見出し画像

相棒とサバイブして歩く

自分の気持ちと一緒のペースで歩くこと。
ふと立ち止まって周りの音を聴いて、一息つくこと。
今までの道のりを振り返りながら、過去をのんびりと思い出すこと。
ゆっくりと腰を上げてまた先に進むけれど、そこには焦りも必死さもなく、ただただ移りゆく景色を眺めながら歩くこと。
気ままなペースで歩くこと。

私の理想の歩き方ってこんな感じです。
でも、こんな風に歩くことは難しいです。第一、今は暑すぎるし(本当に!)街を歩くと必ず何かに追い立てられている気分になります。
歩いている時に考えることといえば、今日やらなければいけないことやできなかったこと、気掛かりなことや嫌だったことばかり。楽しみなことがあったとしても、それが終わってしまった時の寂しさを考えてしまったり。

「良い思い出を丁寧に掬い取って、優しく撫でるような気持ちで歩きたい。」私はそう思うことが多いです。
そんな時に頼るのもやっぱり音楽。私はあるバンドの音楽を聴いていると、自分の理想の歩き方ができる気がします。
この上なく安心できていつも温かく迎え入れてくれる音を奏でる、大好きなバンド・砂の壁の話をします。


砂の壁との出会い

砂の壁へ辿り着くまでにはとても印象的な思い出があるので、そこから話を始めます。

私の人生アンセムの中で、絶対不動な曲が the chef cooks me の『四季に歌えば』です。

この曲の歌詞は何回聴いても本当に心の底からこの上なく好きなのですが、その素晴らしい歌詞を作詞したのがayU tokiOさんという方でした。

(ayU tokiOさんの楽曲については以前にも何回か記事にしているので、よかったらそちらもご覧ください〜)
ayU tokiOさんはCOMPLEXというインディペンデントレーベルも運営されています。

「COMPLEXにはどんなミュージシャンがいるのかな〜」と色々聴きあさっている時に見つけたのが、今回紹介する砂の壁というバンドです。
見つけた当初は「GUMBO」というEPのみサブスクで解禁されていたので、その一曲目「僕だけの海」の再生ボタンを押したのです。

ノスタルジックな空気の中に、軽やかさとひらひらと宙を舞う華麗さが混ざりあっていて一瞬で心を掴まれたことを覚えています。

初めて音源を再生したのが今年の2月頃。「GUMBO」はその頃からずっと聴き続けていますが、いつまで経っても摘みたての瑞々しさが耳に入ってきます。大好きなEP。

一方で「新曲まだかな…」「次はどんな作品が生まれてくるのかな…」と心待ちにもしていました。
そのワクワク感が期せずして伝わったのか(と勝手に思っています)4月から新曲の配信リリースが始まり、ついに2nd EPが発売されました!


2nd EP『都市漂流のために』

心待ちにしていた2nd EPが発売されたのは7/3。「暑い」を1日に何回言うか数えられないほど、本格的に夏が来てしまった頃。

一曲目の『Tower』はちょうど4月初めに配信リリースされた曲。
大手を広げて新しい生活を歓迎するほどにはまだ余裕がなくて、不安と心配で落ち着かない気持ちでいた私に、そっと優しく寄り添ってくれました。そんな大切な思い出がある曲です。

二曲目の『駆け抜ける』は5月始めに配信リリース。初めて聴いた時に『Tower』と過ごした春が、夏に移りゆく様子をまじまじと感じられて「あぁ、私は砂の壁の音楽と4月を生きていたんだなぁ」と思いました。
地面を蹴って走るようなストイックさや厳しさ、力みは迫って来ないけれど確かに「駆け抜ける」。
Bメロのオルガンの音が細かくLRにふれていて、まるで螺旋階段を上っているかのようなミステリアスな雰囲気も好きなところです。
いい夏の予感がするな、とも。

三曲目の『きてしまう夏』は、このEPの中で一番遊び心がつまった曲だと感じました。コーラスワークといいソロ回しといい、私の好きなエッセンスがたくさんあります。身体を揺らして気ままに歩きたくなります。
特に都内を歩くときに「コンクリ〜トジャンゴォ!」と一緒に歌っています。

四曲目の『Tokyo』は、「これぞ砂の壁の温かさの根源だ!」と感じる雰囲気の楽曲。
「そうやって頑張ることが 頑張ることを産んでしまって」という歌詞は、頑張って生きている自分にも誰かにもそっと渡してあげたい、素敵な歌詞です。
彷徨っている(=漂流している)ことを決して否定せずに、「そのまま漂ってて。」と肩をトントンと叩いてくれるイメージを持っています。後悔や不安や苦悩を抱え込みながら生きている、そうだよそれでいいんだよ。と諭してくれているよう。

五曲目の『オレンジ』はフィナーレの華やかさをまとった曲です。どこかに漂っている自分の魂も身体も、この曲でしっかりと家に帰れる感じがします。終わる予感のしない、気が遠くなりそうな日でもちゃんと夜になる。明け方になってまた次の日がくる。終わりも感じるけれど始まりも感じて、そしてTowerへ戻ってゆく。

砂の壁の曲はどれも、日本語の置き方や発音の仕方がこの上なく美しくてびっくりします。久しくこんなに「綺麗だ」と圧倒されるような日本詞には出会っていなかったので、衝撃的でさえありました。

このように収録曲それぞれが色を持つ魅力的なEPですが、このCDのデザインもとても素敵なのです。
ぜひ盤を手に入れて隅々まで観察して楽しんでみてほしいと思います。手元に置く選択をして良かった!と思うような、趣向が凝らされているCDです。


『都市漂流のために』リリース記念ライブ@下北沢THREE

こんな素敵なEPの発売をお祝いするイベントが7/21に下北沢THREEで行われました。共演はアロワナレコード阿佐ヶ谷ロマンティクス。どちらも今回のリリースライブをきっかけで知りましたが、「まだまだ私が好きになる音楽を奏でるバンドがたくさんいる!」とワクワクしながら音源を聴いていました。

トップバッターはアロワナレコード。
中でも、『大都会』という曲の演奏に圧倒されていました。曲中に「大洪水」という言葉が何回か出てくるのですが、それを音で再現するかのようにクリーンだったギターが突然歪んだ音で飛び込んでくる瞬間があります。その時に「あ、洪水起きてる」と思いました。砂の壁のEPタイトルにもなっている「都市」というテーマとの繋がりも感じられて面白かったのです。


次のアクトは阿佐ヶ谷ロマンティクス。
タイムスリップして目の前に現れたかのような演奏に、終始惹かれっぱなしでした。自分は生きていないはずの時代を追体験して懐かしむような感情が、不思議と自分の中からフワッと浮かんでくる、その化学反応を楽しみながら聴いていました。
『きっかけ』という曲は、サビのメロディの跳躍の仕方がとっても好きでした…歌詞が描く風景と組み合わさって、回想シーンのような淡さが滲んでいて素敵でした。

「よくぞこの2バンドを呼んで下さった!!!」と拍手したくなるほど、砂の壁の持つメロディアスな魅力と合致するライブでした。

そして、このイベントの主役。砂の壁の登場です。
何度も何度もイヤホンや家のスピーカーで聴いていたあの曲たちが、目の前で演奏されているということに対しては、やはり何回でも感動してしまいます。同時に、音源以上に「人が作っている」という熱を感じ取れるのが、砂の壁が生み出すライブの何よりの魅力です。
爽やかな雰囲気を纏いながら決して折れないしなやかな芯を持って演奏する姿は、憧れそのものです。


サバイブすることと歩くこと

漂流するということはただ流されることとイコールではない。このEPやライブを通してそれが分かった時に、「漂流しながら生き抜いていく強さが曲の中にあって、私はずっとそれを求めていたのかもしれない」とふと思いました。だから、砂の壁の楽曲たちは私にとって「サバイブするための必需品」だと感じます。

そして、「サバイブすること」それすなわち「理想の歩き方を思い描きながら歩き続けること」なのです。交錯する人々とひしめき合う雑踏の中で生きることは大変なことです。それは、冒頭で書いたように、自分の理想の歩き方を実践しようとトライし続けることと似ていて、同様にとても困難なことです。
そもそも歩くこと、そして息を吸って生きることは、あまりにも普段の生活に馴染んでいて、それゆえに改めて教えられるようなものでもなく、語られることも少ない行動なのかもしれません。そんな「歩く」ひいては「生き抜く」に対して、彼らはもう一度想像を膨らませようとする姿勢を見せてくれて、いざ私たちがその世界へ足を踏み入れようとするその時。手を差し伸べて相棒となってくれるのが砂の壁の音楽です。

「大丈夫だよ」と強さと温かさを携えて、再び歩き出せそうな気持ちになるのは、彼らの作品のおかげだと心の底から思っています。私が理想を思い描き歩くための希望と勇気をもらっているのと同じように、今を生きる全ての人たちにサバイブする力と気ままに歩くための想像の余白を与え続けるのだろうと感じます。


さらにたくさんの人たちに、砂の壁の作品が届くことを願ってやみません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?