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色彩心理講座を受けて、色を思い出した話(後編)

色は〈青〉〈黄〉〈赤〉の三原色からなりたっている。
この三原色の割合と明るさによって、全ての色味が決まるそうです。
自分の割合を振り返ってみると〈青〉多く〈赤〉が少ない。
精神面で置き換えてみるとみると少し納得する。
〈青〉は精神性を司り
〈黄〉は感情を司り
〈赤〉は血の通った愛情を司るなら、私は結構、偏っていると思います。
まずは、〈赤〉に対する拒否感が強い事。
〈紫〉の項で、介護職時代に人との心の交流が大事であると痛感したのにも関わらず〈赤〉の「家族」「情熱」「正義」を受け入れられない自分が居る事。「正義」の関しては、正しい事をしたと言われても「自分には言われる資格がない」と受け止められないところがあります。
〈黄〉に関しては、自身の後悔によって自分で感情を置いてきてしまっていた事に〈橙〉の項で気が付くことができました。
〈青〉系統の色に対する受け入れの広さは、共感力の強さで傷つく事が多く独りで考える事が多かった。
他人の感情に敏感になり、知らず精神的な事に興味を持って生きてきた事が関係するかもしれないですね。
二次色、三次色と混ぜる色が多くなる度に自分の認めたくない事が明るみになるようで少し怖い気もしてきます。

実際、ここまでやらなくても良いかも知れない。
やり過ぎかな・・と思えなくもない。

色彩心理は、選んだ色から目に見えない「心」や「思い」を可視化するツール。今現在の気持ち・心を読み解くものであるはず。
ここまで過去を掘り下げる必要性は無いのかもしれない。
しかし、これから先を想像するのに私は【自分自身】というものがあまりにも少な過ぎると感じていました。今に至るまで一緒に育まなくてはいけなかった【何か】を過去に忘れてきてしまったような焦りも。
自分は何が、楽しいか?何をすれば嬉しいのか?
どう生きていきたいのか?

【自分の気持ちの発掘作業】これからの為にどうしても必要な作業だったかもしれません。
リリ色彩心理受講後に自分でも戸惑うほど劇的な変化がありました。
その過程を忘れぬよう、過去の自分に戻らぬように備忘録を執筆しました。

「変わりたい」と感じた時、ほんの少しの覚悟で世界が変わる。

生活、制作、生き方まで・・いまとても実感しています。


リリ色彩心理講座 三次色編


〈珊瑚〉強くある為に忘れた色

「はぁ?」
その色の事を問われ頭が真っ白になった。
何も浮かばない。
言葉が出てこない。
数分時間も貰っても一向にイメージが出てこない。

〈珊瑚〉レッドとオレンジが混ざった色。
色彩心理のイメージは
「連帯」「内面」「繊細」「循環」「女性性」「奉仕」
チャクラでは
「女性器」「粘膜」

同じピンク系の〈桃色〉は浮かんだのに、まるで見たことのない色の様に
何も思い浮かばない。
講師である小池安雲さん(アグモさん)にイメージを一つ一つ説明を受けても、あまり意味を受け入れられない自分が居ました。
感じると言えば「拒否感」
〈珊瑚〉には、元となっている珊瑚の生体の様に「連なる」「群れをつくる」という意味もある。
この拒否感に思い当たるのは〈赤〉でも浮かんだ「家族」ではないのかと気がつきます。
「群れを作る事」集団の中に入る事は昔から苦手でした。
最小の集団である「家族」さえ苦手だったのです。

共感力の強い事、繊細過ぎるという気質の事で、家族との理解のズレがあったのではと今では振り返り、両親は苦労したのではと思い返します。
しかし、何も知らなかった当時は〈親であるなら理解してくれて当然だ〉と思っていました。
気圧の変化で具合が悪くなる事も、他人の気持ちに同調してしまう事も、
ストレスを抱えすぎてしまう事も、理解してくれて当然だと、信じていました。
母が亡くなり数年、介護職として勤務している時に一ヶ月ほど休職したことがあります。
動悸が激しくなり、胸が苦しく寝れない日々を過ごし勤務することが難しくなりました。
内科では問題がなく、心療内科を受診すると「他人に寄り添うのは素晴らしい仕事だけれど、君は寄り添い過ぎて知らずにストレスを受けすぎている」治す為の薬は無く、症状を抑える為の薬を処方されました。
仕事を休まなくてはいけないしいつ治るかわからない不調に、だいぶ不安を抱えていました。「独りでは抱えきれない」とその事を素直に父に話したのです。
「お前の言っていることが、分からない」
それが、父の答えでした。
理解してほしいわけではなく、ただ話を聞いてほしかった。
しかし、返ってきたのは〈拒否〉の言葉。
その時の心境は、今でも言葉にできません。
ただ、この世に頼れる人はいないんだと改めて自分に言い聞かせた出来事でした。
弱い人間ではいけない。
他人に迷惑を掛けてはいけない。
強くならなければいけない。
自分の事を理解してもらおうなど思ってはいけない。
他人に頼ってはいけない。
親に対する理想と家族に対する理想を諦めた時でした。

親も人間であるし、絶対ではない。
その時、もしかしたら嘘をつくよりも正直に私に〈理解できない〉という事を言ったほうが良いと考えての言葉だったかもしれません。
しかし、それ以降〈本心〉を親に話す事は無くなり、心身共に強い人間であるという〈理想〉の良い子になりました。

そんな父に複雑な思いを抱えて過ごした介護の数年間。
父には、頼りがいのある〈理想〉の子供である記憶しかなく、それが病で拍車のかかった依存として私に向けられる日々。
何度か精神的に擦り切れそうになり、家から逃げたくなる事がありました。
その時に近所の方々に何かと助けられ、怒られたことがあります。
「他人に頼りなさい」と、弱音を言っても良いと教えられました。
【人間は一人で生きているわけではない】
生きる為に強い自分を作っていましたが、過ぎればそれは脆いものです。
頼る事を選べる〈強さ〉があれば、父と良い関係を作れたかもしれない。
独りで抱えすぎて親との距離感が分からなくなった私は、やっと自分が弱い人間であると改めて思う事が出来たのです。

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