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あいらぶエッセイ②「お世話になった方へ、ありえない贈り物をしてしまった話」

 車中で、しばらく僕は呆然としていた。無いのだ。もう一つの紙袋に入っていたものが……。代わりに、トマトやキャベツなどの入った紙袋は残っている。実家から出発してからのことを、僕はもう一度振り返った。

 日頃、お世話になっていたYさん夫妻へ、ある年の正月、贈り物をすることを思いついた。僕より年が三十歳近く離れたYさんはとても名の知れた人であるのに、誰に対しても気さくで、率直に接し、遊び心のある粋な人だったので、多くの人に慕われていた。仕事の関係で、僕はよくYさん宅を訪れた。
 柔らかい雰囲気の奥様が、とても親切な方で、いつもにこにこ僕を迎えてくれた。正月に挨拶で訪れたときには、おせちから天ぷら、イナムドゥチなどのたくさんの料理をふるまってくれ、
「あなたはもう、私たちのお友達だから、来年もいらっしゃいね」
と言ってくれた。僕はその言葉に甘え、翌年も翌々年も、図々しく正月に訪問した。
 その正月、僕は奥様の顔を思い浮かべながら、それまでよくしてくれたことへのお返しをしようと思い立った。僕の父親が、自宅から結構離れた郊外で、趣味としてはやや本格的な畑を当時していて、実家には様々な種類の新鮮な野菜が年中、豊富にあった。それをYさんと奥様へ贈るのだ。
 トマトやキャベツ、ジャガイモ、冬瓜などを、大きめの複数の紙袋に詰め、マイカーの後部座席に載せた。そのとき座席に、数日前から置きっぱなしにしてあった似たような紙袋が一つ目に入ったが、やり過ごした……。
 その正月は他に予定があったので、Yさんと奥様に挨拶を済ませ、すぐにお暇することを告げ、贈り物の紙袋を手渡した。
「もう、こんなして、気を遣ってくださらなくていいのに」
 奥様が言い、二人とも嬉しそうだった。
「うちの父が無農薬で作ったもので体にいいので、ぜひ召し上がってください!」
 僕も笑顔で言い、少しは二人にお返しができたような気がして、すがすがしかった。
 自宅へ戻り、車の後部座席に残っていた紙袋を取って何気なく中を覗くと、ぎょっとした。たくさんの野菜が紙袋に入っていたのだ。僕は紙袋を取り違えてYさんと奥様に渡していた。もともと座席にあった紙袋の中身を僕は懸命に思い起こす。確か、数日前の忘年会の余興で使った道具類が入っていた。長めのカツラや、穴が開いた使用済みのビンゴ用紙、景品として当たった僕には用のない赤ちゃんの洋服などだ……。血の気が引いた。急いで電話をかける。
「Yさん……さっき、お渡ししたものですが……」
「うん……」
 微妙な空気が流れている。すでに中身を見た後なのだ。
「袋の中の、あなたからのメッセージを、さっきから考えていたよ……」
 懸命に笑いをこらえながら話すYさんの声を聞きながら、僕はさらに血の気が引き、冬なのに体中から汗が噴き出すのを感じていた。

 僕が会社を辞めて数年がたち、Yさんと疎遠になっていた今年。コロナ禍の中、元同僚から電話があった。Yさんがそばにいて、僕が今どうしているのか、知りたがっているとのことだった。Yさんと代わる。
「ちゃんと飯は食えているか?」
 少しくぐもった、変わらない、気さくで温かいYさんの声が胸にしみた。あり得ない失礼な失敗をした僕だが、振り返ると、あの出来事を境にYさんとの距離が縮まったように思える。同じミスを繰り返してはいけないし、もちろんミスが笑って済ませられないこともある。でも、失敗も悪くないな、とも思った。
 新型コロナの広がりが落ち着いたら、久しぶりにYさんと奥様に会いにいきたい。

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