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自分を怠け者だと思っていた診断前。場面緘黙症の小学校〜中学校時代

前回は診断の直接のきっかけを書きましたが、診断に至るまでに悩みに悩んだ期間のことをもう少し詳しく書いていこうと思います。

小学校時代

小学校1年生から卒業までずっと学校で喋ることができませんでした。

どういうことかというと、学校関係の人(先生や友達)の前では一言も言葉を発せなくなってしまうのです。言葉の発達に遅れは見られないにも関わらず(発達障害や過剰な不安などが原因と言われており)話すことができなくなってしまうのです。

ただし緊張が強い場面においてなので、家族の前では普通に話すことができました。(場所に限らず話せなくなってしまう方もいるようですが。)

学校では言葉を出さずに頷いたり首を振って周りとコミュニケーションを取っていました。でも幸い同性にはあまり嫌われておらず(男子の中では馬鹿にしたりちょっかいを出す子もいましたが)、友達は居て放課後や休み時間はよく遊んでいました。また、漫画を書くのが好きでそれも友達を作るきっかけになっていました。

ですが授業参観や面談のときに親がそれを知ったときはとても怒られました。家では話していたため私が遊びで喋れない人の真似をしていると思われとても怒られました。私はそんなつもりはなかったためびっくりしたのを覚えています。だけど今更急に喋ることもできないしと思った私は、親には内緒にしたほうがいいんだと思うようになりました。それ以降は肩身は狭かったですが友達は優しかったしわりかし平和な学校生活でした。(学校からの書類を溜め込んだり、連絡事項を聞いていなかったり、忘れ物を頻発したりと、ADHDの症状は全開でしたが。)

てすが、小学校高学年でのきっかけに、私の学校生活はガラリと変わりました。

転校を親から告げられたときは、寂しくはありましたが次の学校では喋ろう!と思っていたためそこまで悲しい気持ちもありませんでした。肩身の狭いところから抜け出せるという感覚もありました。

ですがいざ転校してみると、全く馴染みのない環境で見たこともない顔ぶれで、しかも周りは知り合い同士で私一人で1から友達を作らなければいけない。私は馴染むことができませんでした。私は今まで自覚していなかっただけで、友達の作り方がわからないのだとそこで思い知ることになりました。 

転校初日にたくさんのクラスメイトが話しかけてきてくれたのは覚えています。そしてその後しばらく仲良くしてくれていた子がいたのも覚えています。ですが、自発的に関わっていくということができずに、どこのグループに入ればいいのかもわからずに、休み時間はずっと椅子に座っていました。いじめられているわけではないけど仲のいい友達もいないという状態に陥りました。

はじめは私も緘黙症からは脱することができて、話したり笑ったりできていました。ですが次第にまた話せなくなっていき、結局また前の学校と同じ状態になってしまいました。

そして年齢がある程度上がっていたのもあり、低学年ほど無邪気に自然と友達は作れませんでした。

そしてそれは中学校卒業までずっと続きます。

成人してから「緘黙症」という概念を知ることになりましたが、それまでずっと自分の意思で喋っていなかったのだと思っており、自分はふざけたことをしている人間だと思っていました。その為、緘黙症を知るまで人に説明がつかず、あれはどういう現象だったんだろうと言う認識で生きてきました。

中学校時代

中学校では他の小学校の生徒も合同で通うことになるため、変に思われる前に私はどうしても緘黙症をやめたかったのですが、同じ小学校の人たちの目が気になるのもあり、急に学校で喋ることはできませんでした。

そのためまたズルズルと卒業まで話せなくなってしまいました。

幸い1年生のときは新しく知り合った子が話しかけてくれて、私は話せなかったのですが何かあるときはその子達が一緒に過ごしてくれました。また担任からは、私が人に流されない(正しくは入っていけない)様子を見て、自分がある子だという評価を受けていました。

ですが、2年生になってクラス替えをきっかけにその子達と離れてしまい友達がいなくなってしまいました。

周りは同じ小学校の友達や、1年生からの友達と仲良くしていたため、完全に孤立することとなりました。

毎年クラスに誰かしら、話せないことをからかってくる男子がいたのですが、その年はそれすらもなかった為、本当に空気のような存在でした。中学校生活で1番しんどい年だったのをよく覚えています。話したくても話し方がわからず関わっていけず、ただ一日をやり過ごしていました。休み時間も椅子に座っているだけなのでとても苦痛だったことを覚えています。そして担任の先生すら、何を考えているのかわからない私をどう扱えばいいのかわからず困った顔をよくされていました。担任にすら見放された感じがして、先生だからって理解があるわけではないんだと思い、家でも学校でも本当に孤独な一年でした。今までは学校に行きたくないと思いながらも、行けば意外と何事もなく(時間が経つのはとても遅いが)終わるということを知っていたため喋れなくとも毎日登校していましたが、この年は学年が終わるにつれて緊張の糸が切れたのか心の底から行きたくない日が続き、年明けからクラス替えをするまでズル休みをする回数が増えていきました。

3年生に上がると、1年生のときに話してくれた子の友達と同じクラスになることができ、そのこと毎日一緒にいました。休み時間も一緒に過ごしてくれて、3年間の中ではわりかしいい方だったと思います。

ですが転校してからずっと友達がまともにいないのと、周りの女子を見ると自分のような人がいなかったためにそれがとてつもないコンプレックスとなります。学校関係のイベントや集まりはとても苦痛でした。

今考えるとよく学校に行けてたなと自分で思いますが、家族からは理解がなかったのと、相談できなかった為変に思われることを何よりも恐れて説明もできませんでした。不登校になることもできませんでした。

おそらく三年間ずっと感情が麻痺していたのだと思います。学校で笑えませんでした。

中学はもう諦めて高校は必ず緘黙症を断ち切ろうと決めたのでした。

ちなみに授業の方も散々でした。提出物を出すということが入学してからずっとできませんでした。どうしてかというと、出さなきゃいけないものだと認識できなかったのです。また、学期ごとのテストの時も、テスト勉強をするということの意味がわからず、そのまま挑み続けていました。それはやりたくないからとかではなく、本気で何をやればいいのかわからなかったのです。テストだから勉強するということがわからなかったのです。

みんなが当たり前にわかっていることを自分だけ認識できていないのも生きづらさの原因でした。そのせいで、おとなしくて真面目そうなのに成績が悪い、いわゆる真面目系クズとなりました。とても居心地が悪かったです。自業自得ではあるのですが、人に説明できないところでつまずいているというのがとても苦痛でした。その為高校では同じ居心地の悪さは経験したくないと強く思うようになりました。


次回は高校生活について書いていきます。



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