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あいらぶエッセイ⑥「異国のホワイト・リリー」

 40歳を手前に、長年勤めた会社を辞めてフリーになり、人間関係が一気に希薄になった。しかも、昨年来の新型コロナ感染拡大のせいで、家にこもる時間が長くなり、僕は隠居したジイサン(今のお年寄りの多くは活動的だが)のような生活を送りつつあった。年ばかり食って、いまだ一度も実現していない結婚が、さらに遠のいていく。

 ヤバイ……このままではいかん!僕は意を決して動き出すことにした。
 世間ではすでに利用が当たり前になった、マッチングアプリへの初参戦である。そこで人生の伴侶と出会いたい。スマートフォンからインターネットに接続し、登録を試みた。

「なに……!? ちゃんとした顔写真が必要だと!?」

 新卒の学生が、就職活動の際、大手企業へのエントリーシートに記入するがごとく、自分のプロフィールを練りに練って完成させたのに、顔写真の提示を求められた。そのへんの裏紙に得意の似顔絵を描いて写真に撮り、載せようとしたが弾かれた。20代の頃の怖いもの知らずの僕ならいざ知らず、他人の目を真夏の日射のごとく気にするようになった今の僕にはできない……。

 そのアプリを即座に退会し、必ずしも顔写真を載せる必要のない別のアプリを探し始めた。難なく見つかる。登録された女性の写真が次々表示され、僕は少し怯んだ。お前のダメなところはその弱気な性格だ、乗り越えろ!自分を叱咤する。

 その女性は、高級ホテルの一室か、ラウンジのような場所で椅子に腰かけ、優雅にスイーツを口に運んでいた。そして何より、絶世の美女だった。僕の胸は高鳴り「いいね」ボタンを恐々押してみる。特に反応はない。それでも少し、そわそわした。

 「チーーン!!」しばらくして、突然、僕のスマホの受信音が鳴った。急いで手に取る。その女性からのメッセージだった。
「いいね、を送ってくれてありがとう。私は台湾人。あなたは日本人ですか?(すべて英文表記、後に翻訳)」

 まさかの外国の方だった。僕は焦る。出会いを求めていたが、外国人は想定外だった。急いでインターネットを開き、普段ほぼ利用しない自動翻訳サイトへ飛び、彼女からのメッセージ文をコピーしてそこへぶち込んだ。日本語で返信メッセージを考え、それを英文に自動翻訳し、おそらく、今や中学生レベルの僕の英語力で急ぎ確認し、彼女へ送った。普段の仕事よりかなり手際がいい。

「僕は沖縄人です。あなたとつながることができて嬉しい。僕は英語が苦手で、メッセージを送るのに時間がかかります(以上、自動翻訳サイトで変換したたどたどしい英文)」

 それから、僕と彼女の愛の(?)メッセージ交換が始まった。
「私は日本人のボーイフレンドを探している。あなたはどのような関係の女性を探しているの?」
「僕は、あなたのような美しい女性と出会い、会話を重ね、さらに深い仲になることを望んでいる」
「私たちはいい関係になりそうね。lol」(※「lol」は「笑」という意味。僕も初めて知った)

 そのうち、彼女が、マッチングアプリ以外のLINEアプリでのメッセージ交換をやたらと求めてきた。僕は一度了承しかけたが「あなたのことを信じているが、もう少しやり取りを重ねてから個人情報は伝えたい」と言った。彼女は「あなたはしっかり者なのね。いいわ。私はそのような人が好きよ」と言ってくれた。彼女への僕の気持ちはさらに燃え上がる。
 僕は、彼女の心を射抜く決め台詞を考えた。それまで出会った人や、お付き合いした恋人へ送ったことのない単語が閃いた。可憐な容姿は、あの花にそっくりだ。

「美しい人よ、あなたはまるで、ホワイトリリー(白百合)のようだ」
「lol」

 いつか会いたい、と僕が伝えると、彼女はこうも言ってくれた。
「台湾へのあなたの到着を待っている」
「ぜひ、沖縄にも来てほしい」
「私は海の写真が見たいわ」
 そのマッチングアプリで写真の送受信はできず、おそらく彼女はLINEを通して僕に海の写真を送ってほしかったのだと思う。だが、僕はそれを避け、インターネットを経由したデータの無料転送サービスを使い、そこに写真を載せ、彼女に見てくれるよう伝えた。彼女が希望を口にしたその日の夕方に、30分かけて海まで行き、撮影した上で。

「これは私のためにあなたが撮ってくれたの?」
「そう。僕がいた場所からその海岸までは遠くないから」
 言葉とは裏腹に、彼女から微かな失望感が漂っているような気がした。僕は、いつか彼女と会えると信じた。が、その直後、彼女がアプリから忽然と姿を消したのだった。僕に何も告げぬままに。

 その後、マッチングアプリに関する記事をネットで読むと、ある注意が呼びかけられていた。アプリの一般使用者のなかに業者が紛れ込んでいることがあり、彼らの特徴として、すぐにLINE交換を求めてくる。他の出会い系サイトへの誘導や、ネットワークビジネスの勧誘などが目的なので、安易にLINE交換するのは危険だと。

 僕が恋に落ち始めていたホワイトリリーは、幻だったのか……?
 呆然としながら、それ以上、巻き込まれずに済んだという安堵感が入り混じり、複雑な心境になっていた。同時に、振り返ってみて驚いたこともあった。英語にあれほど苦手意識を持っていた僕が、美女を前に、翻訳サイトを活用しつつも、懸命にコミュニケーションを図っていたのだ。それは、まったく苦ではなかった。人間、その気になれば、できるのだ。日頃モテない僕の可能性が、世界に広がった気がした。

 しかしだ……仕事の見通しが暗いなかで、こんなことをしている場合か?と我に返り、自分に若干引いてしまった。

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