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1954년 초파리 양돈장 朝鮮帝国保衛部管轄の「オスチョッパリ養豚場」のご高齢の女看守長さまの朝鮮ムチに毎夜、鳴かされる劣等種イルボンのオス豚たち。K国 k国モノ 崇韓 崇朝鮮 チョッパリ 韓女 韓国崇拝 朝鮮崇拝 マゾチョッパリ


1954年と言っても読者の日本の皆様には、はるか遠い話でしょうかそれとも多くの日本の方たちはまだ生まれてもなかったでしょう。その時代、戦後の復興が軌道に乗り始め、経済的にも豊かになり始めつつある頃でした。
私はその当時、二十歳そこそこの将来作家を目指すだけのノンポリのただの学生でした。当時、初秋の駅頭では朝鮮半島に夢の楽園、夢の共和国ができたので海外旅行気分で見物に行こうというチラシ配りのチラシが目にとまり、そんな夢みたいな国が本当にあるのなら、話のタネに一度、気分転換のつもりで行ってみようかという軽い気持ちで新潟の港から北の国の薄汚れた家畜船程度の船舶に乗せられ一晩、船底で揺られて早朝に北の国の港湾に停泊し身分審査が終了し、同じ船に乗っていた十名ほどの日本人の同じ年頃の男性たちと共に北の国の土を踏んだのでした。そして目にしたのは日本では考えらえないほどの今にも崩壊しそうな石を積み上げただけの外壁、そして錆びついて穴の開いたトタン屋根の平屋のオンボロ住居が点在している、何とも日本の戦後復興をまじかで見てきた私には自分がいま立っている北の国が夢の楽園どころか時代が、いや、時間が停止している世界なのか軽い混乱をきたしていたのだ。それからの記憶が、我々は、現地の朝鮮語なまりの日本語で話す日本語通訳の頭が禿げ上がった初老の男性が運転する薪を燃料にした木炭バスに乗せられ山間の村落にある招待所と呼ばれる施設でそこの村長らしき頭が禿げ上がった男性に歓待され、度数の高い独特のエグみのある朝鮮酒をふるまわれ、意識が遠のいていったのです。
そして、何日が過ぎたのか定かな記憶がないまま、目覚めた時には私は全裸で、薄暗いバラック小屋の湿気た藁の上で寝かされていたのです。驚いたことに私の周囲には真っ白で大きな豚が何十頭もそれぞれが一頭分の木製の仕切りに入れられブヒィブヒィと鳴いている養豚場だったのです。まじかで本物の豚を見たのが初めての私はその時、本当に驚き混乱したのです。目が覚めた時には気づかなかったのですが黒皮の手枷と足枷をきつく嵌められて、口には口から顎までを覆う黒皮の口枷を嵌められ言葉を発することが困難な状態で私も周囲の豚と同様に木製の仕切り板に仕切られた中に、転がされていたのです。
それから数時間が過ぎた頃でしょうか、日も沈み始めた初秋の北の国いえ、朝鮮人民共和国、北朝鮮の秋の夜風は肌寒く、天井の薄汚れた蛍光灯の光が、周囲の数十頭の豚の体温が高いのか豚の体から立ち昇っている白い蒸気に艶めかしく反射しているのです。それをぼーと見つめていたときでした。
養豚場の入り口の鉄柵状の扉がきしむような音をたてて開かれて、数名の人物がこちらにヒソヒソ話をしながら歩いてきて、私の前で立ち止まり、一呼吸おいて、会話が始められたようです。会話はしてるのは聞き覚えのある声だった。朝鮮人の朝鮮語なまりの日本語で話す日本語通訳の頭が禿げ上がった初老の男性と招待所と我々を歓待してくれた頭が禿げ上がった村長らしき男性と、もう一人、朝鮮保衛部の女性幹部らしき太ももを露わにした短いスカートの制服に身を包んだ高齢で恰幅のいい体格で足にはピカピカに黒光りさせた朝鮮ブーツを履いた人物が、右手に持った朝鮮ムチを、右足の黒光りしている朝鮮ブーツの甲胴部に、ピチッツ!ピチッツ!ピチッツ!とイヤらしく打ち鳴らしながら、何やら二人の頭がピカピカに禿げ上がった初老の男性たちに、朝鮮語で的確に指示を出しているのがわかるのです。
それから二人の頭がピカピカに禿げ上がった初老の男性たち、その場をニヤ笑いを浮かべながら立ち去っていった、その後から残された朝鮮人の高齢の恰幅のいい朝鮮保衛部のおばさまと私、佐々木新次郎、いや、オスチョッパリ豚番号十六号との関係「支配する人種と支配される人種の関係」が始まったのです。
【ちょっぱり養豚場心得 ちょっぱり懲戒百厳則】
一ツ、
雄チョッパリは朝鮮女性のハルモニ調教師さまの朝鮮長靴を毎夜、酢ッぱ臭い朝鮮酢でピカピカに黒光りするまで一点の曇りも無く、朝鮮長靴の甲胴表面部にオスチョッパリの哀れなブタ顔が反射して写るまで磨き上げなければならない!
一ツ、
雄チョッパリは朝鮮女性のハルモニ調教師さまの朝鮮ムチでシバカれる一ムチ毎に、心の底から「ハルモニ調教師さまカムサムハムニダ」を繰返し発声しなければならない!
一ツ、
雄チョッパリは朝鮮女性のハルモニ調教師さまが痰を吐くため「かぁーッ・ぺッツ!」と喉を鳴らした時、「かぁーッ」と耳にした時に素早く四つん這いで走っていき、大きな声で「ハルモニ調教師さまの痰唾は滋養強壮栄養剤ですカムサムハムニダ」と繰返し発声し「ぺッツ!」瞬間に大きく口を開けて痰壺として使用されることに常に感謝の意を示さなければならない!
一ツ、
雄チョッパリは朝鮮女性のハルモニ調教師さまが朝鮮長靴を履いて馴致してくださってる事に感謝の意を示すため、長時間、朝鮮長靴の中で指汗で蒸れてできた指の間の水虫の繁殖した白癬菌のを舌を使って丁寧に舐め清めなければならない!
一ツ、
雄チョッパリは朝鮮女性のハルモニ調教師さまが、長時間、腕を大きく振って朝鮮長ムチでブタを鞣し上げるブタ追い馴致が終了したあと、大量の腋汗で蒸れているハルモニ調教師さまの腋を、舌を使って丁寧に舐め清めなければならない!

まだ、残り九十五の「ちょっぱり懲戒百厳則」がありますが、今夜はさわりの五つだけご紹介して筆をおかせて戴きます。残りの九十五は、時間を見て書き足してく所存です。
また読者さまが考える「ちょっぱり懲戒百厳則」をコメント頂ければ幸いです。

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