場面緘黙症で辛かったこと
小学校から中学卒業までの9年関、場面緘黙症で学校では喋るとこができなかった。
もちろんそのせいで友達が作れなかったのが一番しんどかったけど、その他にも具体的にしんどいことがいくつかあった。
それをあげていこうと思う。
「どうして喋らないの?」と聞かれる
これは直接聞かれるパターンが割と多かった。
もちろん気になるのはわかる。
でも私自身どうして喋らないのか説明がつかなかったから、こう聞かれても何も答えることができなくてずっと黙ったままになることしかできなかった。
発達障害のことでもそうだけど、自分で認識する前に人から「何でできないの?」とか聞かれることがとてつもなくしんどい。
「あ」って言ってみて
これはシンプルに嫌だった。無理に喋らせようとするのが不快で仕方なかった。
そもそも言えるし、授業で音読するときだってなんとか絞り出して喋ってた。
大体親しくない人に「あ」とか言うことが単純に嫌だ。
私に直接言ってくる人が多かったけど、何よりも嫌だったのは私の同級生がそれを私の姉妹にも言ってることだった。
私が喋らないせいで姉妹が喋ってみてと言われたことがあると家で聞いた。もちろん家族からの理解もないから嫌がられてたし、それを聞いた親も一緒に私に対して怒ってきた。これはめちゃくちゃいい迷惑だった。
肩身があまりに狭すぎる
これは小中学生の行動範囲を想像するとわかると思うが、だいたい地元。塾も遊ぶ範囲も親と買い物する範囲も。なので家族がいるときにクラスメイトや学校の関係者と会うことがあるが、話せなくなる。
誰であろうとその場に一人学校の人がいるだけで、別人のように笑えなくなるし話せなくなる。ただそれを親に見られたら怒られる。だから授業参観や学校のイベントで校内で姉妹と会うときはとても嫌だった。
自分でいられる場所があまりに少なすぎた。
正直家では喋ってることを姉妹が学校で言いふらしたらと思うときもあったし、実際に外ではそう言われてたと思う。
とにかく隠したい過去だった
人に説明できないことで、友人と過去の話をするときにもエピソードがないし、そのたびに緘黙症のことを思い出していた。でもこんなことしてる人はもちろん周りにいなかった。それを隠しているということもコンプレックスだった。やっぱり人は隠さなきゃいけないことがあるとどうしてもそれがコンプレックスとなる。コンプレックスだから隠すのかどっちなのかはわからないけど。
だから、今仲良くしてる友達もこんな過去は持ってないんだなと思うと心を開けなかった。あくまで他人だと思い知る機会が多かった。
緘黙症を知った今ではしょうがなかったことだと受け入れられてるけど、それまでは恥ずべき過去だった。
ありがとうも言えない
これは友達や周りの人が何かをしてくれたときに、内心はめちゃくちゃにありがたいのに言葉が出ないこと。
正直、緘黙症になると周りの人間性がよくわかる。
変わり者やあぶれ者に対して優しい人って本当に優しい。
私は暇な分人のことをよく見ていた。友達には調子よく合わせていても私に強く当たる人。定型発達の中ではいわゆる優しい人でも、孤立者には強く当たっていいと思っている人、普通以外理解できない人(それが大多数だろうし、私は傍から見て理解できなさすぎたと思う)、一方的に嫌ってくる人など。直接の関わりがなくても後ろ指差して勝手に笑ってくるやつとかまあまあいた。私だからいいやみたいな感じで。喋らないからって無関係な人になにかされる筋合いもなかったけど、ちょっかいかけてくる人はいた。逆に本当に無関心で気にしてないんだろうなって人もいた。あとは最初は話してくれてたけど、私が何も喋らないから離れていく人もいた。もちろん周りだけが悪いとも思っていない。私に原因がある。
ただその中で普通に接してくれる人とか優しくしてくれる人って貴重だった。
そういう人たちに何かをやってもらったら涙が出るほど嬉しかった。気持ち悪いかもしれないけど今でも思い出せる。
ただそのときも声は出せない。友達にはかろうじて言えた。だからせっかくの好意を無下にしたと思われるのが一番辛かった。どうしてここまで喋れないのかわからなかった。
社会人になった今は緘黙症ではなくなったが、人と二人きりのときに喋れなくなりかけることや、職場の人と普段通りの調子で話せない(過緊張)のを思い返すと、緘黙症の気は少し残っているかもとは思う。
とても励みになります😌