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大嫌いだった国語

コロナ禍とはいえ、新入生らしき学生が増えた気がする。
それゆえ、まだまだ青かった受験当時のことを思い出すことが多くなった。
大学受験のことだと、まず何よりも、センター試験は二度とやりたくない。
本番のときはリラックスできたが、一発勝負というプレッシャーは今思えば半端ない。
よく乗り越えたと思う。
自分、えらい。

二次試験もツラかった。
センター試験は幸いうまくいった。
だけど、ここで失敗すればそれこそ水の泡だ。
思い返せば、やりたくない勉強もあった日々。
なんとか合格に向け、ラストスパートをかけていた。
制服を着て、教室や家、図書館でカリカリ…

…ああ、懐かしいことを思い出した。
あれは高校時代だ。
"あの扉"をたたくのが嫌だったことは、忘れていない。
大の苦手の国語を勉強。
しかも、国語のマンツーマンの添削。
地獄以外の何物でもなかった。


大学受験で国語の2次試験があるかも、ということで添削をはじめることになった。
国語はセンター試験レベルでさえ、選択肢をしぼりきれず、模試で200点満点中120点台をうろうろするような出来だった。
同じく国語が苦手な友達とへらへらしながら「まあ、理系だしな」と慰め合っていたくらいだ。
そんな状態で2次試験での国語だ。
2次試験は論述問題だが、そんなのできっこない。
ただ、必要とならば、やらないわけにはいかない。
そもそも論述ぶっつけ本番なんて、無謀な考えだ。

「…先生に添削を頼むか」

職員室の前で、いろんな可能性を模索したうえで、しぶしぶ、扉を開けた。
あのときの引き戸は2トンくらいの重さがあった。


添削は、週に1回。
ノートに問題を貼り、解答を書く、そして先生に朝提出して、夕方返却時にコメントをいただく形式だった。
つまり、提出してから返却時までは生殺し期間となる。
あの時間が一番嫌いだった。

夕方、職員室へ向かい、師事を仰いだ。
担当の先生は、淡々と説明を続ける。
理路整然を字のごとくいく口調が、不穏な未来を予期させた。
これは、クラスで当てられるのとはわけが違う。
分からなかったら、うつむきながら「いやぁ…」とかヘラヘラしてお茶を濁しておけば乗りきれるものでもない。
なにせマンツーマンなのだから。
真正面からうけとめて、論理的っぽいすっからかんなことをもごもご口ずさむか、素直にハートをブレイクされるしか選択肢は無かった。


初回の添削。
ノートが返却され、コメントをもらう。
つぎはぎした文章は赤字で埋まり、手厳しいコメントがお経のようにつらつらと書かれていた。

先生の指導は予備校にいそうなカリスマ風。
論理的にズバッとくるスタイルは、ジャブのようにじわじわ効いてくる。
ただ、鍛えていない体へジャブを打たれれば、一発でKOなのだ。
この人に「よくできたな!」と褒められる姿を思い浮かべることはできない。
少なくとも今日の出来からは、どんなに想像を飛躍させても無理だ。

「添削、やめてぇ…」

職員室を後にし、教室へ戻る最中、ただその一念しかなかった。
見届け人ともいえる添削ノートを、もう一度開こうとも思わなかった。

"添削"という字は"添えたり削ったりしながらより良くする"という意味があるんだろう。
けっして削られっぱなしの時間のことではない。
だけど、「嫌なのでやめます」とは言えない。
やめてしまって、困るのはこっちの方。
そして、仮に今やめると言ったら、どんなに理詰めされるかわかったもんじゃない。
ぐるぐるとさまざまな思考が流転し、脳みそはコマのように回転していた。
八方塞がりだ。
…いや、一つしか道がないという意味では、答えは見えていた。

「…やるしかなかぁ」

体中を、ため息がかけめぐる。
これから苦労をかけるだろう添削ノートは、新品なはずなのに、ひどくくたびれて見えた。



「後は、他の教科を頑張りなさい」

数ヶ月後に、そんなコメントとともにノートを返された記憶は、いまでも僕の頭にのこっている。
最後の添削だった。

満点を取ったことはない。
ほめられた記憶もほとんどない。
ただ、極めたとは言えないまでも、大きく視界が開けたのは確かだった。
半径1メートルの視野が、5メートルくらいに広がった。
そして、国語に対する苦手意識は、ほとんど無くなっていた。
ずっとやりたくなかったことだけど、やっていくと何かが見えてくることもあるんだな、初めてそんな体験をした。

返されたノートは、もうあの先生のもとに渡ることはない。
問題と解答で分厚くなったノートは、1ページ1ページがずっしりと重い。
"思い出"なんていうキレイな言葉では語れないものが、どのページにも詰まっている。
赤字とぶっきらぼうなコメントに覆われているだけ。
だから、最後のコメントが、ほめ言葉に思えた。


結局、2次試験で国語を使うことはなかった。
正確には、そこまでの学力に達しなかったのだ。
そのことを先生に報告した。

「おう、わかった」

返答は、意外とそっけなかった。
だけど、その一言に救われた気がした。

正直、伝えるのは嫌だった。
数か月、国語力のない僕につきあってもらった上、高めてもらった能力を蔑ろにするようなことだったから。
だけど、だからこそ、ああいう反応をしてもらえることは何にも代えがたかった。
そして、だからこそ、新たな思いも芽生えた。

「あの時間を、無駄にしちゃいかんな」


僕がどれくらいあのときの経験を生かせているのか、分からない。
文章を読む楽しさも、文章を紡ぐ難しさも分かっているつもりだけど、どう評価されるのか、分からない。
正直、今書いてる記事を添削されるのは、おそろしい。

「ぼちぼちだな」

そんなコメントなら、まあ、ぎりぎり及第点ということなんだろう。


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