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あいらぶエッセイ⑩「ニンジンが嫌いになりかけた話」(思い出の映画)

 実家で母親がよく、ごはんのおかずにニンジンの炒め物を作ってくれた。だが、僕はある時期から、それを恐る恐る食べるようになってしまった。たぶん、また吐き気をもよおさないか、心の隅で警戒していたのだろう。あれは33年前の小学5年生だった頃に、初めて友達同士で街の映画館へ行った出来事にさかのぼる。

 夏が近い、ある暑い日の休日だったと思う。バスに乗り、僕らの住む地域から約20分ほどの場所にある、今は名前を変えた映画館へ、同級生の3人で向かった。子どもたちだけで街の映画館へ行くことを、僕の母親は当初許さず、僕は、他の多くの同級生たちが街へたびたび遊びに行っているのに、僕だけが行けないのはおかしいと食い下がり、その時は母親からなんとか承諾を得ることができた。

 それでも当日、母親は朝からどこか不機嫌で、僕が外出準備をのろのろ始めたからなのか、母親が調理を遅れたからなのか、僕の昼食を取るのが出発時間ぎりぎりになってしまった。当時、苦いので大嫌いだった、できたての熱いゴーヤーチャンプルーを、僕は母親の気持ちが変わらないようにと、舌をやけどさせそうになりながら、必死に全部平らげた。

 出発前の母親との攻防に勝利した僕は、友達と映画館に着いた頃には、安堵と若干の疲労感に包まれていた。

「きょうは何の映画を見るんだっけ?」

 詳細をあまり把握せず、友人2人に付いてきた僕が尋ねる。

「『人喰族(ひとくいぞく)』っていうタイトルだよ!なんか、すごく怖いらしいよ」

「ふーん……どんな映画なんだろう?」

「見たらわかるよ」

 たぶん、そんな内容の会話をして、僕らはチケット売り場で入場券を買い、ワクワクしながら映画館へ入った。館内は既に暗く、スクリーンには、近日公開作品の予告編が上映されていて、その後、映画が始まった。どんなヒーローが登場するのだろう? 悪者はどんな奴か? そいつらを倒すために、どんなアクションがあるのか……? 普段、自宅で母親からテレビも満足に見せてもらえずにいた僕は、胸が高鳴った。

 しかし、物語が進み、想像をはるかに超える展開になってきたことに、僕は恐怖と焦りを覚え始めた。(今でははっきり覚えていないが)その映画は、ジャングルの、ある部族の村へ入っていった男女のグループが、人々に捕らえられて、生きたまま食べられるという内容だった……。映像は生々しく、生身の男性の体のモザイクがかかった陰部が、ほぼ全裸の部族の男によって、斧か何かで切り取られる場面などでは、僕は呆然とし、わきの下からじっとり汗が流れてきた。暗闇で、隣の友人2人の顔を見ると、ともに青ざめた表情をしているように見えた。約1時間半の映画が終わり、心身ともにげっそりした気分で外へ出ると、自分の住んでいた世界がまるで変ってしまったかのようだった。

 その夜、母親がつくった夕食を前に、僕は食卓で固まっていた。昼間見た映像が凄まじすぎて、食欲が湧かない。母親の顔を見ると、まだどこか不機嫌そうだった。母親のよくつくる、当時僕がそれほど好きではなかったニンジン炒めを、エイヤ、と頬張る。熱せられた濃い油の味が、口中に広がった。

 「ウ、ウゥ……」喉元に、何か込み上げてきそうな感じがするのを、僕は何とか抑えた。

 最近、図書館へ行った時、当時の記憶を確かめたくなり、1988年6月の地元紙を開いてみた。今では無くなったり、名称が変わったりした、たくさんの映画館の上映スケジュールが載っていた。その一つに『人喰族』を見つけた。振り返れば、今の時代なら、映倫による年齢の観覧制限が確実にされる作品だ。「あなたは二度と食事ができなくなる!!」と、当時知らなかったキャッチコピーを見て、少し驚き、苦笑してしまった。映画の内容によっては、観覧年齢制限が厳しく設けられる現在の状況に、自分の体験を通して納得しながらも、良し悪しはともかく、何事にも大らかだった時代を何か懐かしく、おかしく感じた。

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