楽しい?大学生活

高校までとは打って変わって、大学は辛いことがあまり無かった。むしろ一番楽しかった。
でも根本が変わらない自分として生きるには
どうしても日々人に見せている顔と自分の苦しさが違っていた。

当時は授業が長く、生きづらさはやはりあったものの、大学内の人間関係や授業の成績などは、過去の経験から学びこの頃にはだいぶ適応できるようになっていた。

クラスで友達がなかなか作れず、本気で友達できないかもなって思ったけど、周りはもう大人になってきてるし一人でいるのもさほど気に留めてなかったけど、授業をきっかけに話しかけてくれた子と友達になった。

その子はいろんな人と気兼ねなく話せるタイプだった。そこから徐々に友達が増えていった。

授業はとても長かったけど、とにかく友達に恵まれた。

性格とか生活とかその他諸々、違和感をあまり感じずやっと友達ができたって感じがした。

ただその頃にはだいぶ過剰適応の癖がついていたため、本来できないこと(雑談やADHDによるケアレスミスや話の理解力のなさ)を隠して、なんとかやってはいたもののやはり辛いことには変わらなかった。

そもそもの生きづらさという面では幼い頃から変わってない。でも友達にも自分のことを話すということに慣れておらず、弱みは一切見せられなかった。

楽しいし、友達のことも好きだけどやっぱり定型発達の人と同じような関係は少ししんどかった。何人かでいつも一緒にいたため、誰かしらが話していれば楽しかった。でも二人きりのときは何を話せばいいのかわからなくなったり、私がずれてることが露呈するかも、変に思われるかもと思うと肩の力は抜けなかった。

とにかく出来ないということで注目を浴びたくなかった。

その時期は同時に家での親との関係も、小言続きでそれがとてもしんどかったんだと思う。私は特段辛いことはなかったのに(辛さを認識できていなかったのと、そもそも生きていることそのものが過剰適応だからそれ自体がストレスだが)ある日円形脱毛症になった。

傍から見れば普通に生活してるだけで(私自身は騙しだまし、隠しながら全神経を使っていたが自分でそれに気がついてなかった)そうなったのだから友達にも心配された。

でも言いたくても絶対に言いたくない。やはり人といることが居心地いいとはまだ思えてなかった。

何も問題がないように見える生活の中でもやはり自分だけ毎日違和感があって辛い。この感覚がとてつもなく居心地が悪かった。

とても励みになります😌