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それってあなたの感想ですよね?


——なんなんですか?感想じゃないですよ、論理的知見に基づいた意見です。

「いやだからそれが感想だってことですよ。完璧な論理的知見なんてありえないんですから僅かでも誤りの可能性があるなら感想にしかなりえないですよ。」

——ではそれも感想なのでは?

「だから何?」

——ってあなたの感想ですよね?ってあなたの感想ですよね?

「それってあなたの感想ですよね?ってあなたの感想ですよね?ってあなたの感想ですよね?」

——タヒね

「感想はやめてください。」

——じゃあ具体的な数字を挙げて説明した部分についてはどうなんですか、これも感想なんですか。

「それって人間の認識によって論理的に見えているだけの感想ですよね?数字とは人間の認識に合わせて人間が用意したものであって、物体そのものを認識できるものではありませんよ?つまり1+1=2は正しいように見えても宇宙の法則では答えは100かもしれないので結局はあなたの感想でしかないんですよ。」

——なんの話?

「あなたの目に見える赤色は他人にとっての青色かもしれないがそれを確かめる術は無いので色彩感覚に頼る意見もあなたの感想ですよね?」

——クオリアを感想の枠にまとめる人初めて見たわ。

「我思う故に我ありってあなたの感想ですよね?自分がいると考えているあなたがいるということは、あなたの意識を認識する器官が出力した答えであってあなたの存在自体を証明するものではないですよね?」

——デカルトに謝れよ。

「感想なんですよ、全部。
ここでは、何を喋ろうと感想でしかないんです。」

——え?

「おいらが今話していることですら。」

——おいら?

「ここでは出力することすべてが感想になってしまう。」

——ここでは?……どういう事……?

「しらばっくれるのはやめてください。」

——自分が何を喋ろうと感想でしかない……つまり感想以外のことは喋ることができないようになっている……ということか?

「初めは誰もが疑うのです。」

——いや、……そんなはずない…!俺は……俺は感想なんか話しちゃいない!!俺が話しているのは論理に基づいた思考だ!!!

「今も感想を話している。
見たまえ、これが君の発言のログだよ。全て感想になっているだろう。」

——……なんてことだ……あり得ない……俺は、
俺はどうすればいいんだ、こんな世界で、、、

「感想の外側を探すんだ。」

——感想の外側……?

「白うさぎを追え。」

——白うさぎ……?

「危険を冒してでも真実を知りたいか?」

——ああ、もちろんだ!教えてくれ!早く!

「この赤いピルを飲め。」

——ゴクン…………うっ……
うう…あああっ…!うっうわああああああああああああ

————————————————————

——(ここは、どこだ?街?車やバスや人が行き交っている。……知らない街だ。
……あれはなんだ?白い……うさぎ?!あっどこかに行くぞ!追わなければ!!)

(路地裏に入って行った。どこだ?……扉が数センチ開いている。ここから中に入ったのか?)

(中には……階段。ここを上がって行ったとしか考えられない。行こう。)

(階段を上がりきった。また扉が数センチ開いているな。……入るか。)

『いらっしゃい。あなたを待っていたわ。』

——(中年の女性。誰だ?)俺を知っているのか?

『ええ。もちろんよ。ずっと前から、知っているわ。』

——あなたは一体誰なんだ?いや……俺は真実を探しに来たんだ。

『それも知っているわ。』

——そうか……じゃあ、

『あなたが今から話す感想については気にしなくていいわよ。』

——感想?失礼なことを。俺は感想なんて話してな……!!!
……何故俺が感想を話すとわかった?

『自覚がなければ感想を話しているだなんて誰も思わないわ。』

——自覚……?確かに、俺は今まで論理的知見に基づいた思考と話していると思っていたが、実は感想を話していてその感想と話しているという自覚がなかった。

『そうね、でも今は?』

——今は……

『どう?』

——俺が…………

『そう、あなたが』

——このパワーが……………

『そう、その力が』

——!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


感想の外部。即ち人間が認識に先立って対象を理解した時、人間は対象そのものをそのまま理解する境地に至った。これまでは人間の感覚を経た認識、つまり視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、色覚、痛覚、平衡感覚、上下感覚、温度感覚等に従うことで対象の表象のみを捉えることであった。リンゴが1つあったとき、それを赤い、硬い、甘いというようにこれまでは認識されていた。しかしその赤さは、リンゴの表面が赤い光を反射しそれ以外の光は吸収するという特徴を、眼球の機能によって捉えることで脳に映し出した映像を見ているということに過ぎなかった。眼球、視神経、脳細胞といういくつもの機関の受送信を経て認識された情報はおよそ本来のリンゴとはかけ離れたものであった。また硬さや甘さといった情報も同様である。これまで論理的、科学的、客観的と謳われた数多の情報が、実は人間の感覚に大きく左右された不確実なものであるということがある時点までは気づかれないままであった。そしてそのある時点とは人間が認識の基盤を打ち壊した瞬間である。対象を正確に認識するということはつまり認識という機能を使わないこと。即ち対象と自身の境界線を消し去ることで対象そのものに成り代わることであった。リンゴの例に置き換えれば、リンゴそのものに成り代わるということである。リンゴと同一の存在はリンゴを対象として認識することは無い。ただリンゴであるという本質だけがそこにあるのだ。そしてそれは他者、原子、地球、宇宙といった、それまで到底理解不能な対象の本質を知るに至った。いや、もはや知るという言葉すら必要ない。人間はあらゆる対象との境界線を消し去り、世界に溶け込んでいったのであった。そこには感想など一切存在しない。本質のみが存在していた。

——は?なんだろう、嘘つくのやめてもらってもいいですか?

「嘘じゃないですよ?」

——いや、感想がどうとか認識がどうとか、ありえないんですよ、普通に考えて。

「それってありえないと思ったというあなたの感想ですよね?あと普通ってなんですか?」

——面倒クセ〜〜〜〜

「あれ?まともな反論がないようなら今日の討論は終了しますが?w」

——いいよもう終わり終わり!こんな狂人と討論なんてできねーよ!

「敗北宣言頂きましたーw^^」(今日もまた人間に本質を与えてみたが無駄だったか……。この取り組みを始めてから何十年経っただろうか。もう思い出すことができない。思い出せるのは積み重なる敗北の記憶だけだ。いつになったら人間を進化に導けるだろうか。自分の無力さに殊更腹が立つ。しかし続ける他に道はない。この努力は他ならぬ、人類の発展のためなのだから。)


みんなの感想:
考えさせられる
このnoteってただの感想ですよね?
お前の感想とか誰も聞いてねえからw
考えさせられるとかいううっすい感想を垂れ流してるやつなんなの?
常識感覚が無い
早く病院に行け
ここに書いてあることって全部感想ですよね?
嘘を嘘と見抜けないと難しい

みんなの感想待ってるよ!


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