し離れた、サトウキビや電照菊などの畑が近くに広がるプチ田舎だ。
 青年会のエイサーが昔から盛んな地域で、住人同士の結びつきも当然、強いと思っていた。新しい地での人との濃い交流も期待していた。が、僕の入居したアパートは、もともとの集落の隣の、最近整備された区画整理地区にあり、想像していた状況とは違った。

 土産のケーキ(千円くらいした)を持って、入居する部屋の隣のドアをたたく。一階に大家さんが住み、賃貸の二階は、僕とその世帯のみだ。若い夫婦の奥さんが出てきた。
「引っ越してきた〇〇と申します!初めての地で、なんにも知らないので、いろいろ教えてください!」
「……あっ、はい……」
 奥さんは笑顔を見せながら、やや戸惑った様子だった(引っ越し作業で汗だくになった無精ひげのジーンズのオッサンが、いきなりケーキを持って現れれば、当然警戒する)。そして名乗りそびれたようだった。田舎であっても、人間関係が必ずしも濃いとは言えない事実に気づいたのは、そのときだったと思う。もともと極端な被害妄想癖のある僕は、そこからぎこちなくなってしまった。
 朝のゴミ捨て場で、若夫婦の旦那さんに会って挨拶を交わしても、どこかよそよそしく感じた。

 階段の踊り場で、干からびた小さなヤモリの死骸を見つけたときも、そういった感情が多分に影響したのだろう。
 それは、胸くらいの高さの壁の上の平たいところに、二日ほど前からあった。見て見ぬふりをしていたが、そばを通るたびに気になって仕方がなかったので、僕はとうとうそれを指で弾いた。勢いよく宙に舞い、下の駐車場の地面へ、腹を見せた状態で落ちた。
 あ、いけね……。そこは、隣の旦那さんがいつも車を停める場所だった。駐車場まで行き干からびたヤモリをどけようかと考えたが、僕はなぜかやめた。夫婦へのよそよそしい気持ちが、さらに膨らんでいたからだと思う。ヤモリについてはそれっきり忘れてしまった。
 翌日の夜、喉が渇き、駐車場わきの自動販売機で、ペットボトル入りのミネラルウォーターを買ったときだった。商品の取り出し口の覆いを開け、手を入れかけて、やめた。そのなかに、干からびた小さなヤモリが横たわっていたのだ。だ、誰かが、そこに入れたのではないか!?はっ!!ま、まさか、ヤモリを駐車場に放置した復讐ではないか!?僕の被害妄想癖が、全開で作動した。

 それから、隣人への僕の態度はさらにぎこちなく(自分としては)なった。
「(階段で急に出くわして)ウ、オッ!お、おはようございます……」
「(旦那さんは笑顔で)おはようございます」
 最初の頃と比べて、夫婦の愛想はかなりいい。
 数カ月がたち、周辺に草木が多い僕のアパートには、昆虫や爬虫類などの小動物がたくさんやってくることがわかった。駐車場に一度、小さなハブも出現した。ヤモリはもちろん多く、自販機の件についても納得がいった。僕は想像で、隣人にあらぬ疑いをかけようとしていたのだ。

 それからしばらくして、若夫婦の間に男の子が生まれた。肌が柔らかく温かそうな小さな顔で、母と父の腕に抱かれていたのに、あっという間に大きくなり、僕の部屋へ壁伝いに聞こえてきた「テテテテ」という小さな足音が、「ドドドド!」という力強いものに変わってきた。なぜか僕も、少し嬉しくなる。保育園から帰ってきたときの「てゃだいまー!」(僕にはそう聞こえる)みたいな元気な声も、可愛くて、よその子なのに、部屋で一人微笑んでしまう。
「いつも騒がしくして、本当にごめんなさいねー!」
「いえいえ、まったく何もうるさくないですから!」
 僕は奥さんに本心からそう言う。階段下ですれ違った際、旦那さんが、男の子の手を引きながら「隣の〇〇さんだよぉ」と言ったときは、胸にジンと来た。なんだ、名前、憶えてくれてるぢゃないか!

 地方でも人間関係の希薄さは進んでいるのだろう。だが、時間はかかるかもしれないが、同じ地域で暮らしていれば、どこだって住人の間に絆の芽は生まれる。何気ない日常の小さな触れ合いを楽しみながら、大事に育てていきたいと思う。

 アパートから少し離れた居酒屋を一人で訪れたとき、地域の仲間同士が集まったグループに声を掛けられ、一緒に飲んだ。一人の男性が、僕の住まいのだいたいの場所を聞き、その辺りに自分の職場の同僚が以前住んでいたと話した。
「それ、もしかして、杉浦さん(仮名)ですか?」と僕は尋ねる。
「え?なんで知ってるの?」男性は目を丸くする。
「僕が入居した後に、前の居住者へのダイレクトメールが一度、郵便受けに届いたことがあって、宛名がその方だったんです」
「へぇー、すごい偶然だねぇ」

 地方では、そういう人のつながりの濃さを再認識できる場面も多々ある。

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