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4月17日 午前10時17分、ベルギーで母になる。

1か月半ぶりの投稿のTwoodです。皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか?私は先月、人生が大きく変わりました。

まず、4年の国際遠距離恋愛、3年の海外移住同棲 、計7年の交際を経て、3月下旬にベルギー日本庭園の満開の桜の下でプロポーズを受け、婚約し、4月上旬(日付は伏せます。)に臨月で結婚式をしました。

この結婚についてはまた別記事にすると思うので、今回は出産についてフォーカスしてお話できればと思います。

病院が自宅から少し離れていたこと、そして計画帝王切開手術が早朝7時からの予定と、すこし早かったので前乗りしホテルに滞在しました。

夜は簡単に外食で済ませ、ホテルで最後のシャワーをし、用意していた手紙を夫に渡しました。夫は感情表現が豊かではないので泣いたりはしませんが、妊娠期間、プロポーズを受けた時の思い、これからのこと、私たちの出会いからこの日までの事を綴ったものだったので、書いてる時から号泣していた私は夫が手紙を読んでる時も泣いていました。(笑) 恐らくホルモンの影響もあったでしょう。

翌日の帝王切開で下半身の広範囲、意識を残す局部麻酔をするので0時以降は水分を含む断食。これが臨月にはなかなか辛い。というのもパンパンに膨れ上がったお腹は重く、もう横になって寝る事自体が苦痛となっていたので寝付くことも難しく3時過ぎまで起きていました、そのため喉が渇いて仕方がない。そしてホテルの空調も合わずかなり乾燥しており特に喉が渇いていました。それをよそにイビキをかいて寝ている夫。先ほどの手紙を破り捨ててやろうと思うほどイラっとしていました(笑)これもまた、ホルモンの影響もあったと思いたいです。

翌日早朝から病院に到着し術着に着替え、専用の装置で胎内にいる我が子の心拍を聞きながら待機。7時半になる、さすがヨーロッパ、予定時間がかなりずれてるな。と緊張感を保ちながら待っていると、緊急出産の患者さんがいるのでオペのスケジュールを変更して9時からにするとのこと。もちろん一人の妊婦として見ず知らずではあるものの、彼女を陰から応援しつつ、水分欲しさに絶望していると、前夜の疲れもあってか、眠りに落ちていました。

私が眠ってる間に夫が撮っていた写真。感情表現が下手くそでも不思議と彼が世界で一番私を愛してくれてるのだと実感するのです。

そんな完全にリラックスしているところでいざ出陣、少し早めになり心の準備とかの隙もありませんでした。正直ハイリスク妊婦ということもあり不安も恐怖も最骨頂でしたが、そんな姿を一ミリも見せたくなかった私、「お母さんは強かったよ」と将来話してもらえるように気丈に振舞って見せましたが、きっと表情はガッチガチだったことでしょう。するとどこからか日本語が聞こえるではありませんか。緊張のあまり幻聴かと思いましたが、日本から麻酔科医の先生が日本の技術を伝承にベルギーへ3か月間だけ来ていたという奇跡のタイミングで、彼が私の担当をしてくれました。

実は私の手術したこの病院は、ヨーロッパでも高技術の医師や研究が豊富な病院なのですが、彼も麻酔技術をベルギーに持ってきて、この病院の産科技術、文化を日本に持ち帰りたいという強い思いがあるのだと話してくれました。初産の私は日本との比較ができないのですが、この病院は産科が中でも優秀なのだとか。

そんな胸が熱くなる大人の夢を聞いていると…ズキーーーーーン、ドヨーーーーンという鋭い痛みの後に、長くて鈍い骨がしびれるような、ゆっくり背骨を折られてるような痛みが。これが帝王切開の麻酔です。その峠を越えると痛みはほぼありません。カーテンで下半身を覆われ、上半身で夫と手を握りながら待つ。時々おなかの中をグリュグリュされる感覚があり、更に嗚咽するほどギューっと押されます。その瞬間。

2024年4月17日 午前10時17分 私たちは元気で穏やかな子の親になりました。

聞こえたんです、我が子の産声が。か弱くて、でも元気な泣き声が。ダメですね、今この記事を書いていても涙が止まりません。彼を胸に抱いたとき、母の心拍で安心して泣き止んだ姿を見た瞬間、母になる実感など到底なかった私ですが、私の子だ。そう感じたのです。

こんなときも冷静な夫、でもこの上なく幸せそうな表情をしていました。

きっと私は人生で一番の安堵を感じたのだと思います。いや、人生で初めて安堵を感じたのかもしれません。

産まれた瞬間からカンガルーケアという肌と肌を触れ合わせることで免疫力と心身の安心を向上させるものを行い、6時間以上このまま共に過ごしました。一番写りの良かったエコー写真を肌身離さず持ち歩いていたのですが、実際に会うと、とても鮮明で驚きました。

2時間もすると麻酔も切れて痛みもありましたが、我が子を抱いているからか、これがよく言う産後ハイというものなのか、痛みや疲れなんてどうでもよくなっていました。また術後すぐに食事や水分補給もできなかったのですが、そんなことも忘れていました。不思議ですね。

もちろんカンガルーケアはお父さんもできるので、夫も行いました。もうすでにスマホのフォルダがパンパンになるほど写真を撮り、私も夫もメロメロです。

こちらのfirst clothes(初めての服)はなんと夫が新生児の時に着ていたものをお義母さんから譲り受け、この日に着せようと数か月前から決めていました。

しっかり手足を動かしてる息子を見ていると、こうやって私のお腹の中で動いていたんだね。なんて感慨深かったです。

そして顔も毎分、そして毎日変わっていくのでひと時も目を離したくない愛おしさでした。

TAC(子宮頸管縫縮術)を妊娠中に受けている私は既に帝王切開をされているのですが、当時痛みに悶絶し失神したほどなのに、今回は産後3日には一人で立っておむつを替え始めたので夫も私も驚きでした。

そして産後直後から始まる、親子2人でしか行えない共同作業 ”授乳”

完全母乳希望の私たちにとって、この役割はどうしても父が担えないパート。そして想像をずば抜ける痛み。正直毎日と考えると出産よりもしんどいかもしれません。というのも、乳首を持っている生命体すべての共通認識としてそこはセンシティブな場所。しかし一体どこから湧いてくるのか新生児、ものすごい吸引力。産後1時間以内には乳首を咥える練習をし、吸い始めるのですが、息子はなんとも上手に吸うことができ、私の乳首もそれに答えるように白い母乳とは言い難い何かが出始める。が、痛い、痛すぎる。思わず歯を食いしばる。

そしてこの時思い出したのだ、これを毎3時間行わなければいけない事を。

そして初夜にして私の乳首は切れ、少量の出血。一瞬で心折れて、母乳育児を断念しようと考えた瞬間だった。

入院期間は4泊5日、この間息子の体重測定を行う。息子は体重がなかなか増えない。出生後赤ちゃんの体重は落ちるものだが、数グラムでも上がらないと退院できない。しかし増えない。ここから私と息子の苦行が始まった。

毎3時間の授乳は息子を叩き起こして行う毎2時間となり、1時間掛けて吸ったり寝たりを繰り返す息子。そのたびに息子を起こさなければいけない…あまりにふにゃふにゃの新生児、抱き上げるだけでも怖かった。

しかしもっと怖かったのはフレンドリーで尚且つ肝っ玉母さんのような頼れる先輩、助産師たちだ。深夜だろうと早朝だろうと信じられない程、たくましいテンションで「いくで~‼」と言わんばかりに毎授乳、乳房をどしばきに来る。吸われ続けた乳房はホルモンにより活性化され岩のようにカチカチ、パンパンとなり、それを解さないといけないのだ。歯をまたも食いしばった。授乳後、助産師が去ってから息子を抱いて何度も泣いた。

お腹を空かせて泣いているのに、食事も与えられない自分が既に母親として失格な気がしたからだ。これはホルモンのせいにはできない涙だった。産休を3週間以上取っていた夫は何も言えずただ私の背をさすった。

それでも諦めるず試行錯誤した。そこで同じ悩みを持ったお母さんたちにおすすめしたいものがある。

Breast Tips 
ラバーで乳首をカバーすることで痛みと衝撃を吸収してくれます。きっと日本にも同じようなものが売ってると思うので調べてほしい。ちゃんと乳首のサイズを測って購入する事をお勧めします。

そして、既に傷がついてしまった時は、Medela Purelan Lanolinezalf 赤ちゃんが口にしても大丈夫な保護バーム。私はこの2つでこの苦行を乗り越えました。

ただ注意してほしいのはBreast Tipsは哺乳瓶同様、赤ちゃんにとって飲みやすい為、実際の乳首から吸うのが難しくなってしまうので交互にするか、痛みからの休憩、よっぽど赤ちゃんの吸いが悪い時の救世主感覚で使用するのがいいと思います。使いすぎると、乳首から吸うのが面倒になり赤ちゃんが母乳に戻れなくなることもあるそうです。現在息子もちょうど生後1か月になりますが、Breast Tipsは一日に1度使うか使わないかです。

ベルギーでは退院後、毎日(7日間)助産師が母子観察に自宅に来てくれるのですが、体重が2週間ほど増え悩み…私も息子も苦行、寝不足続き…しかし3週目にしてようやく体重が増え始めました。

しかし実は帝王切開児はこういうことも多いようです。というのも普通分娩の場合、破水後、子宮収縮という陣痛を共に乗り越え、赤ちゃんは肺やら頬やら腹部をかなりの力で圧迫されながら狭い産道を通って産まれます。しかし帝王切開の場合、母はかなりのダメージを食らいますが、子は圧迫されることなく平和に産まれてくるので、かなりチルな状態で誕生します。そのため、吸い込みや肺が成長するのに時間がかかる事もあるのだとか。息子は目が開くのも3日かかったほどチルな子でした。

よくも悪くも息子は夫のおむつ替えで大泣きをするので、肺はしっかり成長したようです(笑)

夫は末っ子で赤ちゃんを近くで見てきたことがなかったので、不安が息子に伝染するのか、今でもすごく泣かせています。

毎日ヘトヘトになりながらの育児ですが、赤ちゃんの匂い、たまりません。

恐らく赤ちゃんに母が必要なのと同様、私にも彼が必要でした。今となっては彼が近くにいないと不安で眠ることができません。妊娠中に座っていた椅子から100M離れたベッドに寝ている息子をなんだか遠く感じ涙を流すほどです。妊娠期間中はゼロ距離ですからね。

自分が母となって初めての母の日も経験しました。これからはこの日は祝われるだけではなく、多くの奇跡を乗り越えて母になれたことに感謝する日にしたいと思います。

ここまで息子と過ごしてきて…

正直私はまだ母親になったという実感はありません。

きっと息子から「ママ」とか「おかあさん」と呼ばれてから実感するのかもしれません。

しかし、これ程までに私を強くし安堵させる存在は彼以外に居ません。そして何より彼を愛して止みません、むしろ初めて愛を学んだ気さえします。

妊娠出産を通して、母は偉大だと心の底から実感しました。

右も左も解らないまま、どんどん変化する身体、そして経験したことの無い痛みに、出会ったことのない感情。10か月の妊娠生活、後半はしんどい思いしかない臨月期を経て、出産した瞬間、全身の痛みを抱えたまま始まる育児傷が癒えないまま、眠れない日々と授乳や沐浴などの未知なる経験。我が子の泣く姿に心折れそうになる夜。

私はまだまだ母の実感がない。

しかし私は自分より大切な存在に出会えたのです。そして、こんな素晴らしい存在を産み出したこと、33年生きてきて最も自分を誇らしく思います。

2024年 4月17日 午前10時17分、私はベルギーで母になった。

Happy Mother's Day to all "moms".


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