診断のきっかけ

私は生まれてこの方ずっと片付けが出来ませんでした。

子供の頃から私が使った部屋はすぐに散らかります。

ですが私はずっとそれを疑問に思いませんでした。

ただそれは私だけで、家族はそうではなく、私が小学生の時からずっと片付けるよう言い続けていました。

ただ私自身も片付け方がわからないというのと、幼少期から汚部屋で育っているので家が散らかっていることに違和感を感じていませんでした。何をしたらいいのか、やったらどうなるのか想像できず、言われてもやらず、終いには(私にとっては)理由がわからないことで毎日毎日顔を合わせるたびに小言を言われるので、いつからか「やるよ」と言ってやらないという交わし方を覚えてしまっていました。(当時は対処法がわからずそうすることしか出来なかったのですが中々悪質ですね…😓)

しかし中学生くらいの頃あまりの私のやらなさにある日とうとう母がブチ切れてしまい、「あんたどっかおかしいんじゃないの!?」「絶対どっか欠落してるよ」「病気でしょ」「欠陥があるよ」と言われました。

これだけ聞くとひどい言い様だと思う人もいるかもしれませんが、母も訳もわからず自分の言うことが何年も何年も娘に響かないものだから相当なストレスだったと思います。

そして当時は私自身もやらない理由がない(自覚できていない)のにやらない(正しくは出来ない)ということに居心地の悪さと、自分がやらないせいで周りを怒らせているという認識を持っていたため何も言い返すことはできず、その時はただ黙って毎日母の小言に口答えをせず受け入れてました。

そのために今に至るまでずっとその言葉や私への評価がトラウマとなるのですが…。

このやり取りが覚えてる限りだと大学生くらいまで続いていきます。今思うと母もかなりうんざりしていたとわかりますが、当時はただただ何もわからず否定をされてそれを受け入れるという状態でした。…😓

そしてそれと同時に、中学生から高校生にかけて私はとても学校で居心地の悪い思いをしていたため(詳しくはまた後日書きますが)、高校生2年生くらいから大学1年生くらいにかけて「自分はADHDかもしれないしそうじゃないかもしれない」という思いに日々悩まされていました。

ADHDという漠然とした概念が理解できず、他にあるであろう症状(多動傾向)が自分にはなかったことでかなり長い時間受診に至らず、一人で悩んでいました。その当時は知識がなかったことと、客観的に自分を見れていなかったことで、発達障害ではなく自分はただの怠け者と思っていたのです。

また、聞いたり調べたりすればよかったものの、もともと私には人に相談するという概念がなかった為に何年も一人で結論が出ないまま悩み続けることになりました。

発達障害っぽい言動を自分の中から日々探してはそれに結びつけるという作業を無意識にやるようになってました。

ただやはり色々気になるところはあるものの、親からの小言が続いておりそれが一番のストレスになっていた私は大学2年生(20歳頃)のときについに受診しようと決めました。(決して親が悪いと言っているわけではなく、私だけが被害者という認識でもないですが、訳もわからずずっと人格的な部分も含めて否定され続けるということがとてもしんどかったのです。)

当時は発達障害を診てくれる病院が近所にとても少なかったというのと、未成年だった為に親の同意を得ず一人で受診できる所もほとんどありませんでした。

ただ、私は自分のことを人に話すことがとてつもなく苦手で苦痛だった(今もですが)のと、何を言われるかわからない怖さで親に話してついてきてもらうということがどうしても出来ませんでした。

社会的な振る舞いや生き方がわからないながら、見様見真似で乗り越えていた時期でもあったので、周りを見ていて自分だけがおかしいこと、自分の感覚と人の感覚は大きく違っていて理解されないということを学んでいたために自分のことや悩みを人に伝えるのは絶対にやってはいけないと思っていたのもかなり大きな原因だと思います。

幸い2件ほど一人で受診できる病院があった為受診しました。

そして発達障害の診断を受けることになるのですが、1軒目に行った病院では簡易的な紙のチェックシートを記入し発達障害という診断を受けました。

ただ、発達障害を診断できる医師が少ない為か、医師はほとんど知識がないようで、「ADHDでも活躍してる偉人はいたみたいだから頑張ってね」程度の話で済まされ、コンサータを処方されました。

ですがあまりに適当な対応だった為に、不信に思い、2件目の受診を決めました。

そこでは医師の問診(幼少期から)と血液検査、WISC検査を行いましました。

そこでも発達障害の診断を受けましたが、ADHDとASD傾向があると言うことでした。

私自身はADHDのみだと思ったため、ASDという診断に少し衝撃でした。その当時は知識もなかった為、アスペルガーと言えば積極奇異という認識で、どうしても自分と結びつけることができませんでした。後に受動型のアスペルガーがあると知ることになりますが…。

そこから今に至るまで少しずつ発達障害という概念を知っていくことになりました。



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