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受動型ASDと不注意優勢型ADHDの当事者です。 子供の時から言葉にできない生きづらさ…

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受動型ASDと不注意優勢型ADHDの当事者です。 子供の時から言葉にできない生きづらさがありましたが、 発達障害の症状は本当に人それぞれで、調べてみてもしっくりくる情報があまりに少ないと感じ自分自身で発信してみようと思いました。 こういう人もいるんだと参考程度に見てみてください😌

最近の記事

発達障害で学んだこと

発達障害者として生きてきて、大半は生きづらいことや対処できない辛いことだった。ただ、その中でも全部が全部他の人に比べて劣っているかというと、そういうわけでもないと思う。 自分自身が発達障害として生きてきて感じたことを書いていこうと思う。 人に優しくできる人の失敗や容量の悪い人、能力面において大半の人を許容できる。 なぜなら自分ができないから。 どう頑張ってもできないことがあると身をもって知っているし、人に説明しようもないことが起きることもわかる。 そういう人を見たと

    • 場面緘黙症の時にありがたかったこと

      嫌だったことはこの間書いたので、今度はやってもらって嬉しかったこととか、助かったことを書いていこうと思う。 何事もないように扱ってくれる喋らないからと言って気を遣うわけでもなく、他の人と同じように普通に話しかけてくれたり接してくれるのはとてもありがたいと思った。 はいかいいえで答えられないことは声を出していたから(それでも絞るような声だけど)、質問されたら喋れることを周りに伝えるチャンスだと思っていたし(少しでも緘黙症から脱したかったから)、単純に周りとコミュニケーション

      • 発達障害で働く辛さ②

        私が仕事で困っていたことを具体的にあげていこうと思う。 とにかく覚えられないこれは前回の記事でも書いていたが、一度言われたことが覚えられなくて何度も何度も同じミスをする。 先輩には、「前もそれ言ったよ」と言われる。 他の人も、私の直属の上司に「どうしてあんなにできないの?」みたいなことを聞いていたのも知ってる。 特性でできないのに、できないことへの焦りやプレッシャーもすごかった。これ以上はもうミスできないという気持ちに追い詰められていた。 あまりのミスの量に、終礼の

        • 発達障害で働く辛さ①

          もともと生きづらく、診断も受けた為自分が発達障害だという認識は一応あった。だけどその詳細は自覚できていなかった。 ただ社会人になってからは、それを無視できなかった。 発達障害にかなり翻弄されたから。 入社してすぐの問題は、まず覚えられない。 説明を受けてメモを取るが、バイトのときとは違う知識量や、任されることの量が(正社員としては当たり前の量だと思うが)格段に増えた。 バイトのときは飲食店で働いていたが、1つの持ち場をずっとやっていたため、特に居づらさもなくしっかり

        発達障害で学んだこと

          場面緘黙症で辛かったこと

          小学校から中学卒業までの9年関、場面緘黙症で学校では喋るとこができなかった。 もちろんそのせいで友達が作れなかったのが一番しんどかったけど、その他にも具体的にしんどいことがいくつかあった。 それをあげていこうと思う。 「どうして喋らないの?」と聞かれるこれは直接聞かれるパターンが割と多かった。 もちろん気になるのはわかる。 でも私自身どうして喋らないのか説明がつかなかったから、こう聞かれても何も答えることができなくてずっと黙ったままになることしかできなかった。 発

          場面緘黙症で辛かったこと

          楽しい?大学生活

          高校までとは打って変わって、大学は辛いことがあまり無かった。むしろ一番楽しかった。 でも根本が変わらない自分として生きるには どうしても日々人に見せている顔と自分の苦しさが違っていた。 当時は授業が長く、生きづらさはやはりあったものの、大学内の人間関係や授業の成績などは、過去の経験から学びこの頃にはだいぶ適応できるようになっていた。 クラスで友達がなかなか作れず、本気で友達できないかもなって思ったけど、周りはもう大人になってきてるし一人でいるのもさほど気に留めてなかったけ

          楽しい?大学生活

          過剰適応の高校時代

          高校は中学校の知り合いが少ない高校を選び、次こそは同じ失敗を繰り返すまいと気をつけました。(詳しくは前回の中学校編で。) 私が行った高校は小学校からの知り合いが一人だけいるところでした。 そこだけ気がかりだったのですが、無事に違うクラスになり、新しい出会いもあり友達も作ることができました。同じクラスだったらまた違っていたと思います。 また、部活にも参加していたため(中学は緘黙症が辛く途中でやめてしまったが)そこでも友達が増えました。  知り合いがいない状態で入った高校

          過剰適応の高校時代

          自分を怠け者だと思っていた診断前。場面緘黙症の小学校〜中学校時代

          前回は診断の直接のきっかけを書きましたが、診断に至るまでに悩みに悩んだ期間のことをもう少し詳しく書いていこうと思います。 小学校時代小学校1年生から卒業までずっと学校で喋ることができませんでした。 どういうことかというと、学校関係の人(先生や友達)の前では一言も言葉を発せなくなってしまうのです。言葉の発達に遅れは見られないにも関わらず(発達障害や過剰な不安などが原因と言われており)話すことができなくなってしまうのです。 ただし緊張が強い場面においてなので、家族の前では普

          自分を怠け者だと思っていた診断前。場面緘黙症の小学校〜中学校時代

          診断のきっかけ

          私は生まれてこの方ずっと片付けが出来ませんでした。 子供の頃から私が使った部屋はすぐに散らかります。 ですが私はずっとそれを疑問に思いませんでした。 ただそれは私だけで、家族はそうではなく、私が小学生の時からずっと片付けるよう言い続けていました。 ただ私自身も片付け方がわからないというのと、幼少期から汚部屋で育っているので家が散らかっていることに違和感を感じていませんでした。何をしたらいいのか、やったらどうなるのか想像できず、言われてもやらず、終いには(私にとっては)

          診断のきっかけ

          自己紹介

          はじめまして。tanです。 私は発達障害(受動型ASD不注意優勢型ADHD)の当事者です。 幼い頃から特性に悩まされてきましたが、言葉にできない漠然とした居心地の悪さだった為、今まで自分の症状をよく知らず、ズレていることにもあまり気づきませんでした。ですが小学校高学年くらいから高校生にかけてとても生きづらく、親からの指摘もあったため大学生の時に半信半疑ながら受診したところADHDとアスペルガー症候群と診断されました。 当事知識がある人が周りにいなかったことと、自分自身で

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