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ユダヤ人の受難のパワー(なぜロスチャイルド家が誕生したのか?)⑨

バルフォア宣言

エドモン男爵が慈善家の立場を崩さなかったことには幾つかの理由がある。

それは「ユダヤ定住の父」と呼ばれて慕われることに喜びを見出していたためであり、また最初、匿名で援助したことからも分かるように、ロスチャイルド家としてできるだけ表面にでないように心掛けていたためでもある。

しかしそれだけではなく、イスラエル国家の建設を目指すシオニズムそのものがロスチャイルド一族として受け入れ難いものだった。

国境を越える国際金融資本、多国籍企業であるロスチャイルド家にとって、国を作って国境に閉じこもろうとする民族主義は本質的に矛盾する考え方だからである。

またシオニズムが各地での反ユダヤ主義を激化させて、それぞれの国でせっかく獲得したユダヤ人の権利を台無しにしてしまうことも懸念された。

己を語らず、政治的運動に巻き込まれて国際経済活動の自由を損なうことは避けなければならないと考えるロスチャイルド家のなかで、エドモン男爵の行動そのものが例外的だった。

ロンドンのロスチャイルド家の人々などは当初はヘルツェルらに会おうとさえせず、シオニズムに反対するための組織さえ作ったほどである。

だが20世紀に入って、ロシアとその支配下の東欧で鎮るどころか激しくなる一方のポグロムの嵐が吹く中で、ロンドン・ロスチャイルド家の当主、ナサニエルは次第に考えを変えて祖国建設運動に理解を示すようになり、イギリス政府の説得に動き出していた。

1914年7月に火を噴いた第一次世界大戦はユダヤ人にとって非常に苦痛であったが、未曾有のチャンスでもあった。

パレスチナはオスマン・トルコ帝国の領土であり、そこに独立した祖国を建設するというユダヤ人の夢は、帝国が崩壊しなければ実現し得ないものであった。

それがオスマン・トルコがドイツと結んでイギリス、フランスの連合軍と敵対したために、帝国解体の可能性が出てきたことから、世界中のユダヤ人は色めきたったのである。

だがまずオスマン・トルコ領であるパレスチナに住むユダヤ人は、ドイツと結んだトルコの兵士として徴発されて、イギリスなど連合軍と戦わなければならなかった。

その一方で、トルコが負けて解体されるところに祖国イスラエルの建国の可能性があると考えるユダヤ人の一部は、秘密部隊を作り、スパイ網を編成してあらゆる手段でイギリスを助けた。

かくて開戦早々にエジプトを抑えてスエズからパレスチナに進撃するイギリス軍に加担したユダヤ人と、トルコ軍としてのユダヤ人は、同じ民族同士で撃ち合わなければならなかったのである。

イギリス側のスパイとしてパレスチナのトルコ軍の動向を伝えるために働いた人のなかには、エドモン男爵が目をかけて農業の専門教育を受けさせたアロン・アーロンソンがいた。

スパイ組織は摘発されてユダヤ人はトルコ政府に徹底的に弾圧されたが、この協力もあってイギリス軍はパレスチナをトルコから奪うことに成功し、ついにイスラムによるエルサレム支配は終わった。

開戦前にパレスチナ在住のユダヤ人は8万5000人だったが、戦争が終わった1918年には5万6000人に減っていたという。

この戦争も終わろうとする1917年11月2日、ロンドンの2代目ロスチャイルド卿(1868〜1937、ウォルター・ド・ロスチャイルド)は、外相バルフォアからの手紙を受け取った。

先代ナサニエルは戦争中の1915年に死んで、男爵位と上院議員のポストは博物学者のウォルターにバトンタッチされていた。

「陛下の政府(イギリス政府)はパレスチナにおけるユダヤ民族のためのナショナル・ホームの建設を好意をもってみており、政府はこの目標達成が促進されるよう最善の努力をするものである」

「バルフォア宣言」と呼ばれるこの手紙は、単にロスチャイルド卿らの働きかけによる産物とばかりとは言えない。

イギリス政府にはなによりもその年4月に参戦したアメリカのユダヤ人の支持を取り付けたいという思惑があった。

また不安定な中東地域に親英的なユダヤ国家を持つことは、長期的になにかと好都合であろうというイギリスの帝国主義的な戦略的発想もあったと思われる。

宣言の内容は、国家をホームとするなどシオニストたちが望んでいたものより後退したものだったし、その後に存在が明らかになったトルコ降伏後のパレスチナを含む中東地域における影響圏をフランスと取り決めた秘密協定(サイクス・ピコ秘密協定)とも矛盾するものだった。

バルフォア宣言より前の1916年5月、イギリスとフランスは極秘に中東の勢力圏の取り決めを行っていたのだ。

それでもロスチャイルド卿ウォルターを議長に、ロンドンのオペラ座でもユダヤ人大会が開催されて、バルフォア宣言は正式に発表され、世界中のユダヤ人を勇気付けた。

そしてパレスチナへの移住に向かう大きな波が起きることになるのである。

しかし、戦争の熱狂がさめると、各方面からユダヤ国家への反発が出て、イギリス政府は言を左右にするようになり、パレスチナはひとまず国際連盟によってイギリスの委託統治領とされるに止まった。

・・つづく・・

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【参考文献】『ロスチャイルド家』横山三四郎(講談社現代新書)

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