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好きな気持ちと同じくらい〜その3〜

「好きな気持ちと同じくらい」連載の〜その3〜です。
完全復活はしていませんが「自分の部屋にいる分には元気!外出したら分かんないけど!」という状態です。これは絶好のnote日和です。

〜その1〜と〜その2〜を読んでいない方は下のリンクから。

絶望の淵にいますね、今回はそこからの上昇気流です。
ネガティブ思考に辟易してしまった方はすみません、ここから明るくなるので。
それでは。


2023年5月14日

心身の調子を崩していた私は、もちろんライブに行くなんて考えにも及ばず大学と家との往復に耐える形で日々を過ごしていました。
しかし、一枚のチケットはかなり前に入手していました。それがこれ。

sumika 10th Anniversary Live 『Ten to Ten to 10』

sumika は中学3年生くらいの時から好きで、ファンクラブにも入っておりライブにも何回も足を運んでいました。全リリースやメディアを追いかけるほどではありませんでしたが、「10周年だし行こうかな」という軽いノリでチケットは一年ほど前に確保していたのです。

ただーし。当時の私は基本的に「どこも出かけないこと=楽」だったので、ライブに行くなんてもっての他。しかも片道2時間もかかるし、野外だし、人もたくさんいるしetc…と行かない理由ばかりに溢れていました。
正直に言うと「なんでチケット取った?私??」と思っていました。

しかし、一万円近くしたチケットを無駄にするのは心が痛んだのでしょう。私は重い身体を引き摺りながら会場に向かいました。

会場は横浜スタジアム、野外でした。そして雨雨雨。
このライブ映像を見ていただくと分かると思いますが、パラパラどころではない。ドシャドシャです。笑っちゃうくらいウォータリーです。

このライブは雨が降る中4時間ほど行われました。
今考えると「あんなに体調悪かったのによく雨の中4時間もライブ見られたな」と思うのですが、ライブマジックってそれかもしれません。

ライブを見ている間はそんなに何も感じなかったのです。(もちろん演奏かっこいいとか演出すごいとかそういう感想は抱きましたが、「悩みが吹っ切れた」や「涙が出るほど感動した」という感じにはならなかったのです。)
家に帰って寝て、普通に次の日も学校に行きました。多分このあたりです、変化を感じたのは。

「ん?いつもの身体の重さが感じられないぞ。」

でも、これはいわゆる「ライブの余韻」というやつで午後には解ける短い魔法だろうと思っていました。しばらくすればこの魔法も効力を失って、私は気づけばまた絶望の淵にいるのだろうと。

しかし、来る日も来る日もかつてのような重さが襲ってくることはありませんでした。それと引き換えに、ライブのことを思い出すと胸の奥の方がギューッと締め付けられるような感覚になることに気づいたのです。
それは日を経るごとに増していき、sumikaの曲を聴くと涙が溢れライブのことを思い出すと苦しくなりました。


5月14日が残したもの

ライブから三日ほど経ったある日、入場者特典のパンフレットを読んでいました。その最後に「今日のことを書き込んで、あなただけの特別な一冊にしてください。」と題されたページがあり、誰と・どうやって・どんな天気で・ライブ前後に何を考えていたかetc…を書くスペースを見つけました。(こういうところ、とてもsumikaらしくて好きです。)
私は

「これだ。」

と思いました。普段、記念グッズ的なものはそのままとっておく派の人なのですがこれはここで書かないと後悔する、とどこかで予感したのでした。
全てここに書き出すと長くなるのですが、最後のフレーズは

悲しみや辛さを乗り越えて笑顔を見せたsumikaが私と重なった。私の行く先を表しているような。とっても心がギューッとなる。心がつかまれて離れない。なんだか泣いてしまう。でもなんだか温かくて優しいものに包まれて泣いている。

文章を書くなんてその当時は久しくやっていなかったはずなのに、かなり長く書けていました。自分の気持ちを文章にできる時点から、少しずつ復帰へは近づいていたのかもしれません。


一週間ほど経った時も、まだ涙が出たり苦しくなることは変わらずでした。
そしてもう一度言葉にしてみようと思ったのでした。苦しくなるのは嫌だけど、でも当時の自分には必要なことのように感じられて、恐る恐るノートを開きペンを走らせていきました。
そして分かったことは

・5月14日のライブは人生初めてのライブと同じくらいの衝撃だったこと
・ライブの日に戻りたいし、だんだんその日から遠ざかっていくことが寂しい。記憶から消えないでほしいと願っていること。
音楽が好きだということ。

「一度嫌いになってしまったものをもう一度好きになって、それと生きていくことができるならば私は幸せだ。そしてそれこそが音楽なのだ。」
と気づいたのでした。
音楽を楽しんで演奏している彼らを見て、私の中の「音楽を好きだと思う気持ち」が目を覚まして、「あなたの求めているものはここにある」と叫んでいたのでした。その叫びこそ、心をギューッとさせている正体であり私が今一番救い出すべき思いなのでした。
そして誓ったこと。それは

「愛せなかった時間も携えて、もっと大きな愛で音楽を抱きしめて離さない。」

音楽の側は何も変わらずただずっとそこにいたのに、私があっちゃこっちゃしている間に彼らが襲ってくるように勘違いし、勝手に嫌いになっていたのです。そして、私が落ちた時に手を差し伸べてくれるのは彼らだということに気づかずシャットアウトしていたものだから、どんどん隅に追いやられていたのでしょう。
そして5月14日のライブが引き金となって、音楽の方から叫び声を上げて気付かせてくれたのだろう、と思っています。

アニメでも漫画でもないのでこの決意と同時に不調が治るわけでもなく、しばらくは落ちてしまったものを引き上げるのに手間をかけましたが、その時も音楽という力強い味方がそばにあることを感じ勇気をもらっていました。


ラジオの距離

この連載は音楽のことが主題ではありますが、私にとって近い立ち位置のものにラジオがあります。復帰トライ期間にちょうど熱心に聞いていたのがFM802でした。
以前からミュージシャンに愛されているラジオ局だな〜と遠目に感じていたのですが、実際に聴いてみるとやっぱり音楽・ミュージシャンへの愛に溢れていたのでした。
ほぼ家にいたのでハガキ職人のようにメッセージを送りDJの方に何回も読んでいただき、その度に幸せ度が1ずつ増えていきました。
自分が書いた言葉を受け取ってくれてそれに対して話してくれるDJのみなさんは、私にとって音楽好きの頼れるお兄ちゃんお姉ちゃんのような存在でとても救いになりました。その距離の近さこそ折れそうな心を支えてくれる温もりでした。

もちろん、様々な音楽を知る場のラジオとしての役割も果たしていて、(以前から知ってはいたもののライブに行くほどの興味は持っていなかった)BIGMAMAにリターンさせてくれたのはタクティの番組でした。「今のBIGMAMAは最強」ということが伝わるタクティの紹介に、なんだかいてもたってもいられなくなったのです。
その番組でツアーファイナルがZepp Divercity であることを知りチケットを取り、参戦したところその魅力にどハマり。中でも金井政人さんのnoteの発信に興味を持ち、503clubに入会。「私もnote書いてみようかな」と思いこうしてnoteで文章を書いているわけです。
そう思うと巡り巡るとは、って感じがします。


距離の近さ

私がこの時期(=復帰トライ期)に出会った音楽には共通点があります。
それは距離の近さです。
それは物理的に会えるという「近さ」ではなく、人がちゃんとそこにいてものづくりをしていることを感じられるという「近さ」です。
悩んで時間を掛けつつも、良いものを生み出そうとする熱を持って試行錯誤している様子を隠さずこちらに伝えてくれる人たちでした。
そんな人たちに私がこの時期に出会えたことで

この人もちゃんと悩んでいる考えている。ちゃんとここには人がいる。

と安心して過ごすことができるようになったのです。
どこからどのように出てきたものかわからないものに囲まれるうちに、それに慣れてしまって原点を探ろうともせず、「なんかよく分からない」に恐怖を抱いて過ごしていたのでした。それがフワッと軽くなったのは、彼らとの出会いでした。
その恐怖が軽くなったことも、私が心身の不調から脱した大きな理由の一つです。


このようにして今に至る、という感じです。長かった〜〜〜。
当時の日記も引っ張り出してきたのでちょっとつかれた、休みます。

これにて自分史パートはおしまい。次回からは「私は音楽をどう扱っていきたいか」という今現在の考えを書き連ねていこうと思います。
お楽しみに。(してくれたらうれしい。)






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