1色ではないこの世界を、想像力で包みこむ
『ストリートチルドレン』。
家族が貧しいために、路上でお土産や生活用品を売り家計を助ける子どもたちのことだ。
彼らのことを知ったのは大学3回生のときだ。夏休みの旅行の計画を立てる中で、ふと海外に行きたいと思った。それまで海外に行ったことがなく、大学生のうちに行きたかったという背景もある。ただ、海外に行って遊ぶのはちょっと違う。それなら国内でも事足りる。せっかくなら海外でしか経験できないことをしたかった。
そんな折に、フィリピン・セブ島で『ストリートチルドレン』やスラムなどの貧困地域の子どもたちと交流できるボランティアがあることを知った。セブ島はリゾート地だと思っていたが、そのイメージとは裏腹に貧困地域も多いらしい。そういった人々との交流は日本では体験できない。それに距離的にも最寄りの関西国際空港から4~5時間のフライトでちょうどいい。
「ここだ!」
そういうわけで3年前の夏、僕は、彼らに会いに行った。
初めての外国、フィリピン
マクタン・セブ国際空港に着いたのは、19時頃だった。赤道直下ということもあり、飛行機からおりた瞬間、モアッとした暑さを感じた。
今まで地図で見るだけだった赤い線を思い出し、「おお、これが赤道直下の国の夜か」と、のんきに感動していた。
ただ、暑さでいうと日本も負けてない。むしろセブの方が若干カラッとしている気がする。その肌感覚は、東南アジアの方が暑いというイメージを持っていた僕には意外なことだった。到着早々の発見に、これから待ちうける新たな出来事に期待しつつ、「日本の暑さは大丈夫なのか…」と、遠く離れた母国の未来を心配するのだった。
宿舎に向かうタクシーから見る景色は新鮮だった。途上国特有の、雑然とした営みの中の熱気が感じられる。交通量は多く、急な路線変更などもあり交通マナーもかなりゆるい。
滞在中の話だが、歩行者信号がない横断歩道を渡るときは困った。車が多く走る中、少し途切れたタイミングを見計らい、手で車を制しながら渡らなければならない。慣れるまでは少し勇気がいる。まあ最後まで慣れなかったのだが。
そういう背景もあり事故をさけるためか、運転手が暇つぶしのようにクラクションを鳴らしまくる光景がやけにシュールだった。日本の交通事情について、住んでるだけだと何も思わなかったけど、すごく整った国だったんだな、とひしひしと実感した。
「本当に外国に来たんだなぁ……」
そんなことを思いながら、異国の夜を走り抜けていった。
宿舎に着いてから、近くのパン屋に朝ごはんを買いに行った。店員のお姉さんは笑顔だった。滞在中ずっと感じたことだが、フィリピン人はいつも楽しそうで、フレンドリーだった。
フィリピンの物価はおおよそ日本の半分から1/3程度。通貨はPeso(ペソ)で、1ペソは約2.2円ほどだ。だからパンを2,3個買ってもかなり安かった。(と記憶している)
ただ、会計で苦労した。フィリピンの硬貨の扱いに慣れていなかったこと、そして夜で暗かったため、何硬貨なのかがよく分からなかったのだ。「何ペソやねん……」と店の明かりに向けて硬貨を掲げていると、その姿がブサイクだったのか、店員のお姉さんは爆笑していた。日本人と違い『空気を読む』という文化がない分、ストレートな表現が新鮮で、どこか心地よかった。
次の日も同じパン屋で朝ごはんを買いに行くと、同じお姉さんがいた。どの硬貨が何ペソなのかは分かっていたが、会計のとき、わざと明かりに掲げるフリをした。すると、お姉さんはまたゲラゲラと笑った。こんなコミュニケーションが取れることがうれしくて、僕も笑った。滞在中の朝ごはんは、このパン屋で買うことにした。
ストリートチルドレンとの青空教室
『ストリートチルドレン』は、土産物などを路上で売っている。だから彼らの多くは観光地にいる。僕たちが彼らと交流した場所も、フィリピン最古の教会『サント・ニーニョ教会』という観光地の近くにあった。
ストリートチルドレンとボランティアの学生は2人1組になり、『青空教室』という教育支援の形で交流した。彼らが学校をドロップアウトしないように、語学や道徳を教える目的のものだ。木陰で行ったので、まさに青空教室という感じだった。
意外な事実だったのだが、ストリートチルドレンが一番求めるのはお金ではない。実は、『教育』なのだ。お金に関しては、物売りなどをしていればその日食べていくだけのお金は稼げるらしい。実際、子どもたちに「いくらお金があったら十分か?」と聞いても、「生活に必要な金額があれば十分」と答えるそうだ。
ただ、『教育』は将来的なリスクを負うことになるから、より切実なのだ。
「このまま一生、この生活をしていくのか」
「大人になったらもっと稼いで家族を楽にさせてあげたい」
そんな想いを抱える彼らが貧困のスパイラルから抜け出すには、『教育』しかないのだ。
僕がペアになったのは、ラッパー風の見た目をしたおしゃれな15歳の男の子だった。外見からはストリートチルドレンとは思えなかった。好きなアーティストもジャスティン・ビーバーらしい。
彼ら全員、という訳ではないが、貧困の子でもキレイな服を着ている子も少なからずいる。理由は、貧困だということを見せたくないから。特に、人前に出るときや日本人ボランティアと交流する日はなおさらなのだ。フィリピン人はオープンで開けっ広げな性格だが、プライドは高いと言われている所以を見た気がした。
だけど、考えてみれば当たり前のことだ。誰だって着たい服を着たいと思うのだから。
もう1つ付け加えたい。
ストリートチルドレンというと、「物を盗むんじゃないか」と怖がる方もいるかもしれない。しかし、物売りをしている子どもたちは犯罪行為はしない。なぜなら、生きていくためには最低限の社会のルールを守らなければならないことを親から教えられているからだ。
実は僕も彼らについて知るまでは、多少の恐怖心はあった。日本に住んでいると、貧困というものをまざまざと体感する機会はないから。ただ、実際に触れ合ってみると、そんなことは思い込みに過ぎないのだとすぐわかった。子どもらしい一面にあふれていてとてもかわいらしい。「貧困だから」という悲壮感も一切なかった。
ペアになった彼もとてもフレンドリーだった。ちょっとやんちゃだが人と触れ合うことが大好き。もう声変わりをしていたが、はにかんだときの表情にはまだあどけなさが残っていた。日本語を紙に書いて教えたときも興味津々で、楽しそうに発音しているのが印象的だった。こんな風にかかわっているだけだと、普通の子どもと何ら変わりはないのだ。
僕はスマホを取り出し、『機内モード』を指さして「ドント、プッシュ!」とだけ伝えて彼に渡した。そして、それを夢中で操作する横顔をしばらく見ていた。
アクティビティの中で、『将来の夢』を聞きあう時間があった。
彼に「将来の夢は何?」と質問すると、「警察官になりたい」と答えた。なぜかわからないが、胸の奥がキュッとする。「なんで警察官になりたいの?」と質問すると「みんなの手助けをしたいから」と答えた。
経験したことのない、不思議な気分だった。3年経った今も、あのときの気持ちを一言では言い表せない。『現在、生計を立てるため物売りをしている彼』と『将来、警察官になってみんなの手助けをしたいと語る彼』が、一つの体の中にあることをどう捉えていいのだろうか。そういった気持ちをうまく表現できないのだと思う。
あえて言うのなら、未来への希望でもあり現状へのもどかしさでもある。喜びや悲しみでもあり、期待や切なさでもある。そんな複雑な感情は初めてだった。彼らには当たり前のことかもしれないが、僕の頭の中には、その気持ちを表す言葉が見当たらない。
唯一すぐに理解できたことは、彼らは子どもながらにして、夢を抱きながらお金を稼ぐことも考えなければならないということだった。
アクティビティの後、彼が売るお土産のキーホルダーを買った。 木製のコアラやガラスで作ったカメなど5個1セットで100ペソ。単にかわいかったから買ったというのもあるが、「彼の生活の足しになれば」という想いや、警察官という彼の夢に少しでも貢献できるならという想いもあった。
だけど、彼らが最も必要としているのはお金じゃない。その事実を知っているからこそ、複雑な感情になった。やはりまた、僕はこの気持ちを説明する言葉を持ち合わせていなかった。
『青空教室』が終わり、近くのマクドナルドで昼食をとった。店から出たとき、ストリートチルドレンが「100Peso!100Peso!」と売り物のキーホルダーを観光客に必死で売りこむ姿が見えた。彼らからお土産を買う人もいれば、目をそむける人もいる。いずれにしても、驚きや哀れみ、怖さなどが混ざりあった複雑な感情をもっていることだろう。
中には、物乞いをする子もいる。その光景に心を痛め、お金を渡す観光客もいるそうだ。
ただ、それは必ずしも善い行いではない。なぜなら、物乞いに味をしめた子どもは毎日物乞いに明け暮れ、大人になっても仕事をせず他人に頼る生き方しかできなくなるからだ。そして、頼る人がいなくなると、やがてスリや窃盗、女の子なら売春の道へと進んでしまうのだ。
先ほども書いたが、彼らが本当に必要とするのはお金ではなく、『教育』。子どもにお金を渡す行為は一見すばらしいことのように思えるが、彼らの将来には何のためにもならないのだ。
正しさって、難しい。
「Super very happy」
セブには多くのスラムなどの貧困地域がある。僕たちが訪れた場所には、ゴミ山に暮らしながら、ゴミを拾って生計を立てている『スカベンジャー』と呼ばれる人々がいた。思わず鼻をつまみたくなるほどの強い臭いに、顔をゆがめてしまう。
海辺にあるスラムを訪れたときは家の密集度合いがすごかった。ところどころでラジオから音楽が流れ、通路や家は狭いながらも、そこに多くの人々が暮らしていた。
ただ、そこに暮らす大人や子どもは、みんな幸せそうだった。スラムに住む、日本でいう高校生くらいの女の子に「今、幸せですか?」と尋ねると「Super very happy」と笑顔で答えてくれた。弾むような声が印象的で忘れられない。
たしかに物はない。だけど、彼らにとっての幸せはそろっている。それは『家族』『友達』『音楽』の3つが身の周りにあること。彼らは貧困がどうとかではなくて、今あるものに幸せを感じているのだ。
彼らより色んなものに満ち足りた日本で暮らしてきた僕の価値観でみれば、幸せとは言えないかもしれない。だけど、彼らは幸福を感じている。そして皮肉なことに、僕の口からとっさに「最高に幸せです」とは言えないのである。
物にあふれた日本でそれを享受しながら暮らす生活と、身の周りのもので満足して「Super very happy」に暮らす生活。どちらが良いとか悪いとかではなくて、世界にはそういう事実があることを知った。
セブの陰と陽
セブは日本から一番近いアジアンリゾートだ。日本にはないホワイトサンビーチが広がり、観光客に人気となっている。リゾートホテル内のレストランやプライベートビーチ、スパでのんびり過ごしたり、『SM』や『アヤラ』などでショッピングを楽しんだりすることができる。もちろんそこは、貧困とは縁遠い世界だ。
フィリピンは格差社会だ。社会を制している、政治家や経営者などの富裕層は国民の1%にも満たず、多くは貧困層が占めており、まさに分断状態にある。そして、富裕層の子孫は裕福のまま、教育も受けておらず社会も知らない貧困層の子孫は貧困のまま。何年たっても変わることのない格差がそこにはある。
幸せそうに暮らす、貧困地域の人々の幸せが、本当に最大限の幸福なのか考えてしまう。
1週間のボランティアの中に、1日ほど休日があった。
世話人の方から「セブ島の観光地にも行くと格差社会をより実感できるよ」と、何ともいえない複雑な言葉をいただき、せっかくだからシュノーケリングをすることにした。
船から臨むセブの海は本当に綺麗だった。底まで見透せる海に行ったことがなかったから、とても感動した。
さっそく海に潜るためにシュノーケルや足ヒレなど、それっぽい道具を身につけ鳥山明のような格好になった。シュノーケリングは初めてだったこともあり「オラ、ワクワクすっぞ!」と、思いのほか意気ごんでいた。
準備ができ、海に飛びこんだのだが、その拍子に海水を大量に飲み込んでしまった。あたりまえだが塩辛い。
ただ、そんなことがどうでもよくなるくらい海の中も綺麗だった。熱帯魚かどうかは知らないが、それっぽい魚が泳いでいる光景に「ああ、南国に来たなぁ」という実感をえた。来る前は遊びにはあまり興味なかったけど、やってよかった。やっぱ経験しないとわからないことも多い。
あと、写真は撮れなかったが、めずらしい魚も見ることができた。
ガイドの地元ダイバーが「Hey! Nemo!」と海底を指さしてはしゃいでいたので潜ってみると、ディズニー映画『ファインディングニモ』のモチーフになったカクレクマノミがいたのだ。
「おお!ニモだ!」という小学生のような叫びと、ガイドの方に親指を突き上げるポーズで感動をあらわした。
海から上がるとヤシの実が用意されていたので、ストローを通す穴を開け飲んでみた。初めてのヤシの実ジュースだ。おいしかったのだが、味の表現が難しい。たとえるならバナナと水をミキサーで混ぜたような味だった。
「そんなのおいしいのかよ」とツッコまれそうだが、少なくともバナナと水をミキサーで混ぜたような味よりはおいしいと思う。
ジリジリとした陽の光をあびながらヤシの実を飲んでいると、団体の観光客を乗せたクルーザーが近くに止まった。日本語が聞こえるから、どうやら日本人観光客らしい。サングラスやアロハシャツを身につけ、ワイワイとはしゃぐ姿がリゾートを思わせた。楽しそうにしゃべる女性のつややかな髪が太陽に照らされてまぶしい。そして、1人、2人と鳥山明に着がえ、海へ飛びこんでいく。
その光景をボーッと見ながら、『青空教室』の木陰やスラム、ゴミ山との落差を感じていた。
このあたりを観光する人々にとって、セブとは綺麗な海と豪華なホテル、大きなショッピングモールの象徴なのだと思う。僕が見たような貧困は、ほとんど印象にないだろう。なぜなら普通に観光をしていれば貧困地域に足を踏み入れることは無いからだ。
ただ、別に「ちゃんと格差社会にも目を向けろ!」と言いたい訳ではない。なぜなら彼らはフィリピンの格差社会について、そもそもほとんど知らないだろうからだ。
僕が船上で感じていたのは、世界は自分が知らないことや気づいていないことを背景にして動いているということだ。
僕はセブ島について調べるまで『ストリートチルドレン』がどんな子ども達なのか知らなかったし、警察官という夢を抱いている子どもの存在や、貧困地域の人々が幸せに暮らしていることにも想像がおよばなかった。
そして逆も然りで、目の前にいる観光客の彼らは知っていて、僕だけが知らないこともある。セブのリゾートの素晴らしさや、ホテルの料理の豪華さは彼らのほうがよく分かっている。そこに関して、僕は無知なのだ。だから、誰が知っている世界が正解とか、誰の価値観が不正解とかは簡単に決められない。それぞれの信念や正義の枠組みの中では、どれも正しいといえることも多いからだ。
そして、自分とは異なる世界を持った人たちとの違いについて想像しないとき、人々は対立しあうのだろう。誰しも知らないことが多いのにもかかわらず、ただ、盲目的に。
僕は色々考えた後、この世界に無数にある、知らないことについて果てしない想像をした。ニュースでは流れない政治や経済の問題のこと。世界のどこかに存在する、僕の人生にとって大切な漫画やアニメ、本、大切な人。実態はよく分からない。際限もないから、どこまでたどればいいのかも分からない。ただ、僕が知らないことをたくさん乗せて、この地球が回っていることは確かなのだ。
そんな空想の後、手元に残ったのは、世界はとてつもなく広いという、ぼんやりとした感触だけだった。
想像力は、世界を包み込む
世の中には知らないことが多い。こんなもんだろうと高を括っていた世界は、思っていたより広く、複雑だった。
今回のボランティアは、ある意味で裏切りの連続だった。自分が信じていたことや知っていると思っていたことが偏見や誤解にすぎないと気づかされることが多かったのだ。それに、僕の知らない世界が、どこまでも広がっていることにも気づかされた。
けっきょく、僕たちは世界のすべてを知ることはできない。自分は正しいと思っていることでも、物事の表面を上滑りしてしていることがある。自分なりに正しいことであっても、本当に正しいとは限らない。だから、知識や常識よりも大切なことがある。それは、世の中には色んな世界・価値観があると想像できる力をもつことだと思う。
僕は、海外はフィリピンにしか行ったことがないから、フィリピン人の国民性や生活しか体感したことがない。だけど、どの国の人もそれぞれに個性があることを想像することはできる。日本人とフィリピン人の価値観が違うように、アメリカ人も中国人もみんな違うはず。そしてどの国にも思ってもみなかった文化や価値観があり、どこまでも世界は広がっているのだ。
そして、それは国民性に限った話ではない。性格や性的指向、障がいの有無など様々なことにも当てはまる。それぞれにいろんな事情があるから、周りの人が自分の世界を強く信じ「そんなの甘えだろ!」とか自分なりの信念や正義を振りかざしても、どうにもならない。
だからこそ、「まあそう感じる人もいるかもな~」と、それぞれの違いを想像し受け入れる必要がある。それは『みんな違ってみんないい』という学校の標語のようなものではなくて、「みんな違うよね」という、この世界の前提に近い。世界は、自分が見ているただ1色ではなく、何色かのグラデーションの1点にすぎないのだから。
もちろん苦手な人や価値観は誰にだってあり、それに対してネガティブな感情を抱く自分に直面することもある。僕もその一人だ。それでも、そんな自分を許し、受け入れ、ときに自己嫌悪しながら、日々前に進もうとしているだけなのだ。完ぺきとはいえなくても、前に進む。やれることから始めればいいし、やれる範囲でやればいい。そうしたことの積み重ねが想像力の糧となり、それぞれの世界を隔てるバリアを超えていくのだと思う。
かの物理学者・アインシュタインもこんな言葉を残している。
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