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発達障害で働く辛さ①

もともと生きづらく、診断も受けた為自分が発達障害だという認識は一応あった。だけどその詳細は自覚できていなかった。

ただ社会人になってからは、それを無視できなかった。

発達障害にかなり翻弄されたから。

入社してすぐの問題は、まず覚えられない。

説明を受けてメモを取るが、バイトのときとは違う知識量や、任されることの量が(正社員としては当たり前の量だと思うが)格段に増えた。

バイトのときは飲食店で働いていたが、1つの持ち場をずっとやっていたため、特に居づらさもなくしっかりこなせていた。むしろ褒められることも多かった。(シングルタスクなら得意だった)でもそれはバイトっていう立場で1つしかやらないからだと自覚していた。社会人になったら仕事やコミュニケーションの面でどうなってしまうんだろうとは思ったけど、その通りだった。

いろんな説明を1日に受けるため、メモを見返そうとしても組み立てられない。どこがどうつながるのかわからないから本来入ることも頭に入らない。ADHDの特性として優先順位がわからないと言うのがあるが、それが明らかに出ていた。

一つ一つ覚えれば確実に頭に入ることばっかりなのに、混乱してしまう。入って数日でキャパオーバーだった。

一つのことも覚えないうちにまた次の日には別の説明をされる。正直何もわからないのになんとなくやっていた。ただ同期は言われたことをできている。だからただ単に私が出来ないんだと思った。

私は発達障害のことを知っていたから、正直できないのは多少は仕方のないことだと思っていた。しかしそれは周りの人にはわからない。私の態度がぼーっとしてた(過緊張で笑えないし、何を言えばいいのわからないから考えすぎて反応も薄い)のと、何度言っても同じミスを繰り返すことでかなりイライラされていた。

自分に対する私の認識と周りの人の認識の間で苦しんだ。わかっていて伝えられないもどかしさと、そのせいで損しているという気持ち。

入ったばかりだし発達障害だからできませんと言うには早すぎる気がした。それを免罪符にしていると思われるのも嫌だった。あとは単純に言葉にできるほど自分自身の特性をわかっていなかった。

もう少し粘って時間が経てば覚えられることもあるかもしれないと思った。それに周りの人に迷惑かけまくっている自分が、周りに辛いということがどうしてもできなかった。どうしたってできないから1日に1回は絶対にミスを指摘されるのをわかっていながら、長い時間拘束されに行くと言うことが毎朝苦痛で仕方なかった。逃げ場がないとわかってて辛い思いをしに行くのが耐えられなかった。その後なんとか3年以上勤めたけど、本当に我ながらよくやったと思う。

周りは私を好きじゃないし、できない新入社員の味方っていないんだなって思った。相談すればよかったのかもしれないが、この頃には周りの人が怖くなっていて飲み込むだけで精一杯だった。(人に相談するとか愚痴を吐くとかもっとできることがあったと思われるかもしれないが)

あとは、これ以上自分の評価を下げたくないって気持ちが一番にあったから、職場では絶対に泣かないし言われたことには従うと決めていた。

でも、周りの人達は私ができないせいで迷惑を被っていることを、周りの人同士で共有できるけど、私は誰にも自分が発達障害でできませんとは言えないし、周りの人が嫌そうな顔してるのもわかってて、一人で耐えなければいけないということに理不尽さを感じていた。加害者意識と被害者意識の中で毎日揺れ動いていてとても辛かった。

この頃発達障害のことを誰にも相談できていないので、職場にも一人で立ち向かうということができなかった。本当は何回も言いたかったけど、これで理解されなかったら私のメンタルはやばいという危機感を持っていた。だから必要以上に自分も周りも刺激しないようにと一人で必死になっていた。

正直泣きたい日なんて数え切れないほどあった。喋ったら涙が出ちゃうから人の言うことにあまり反応しないのもあったし、あとはできないということで相当に萎縮していて、職場であまり笑えなくなった。それも相まって、絡みづらい人だと思われていたと思う。

このあとも辛さをどこにもアウトプットできないまま、3年以上ひたすら耐え忍ぶことになるが、最終的にはやはりそんなやり方では持たずに退職することになる。


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