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戦前の日銀を支配したのはロックフェラーだ④

ロックフェラーの傀儡・ルーズヴェルトの正体

ルーズヴェルトの一連の政策はことごとくロックフェラー家にとって都合の良いものばかりであった。

それならば、ルーズヴェルトはロックフェラー家の傀儡なのか、といえば多分そうであろう。

しかし、ルーズヴェルトの伝記等を調べても、ロックフェラー家との直接のつながりは見出すことができない。

そこで、ある人物を介して間接的にルーズヴェルトとロックフェラーは結びついている、ということを証明してみたい。

その人物とは、カナダの支配者、マッケンジー・キングである。

マッケンジー・キングは正式名をウィリアム・リヨン・マッケンジー・キングといい、1974年に生まれ1950年に亡くなっている。

カナダの首相を1921年から1948年まで実に30年近くにわたって断続的務めた。

これは英連邦(British Commonwealth)全体を見渡しても最も長い就任期間である。

キングの祖父ウィリアム・リオン・マッケンジーは初のトロント市長であり、父親は法律家であった。

カナダのエスタブリッシュメント(支配階級)の生まれである。

キングはトロント大学をはじめとして、シカゴ大学、ハーバード大学と進み、経済学博士号を受けている。

その後カナダに戻り、1900年に労働省副官を務めたあとカナダ自由党から下院議員に当選し1908年に労働省長官となった。

1911年にカナダ保守党によって自由党が敗北したあと、彼はロックフェラー家に招かれ、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアと親密な交際を結ぶ。

ロックフェラー家に代々語り継がれる、「ラドローの虐殺」のときもジュニアの側近として問題解決に尽力した。

「ラドローの虐殺」とは、1914年にロックフェラー傘下の探鉱で起こった、ストライキ潰しである。

過酷な条件下で働くことを強いられた探鉱労働者とその家族たちは、探鉱王であるロックフェラーに対して大規模なストライキを決行した。

当時は労働運動などが希薄な時代であることもあるが、企業主としてのロックフェラーは断固として労働者の要求を無視し、ピンカートン探偵社などから警備員を「私兵」として操りストライキを妨害した。

ついには両者が衝突して警察隊が出動する騒ぎとなり、死者は20名を超える事件となった。

この事件のあとロックフェラー家の世上の評判は悪くなり、信頼の回復までに多くの年月を要することになる。

マッケンジーは1917年にカナダに戻り、著述活動のあとカナダ自由党党首となり、21年に選挙で自由党が勝利してカナダ首相に就任した。

マッケンジー・キングはロックフェラーによるカナダ取り込みの手駒

このように、マッケンジー・キングという人物は、カナダの政治エスタブリッシュメントである。

注目すべきは、彼が1911年から17年にかけて、ロックフェラー家に「居候」をしていたことである。

これがただの居候ではなく、ディヴィッドの「進路指導」の相談まで受けており、まるで家族の一員のように遇されていることは特筆に値する。

ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの公認伝記であるフォズディック著『ジョン・D・ロックフェラー・ジュニア伝記 John D Rockefeller,JrーA portrait』にも、以下のような記載がある。

ちなみに同伝記には邦訳『富との戦い』(鏡浦書房)があるが、原著の四分の一ほどの抄訳である。

(ロックフェラー2世は)学生時代を除いて、それがどんなに親密な協力者たちとの間柄であったとしても、ファーストネームで呼び合う関係を持たなかった。自分が「ミスター・ロックフェラー」と呼ばれているので、彼は常に協力者たちを「ミスター」と呼んでいた。ロックフェラー二世にとっての、もっとも親しい友人であるマッケンジー・キングに対してさえー彼とは40年に及ぶ親愛のこもった手紙のやり取りがあったー。「ミスター・キング」と呼んでいた。(『ジョン・D?ロックフェラー・ジュニア伝記』421ページ)

ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの息子であるディヴィッド・ロックフェラーの『回顧録』(新潮社)にもキングの姿が描かれている。

ディヴィッド・ロックフェラーもまた、このキングと言う人物から大きく影響を受けている。

ジョン・D・2世が息子の教育係を依頼するほどキングを信頼していたことがわかる。

長年のあいだ、わたしはウィリアム・ライアン・マッケンジー・キングに心酔していた。ラドローのストライキの直後にいっしょに働いたことがきっかけで、父の親友になった人物だ。キング氏はのちにカナダ自由党の重鎮となり、1935年には三度目となる首相の座に就いた。ニューヨークに来るとよく両親のもとに滞在し、シールハーバーを訪れたこともある。いつも温かく親しみやすい態度で接してくれるので、言葉を交わすと気持ちが落ち着いた。(中略)キング氏の論は説得力があった。わたしは、ジョゼフ・A・シュンペーターのもとで経済学を勉強するために、院生として一年間ハーバードに残ろうと決めた。そのあとは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに通ってから、シカゴ大学で勉学を終える計画だ。(『回顧録』103ページ)

世界史的な視点で見れば、このキングという人物は、ロックフェラーによる、当時大英帝国の有力な国の一つであったカナダ連邦の取り込みという役割を担っていたのだ。

そして、このキングの親友がフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトなのである。

つづく

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【参考文献】『日銀 円の王国』吉田祐二著(学研)

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