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戦前の日銀を支配したのはロックフェラーだ⑤

ルーズヴェルトとロックフェラーの「ニュー・ディール(新たな取引)」

ルーズヴェルトの伝記は数多く出版されているが(ウィリアム・ルクテンバーグ『ローズヴェルト』紀伊国屋書店、ジョン・ガンサー『回想のローズヴェルト』早川書店、アーサー・M・シュレジンガー『ローズヴェルトの時代』論争社/ペリカン社など)リーズヴェルトと、ロックフェラーやマッケンジー・キングとの関係についてに記述は見られない。

同様に、ロックフェラー家の伝記を調べてもルーズヴェルトとの特別な関係を記載したものは少ない。

ここでは、アメリカの通史を書いたサムエル・モリソンの『アメリカの歴史5』より引用する。

この記述は重要である。サムエル・モリソンは海軍軍人としてのキャリアもあるハバードの歴史学教授であり、ペリー提督の伝記を書いている。

マッケンジー・キングは1935年に再度カナダ首相になり、さらに二度の総選挙と第二次世界大戦を通じて、13年間首相の職にあった。穏やかで内気な態度の絶対独身主義者で、弁舌は決してさわやかでなく、指導者の属性といってはほとんど備わっていない。この短身でずんぐりした男は、それでも、すぐれて鋭敏な政治家だった。彼は、アメリカとイギリスに対するカナダの微妙な立場、オタワと草原州のあいだの、フランス領カナダとイギリス領カナダのあいだの特殊な関係を「勘で感じて」いた。フランス人の副首相エルネ・ラポアントを通じて、彼は常にケベック州の住民を握っていたし、戦う構えの西部の農民を、さまざまの方策を使ってなだめた。(中略)キングがアメリカで職にあったあいだにお互いに知り合ったマケンジー・キングとフランクリン・D・ルーズヴェルトは、いまでは、個人的に親しい友人同士になった。(中略)1938年8月、オンタリオ州のキングストンにおいて、ローズヴェルト大統領は『もしカナダの国土の統治が他の国に脅かされることがあれば、アメリカ合衆国国民は黙っていないだろう」と約束した。この約束の返礼はほどなくキングによってなされた。ヨーロッパで戦争が始まってからは、ローズヴェルトは、彼の知り得たことでカナダの関心を引きそうなことを逐一、手紙ないし電話で、キングに伝えた。この親しい友情関係は、この戦争期間中に硬く結びついたのであった。(『アメリカの歴史5』74ページ)

引用文中、「キングがアメリカで職にあったあいだに・・」の箇所が重要である。

それは1911年から17年にかけてのことであり、キングがロックフェラー家に「居候」していた時期のことである。

そこで、キングとルーズヴェルトは知遇を得たのである。

つまり、キングとルーズヴェルトはロックフェラーによって「引き合わされた」と考えられるのである。

ルーズヴェルト政権の標語である「ニュー・ディール New Deal」とは何だったのか?

前出のサムエル・モリソンは「トランプの配り直し」と書いている。

ポーカーなどで、カードをディラーが配ることをディールというからだ。

これは政策面における、前大統領たちの政策からの路線変更のことを意味している。

しかし「ニュー・ディール」の本当の意味は「新たな取り引き」ということなのである。

英語でたとえば「この仕事は俺がやるから君はこれをやってくれ」と持ちかけたとする。

そして了解をとるときに「ディール?」と訊くのだ。

相手は了解したときは「ディール!」と応える。

このように「ニュー・ディール」とはルーズヴェルトとロックフェラーによる「取り引き」政権のことなのである。

ロックフェラー「ニューヨーク入城」、アメリカ制覇の象徴

1933年にこだわってみよう。

前述したように、この翌年に「連邦準備制度理事会」が発足され、ロックフェラー色の強いFRBとなった。

さらにこの年、象徴的な出来事が起きている。

それは、ロックフェラーの権威を誇示するために建てられたニューヨークのロックフェラー・センターへ、ジョン・D・ジュニアが「入城」する年なのだ。

ロックフェラー伝記『富との戦い』は以下のように伝えている。

1933年の末、ロックフェラー氏はブロードウェイ26番地(1885年に設立された「スタンダード・オイル・オブ・ニューヨーク」の所在地のこと)・・それは過去50年間にわたって財力の象徴であった・・からR・C・A(アメリカ・ラジオ協会)ビルディングに事務所を移した。(中略)それは今や数千の人の仕事の家である。その床の面積はマンハッタンの標準区画を41個合わせたに等しい。積み重ねたら空高く10マイルに達するというそのエレベーターは、数百万の客を運んだ。さらに又数知れぬ人の群が劇場や絶え間ない催しやN・B・Cのスタジオを訪れた。その大廊下は、毎日数百人の見物人の足音を響かせているし、花壇を散策したり、スケート・リンクで滑る人たちを眺める男女の数も計り知れない。センターは語の真実の意味で、マンハッタン島の中枢、その無数の仕事の目覚ましい焦点となったのである。(『富との戦い』100ページ)

このように、ロックフェラーは事実上ニューヨークを、アメリカを制覇したのである。

そしてそのことは、アメリカを第二次世界大戦へ巻き込む準備が完了したことを意味するのである。

つづく

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【参考文献】『日銀 円の王国』吉田祐二著(学研)

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