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あいらぶエッセイ⑧「足元を掘り起こせば」

 昨年、雑誌の仕事で、沖縄県出身の芥川賞作家の先生から、じっくり話を伺う機会があった。

 先生は、戦後間もない生まれで、地元にずっと住み続けている。そして驚くことに、生み出してきた作品の数々は、すべて地元が舞台か、地元のイメージが舞台になっている、とのことだった。

 サンゴ礁や、カーミージー(亀瀬)と呼ばれる自然海浜、グスク、祭祀、米軍基地などを挙げ、

「沖縄のすべてが網羅されているのが僕の原風景であり、極端に言えば、世界の歴史が浦添に詰まっているように感じる」

と、故郷について述べた。そして、地元のことを含まない題材については「書く気がしない」とも言った。純粋な眼差しで話す言葉に、僕は感動で心が震えた。

 書くエネルギーを与えてきたのは、幼い頃の原風景の記憶だった。特に、皮肉にも米軍基地があり続けてきたゆえに開発されず、自然な状態が保たれてきた地元の自然海浜について、

「カーミージーを舞台に、何度書いても書き足りない。(最近)短篇を頼まれて原稿を書いて渡したんですけど、それもカーミージーの話なんですよ」

と先生は話した。

 20代の頃に発表した第一作の「海は蒼く」は、主人公である19歳の女性が、60年間漁師をしてきた老人に懇願し、海上の船で過ごす一日が描かれている。どこか情緒不安定で厭世的な性格のような彼女が、躍動的な大自然を目の当たりにして様々なことを感じ、海と融合するように生きている老人と心を通わすなかで、希望や本来の自分を次第に取り戻しつつあるのを感じさせる物語だ。

 海の青さや、時々において変化を見せる色彩、煌めく水面の波、銀色の鱗を持つ魚の大群、圧倒的な力ですべてを照らし尽くす陽光など、自然美の描写と、女性と老人のやり取りに、読者はぐいぐい引き込まれる。老人の釣り糸によって魚が水面から現れ、船の上へ飛ぶように次々と引き上げられる場面では、僕は思わず自分の顔に波しぶきがかかったような気になった。

 海上の風景は時がたつにつれ変化し、読み進めながら、まるで女性と老人とともに船の上で同じ景色を見ているようだった。そして思った。この風景を、カーミージーを、近いうちに実際に見に行こうと……。

 そのほかの仕事が忙しくなり、あのときの僕の決意は先延ばしになっていた。浦添市の海岸沿いで2019年にできた大型商業施設へ、私的に初めて訪れたときだった。新しくできた海岸沿いの初めての道を通ってみようと、車を運転し進んでいると、ふと前にお会いした芥川賞作家の先生のことを思い出した。そして思った。僕がまだ訪れたことのないカーミージーは、もしかするとこの辺りではないかと。

 開通して間もない、陽が反射するようなすがすがしい橋が突如、目前に現れた。橋の名が目に入る。そこには「カーミージー橋」と書かれていた。思わず息をのむ。左手の眼下に、橋の建設以外は手つかずに見える海岸線が伸びていた。決して人工ビーチのような真っ白な砂浜ではない。豊富な木々が海岸と陸の間に生い茂り、浜は薄茶色で灰色の大きな岩がたくさんあった。だが、これが自然体の海岸なのだろうと思った。橋の右側に目をやる。防波堤などの遮るものがない、エメラルドグリーンの浅瀬が遠くへ広がり、さらにその奥の藍色の大海がほぼ180度、水平線をつくっていた。今、自分が見ているものこそ、あの小説に出てくるカーミージーの風景なのだろうと思った。そして、小説の舞台の上を車で走っていることに感動を覚えた。

 最近になって僕は、今度は実際に自分の足で、海岸周辺や橋の上を歩いてみた。雄大で、どこまでも美しく広がる景色を眺めながら、自分の島の美しさをあらためて感じた。と、同時に、沖縄出身であるが、生まれてこの方、カーミージーについて知らず、直に訪れたことがなかったことを恥じた。地元を題材に創作を続けている先生の言葉を思い出していた。

「自分の足元を掘り起こせば、そこには何百、何千人(の先人たち)が立っているのです」

「まずは立っている所を掘り下げる。言葉を換えて言えば、自分の長所を掘り下げることかもしれません」

 僕は40歳を手前に、自分が何をやりたいのかわからなくなり、長年勤めた会社を辞めた。そこには、自分がもっと活躍できる場所がほかにあるかもしれないという思いや、僕のいる場所ではないところで生き生きと輝いている人への憧れや嫉妬のような感情も少なからずあったと思う。それ自体は決して悪いことではないが、はたして僕は、自分の足元をしっかり見つめ、掘り起こすことを全力でしてきたか、と自問した。大切なことを知った気がした。

 インタビューを通して、大きな気づきを与えてくださった又吉栄喜先生、本当にありがとうございました。


※「海は蒼く」は『ジョージが射殺した猪』(又吉栄喜著、燦葉出版社)に収録。

※又吉栄喜氏へのインタビューは雑誌『モモト』(vol.43)に掲載(詳しくはhttps://www.momoto.online/)。

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