たぁぼまる

Softwareエンジニア / 東南アジアでスタートアップを経験 / 場所に縛られない…

たぁぼまる

Softwareエンジニア / 東南アジアでスタートアップを経験 / 場所に縛られない生き方

マガジン

  • 名も無きSEの回顧録

    ソフトウェアエンジニアとしての半世を振り返って、お世話になった亡き上司との思い出や職場の大切な仲間達とのエピソードを綴ります。

  • 場所に縛られない生き方

    ライフ・フットワークを軽くする! 自分をとりまく環境は常に変化しています。あまり難しく考えすぎずに、後悔しない人生を選択したい。

  • 東南アジア駐在記

    足掛け7年に渡ってマレーシア・ベトナムでの生活を体験しました。海外の人達と一緒に仕事をして感動した事や、日本と海外の採用の違い、気をつけるべきメンタルケアなどをまとめています。

最近の記事

私が沖縄に移住した理由

なぜ沖縄に移住することになったのか 私は、時々ネットのブログなどを検索して、海外、あるいは日本の地方都市へ移住した人の記事を読んだりしています。 快適な住環境を求めてライフ・フットワークを軽くする生き方をしていきたいと思っています。ところが、ネットを検索していても、なかなか「これだ!」という情報に巡りあうことができません。 そういう訳で なぜ私は沖縄に移住を決めたか というテーマで記事を書いてみようと思い立ちました。 沖縄は四方を美しい海に囲まれています。おそらく沖縄に

    • 場所に縛られない生き方

      都会のスタイリッシュさ+快適な住環境を併せ持つ場所が理想日本に生まれ、何十年も東京を中心とした暮らしをしてきた私が、機会を得てマレーシア・ベトナムで数年間を過ごした。 私は東京の暮らしに十分に満足していたし、海外への憧れもなかった。興味すらなかった。 そんな私が海外生活を経験したことで、自然と考え方が変化していった。自分の価値観の境界線が広がったと感じる。 人生観を変えたと思う。想像もしていなかった生き方もあるのだと気がついた。本当の意味で自分と向き合う瞬間だったのだと

      • ベトナム人が会社で炊飯器を買った話

        はじめに私たちがハノイに進出して、8ヶ月ほどが過ぎた、ある日の事。 なぜか炊飯器を抱えて出社してきたベトナム人の女性スタッフのハンさん(仮名)。 「今日から私たちは社内でランチを食べようと思います。この炊飯器でご飯を炊いて、おかずは皆が家から持ち寄ります。あなたも一緒に食べましょう!」 なるほど、その発想はなかった。炊きたてのご飯が社内で食べられたら最高だよね。 こうして、社内でのランチ会の日々が始まりました。 コミュニケーションの大切さ女性スタッフが当番で台所で米

        • 海外暮らしのメンタルケア

          はじめに私が初めて海外赴任を経験したのは2013年のマレーシアから。それから足掛け7年に渡り、マレーシアとベトナムで生活してきました。 同じ東南アジアといっても、マレーシアとベトナムでは生活感が全然違います。同じ地域でもベトナムなら北のハノイと南のサイゴンでは、そもそも気候からしてまったく違う。そこに暮らしている人の気質もそれぞれ違います。 私と一緒に海外赴任を経験した同僚達は、次々に日本へと帰任していきました。その中にはメンタル的にかなり厳しい状況になった人もいます。

        私が沖縄に移住した理由

        マガジン

        • 名も無きSEの回顧録
          4本
        • 場所に縛られない生き方
          2本
        • 東南アジア駐在記
          12本

        記事

          番外編 IT黎明期のこぼれ話

          はじめに私のtwitterでの呟きを抜粋してまとめます。気楽に読んで頂けたら嬉しいです。 エピソード1 高速にスーツを着る先輩私が新人だった頃、「スーツを一秒で着れる」という先輩がいた。私がその妙技を見せてほしいとお願いすると、「お前には見る資格はない!」と断られる。なかなかアクの強い先輩だった。 私の同期の女の子が「え~?私見てみたいなぁ」と言った瞬間、先輩は「しょうがねえな・・・」と言いながらまんざらでもない様子で、やおら、ゆるりと机から立ち上がって上着を手に持つや、

          番外編 IT黎明期のこぼれ話

          私がエンジニアとして挫折した時の話

          はじめに「コンピューターとの衝撃的な出会い」によって、中学生のときにはソフトウェアエンジニアになるという自分の将来の進路を決めていました。これから進むべき道になんの迷いもありませんでした。 やがて、社会人となった私は、晴れて独立系のソフトウェア開発会社へと就職します。 その頃の日本は経済バブル期であり、日本全体が活気に溢れていました。その中にあってIT業界は産声を上げてから年月も浅く、特に異様な活気に溢れていました。 幸運にも、入社後は信頼できる上司にも恵まれ、職場の雰

          私がエンジニアとして挫折した時の話

          私が尊敬する上司の話

          はじめに かつての私の上司である広川さん(仮)の話をしたいと思います。 ソフトウェアエンジニアとして私を育ててくれた恩師であり、そして私にとっては職場の父のような存在でした。 年齢は私の一回りちょい上で、それほど歳が離れているわけでもありませんでしたが、大きな身体とガッチリした体格で見た目にも頼りがいのある雰囲気をもっていました。 けれども、そんな広川さんは、まだ50代という若さで早逝してしまいました。 今は会いたくても、もう会うことは出来ないのです。 でも、私は迷

          私が尊敬する上司の話

          私がソフトウェアエンジニアという天職に巡り会うまで

          はじめに今や日本も令和の時代となり、昭和生まれの私もだいぶん歳を重ねてしまいました。 こんな年齢になると、ふと、昔を振り返って人生を整理してみたくなる時があります。 子供の頃は大工になりたかった時は遡り・・・私が小学6年生だった頃。 その当時、私の将来の夢は「大工さん」になること。学年文集にはっきりと、そう書かれています。 私の住んでいた実家の隣家に大工さんがいて、その人はフリーの職人さんとして働いていました。家の前には小さな空き地があり、そこで木の柱に丁寧にかんなを掛

          私がソフトウェアエンジニアという天職に巡り会うまで

          多様性を受け入れて生きるということ

          はじめに私は、いつからか使命感で仕事をするようになっていました。 自分に課せられた任務を、なんとしても成し遂げるために努力を惜しまずに働きました。 幸いにして、私はソフトウェア開発という天職に巡り会う事ができ、仕事は多忙を極めましたが充実感をもって働いていました。 マレーシアで訪れた心境の変化マレーシアで暮らすようになると、そんな私の心境に少しづつ変化が訪れます。 マレーシアでは仕事に使命感をもって働いている人は少ないと思います。彼らは自分の家族や友人をなにより大切に

          多様性を受け入れて生きるということ

          ベトナム人から手渡された手紙

          はじめに私が開発拠点としてハノイに進出したいと思った理由は一言で説明するのが難しいです。 今回はマレーシア駐在時に出会ったベトナム人開発者の女性の話をしたいと思います。 彼女はハノイで大手開発会社に勤務しており、数ヶ月間のオンサイト契約で私たちと一緒にマレーシアで一緒に仕事をしていました。 佳境を迎えた製品開発製品開発がいよいよ佳境を迎えていました。 彼女とタスクの仕様について、連日激しいやり取りが続きました。 お互いが仕事に本気でした。少しでも良い仕事をしようとす

          ベトナム人から手渡された手紙

          車社会のマレーシア

          はじめにマレーシアが車社会であることは事前にインターネットなどを調べて知っていました。 しかし、見ると聞くとでは大違いで、実際にマレーシアで暮らしてみると車の必要性を痛感します。 マレーシアは東南アジアの中で、シンガポールやタイと並んで発展している国です。都市部は鉄道網が整備されているため、都市部に住んでいれば、車が無くても暮らしていけます。 実際、マレーシアに移住した日本人も車を所有していない人は多いなという印象(特に一人暮らしの方)。 理由としては、マレーシアでは

          車社会のマレーシア

          マレーシアの人達はフレンドリー

          意外に親切だったマレーシアの人達初めてマレーシアを訪れてから足掛け7年。 この間、首尾一貫して変わらない私の感覚があります。それは、マレーシア人は人なつこくフレンドリーだということ。 ちなみに、これについてはマレーシアで暮らす日本人達の中でも異論があります。ですので、これから書くことは私個人の見解で、私から見たマレーシアだと思ってください。何かの参考になれば幸いです。 マレーシアに来て驚いたのは、街を歩いていると、すれ違う人がニッコリと微笑んでくれたり、オフィスビル中でも

          マレーシアの人達はフレンドリー

          日本と世界の国民性の違い

          海外で働く日本人が陥りやすい心理マレーシアに進出した日本企業の知り合いの方が撤退して日本に帰任するとき、最後に言い残した言葉 「なんか虚しくなったんですよね・・・」 この言葉は今も私にとって印象深く残っています。 マレーシアに進出した日本人が罹る病というかマイナスの心理状況。 私はマレーシアに来て「日本人は世界的にみてもトップレベルの労働力をもった国」だと感じるようになりました。 具体的には - 非マネージメント型の自発的な仕事スタイル - 自分の職責を超えた柔軟

          日本と世界の国民性の違い

          海外と日本の採用の違い

          日本から海外にくる若者たち海外で仕事をしていると日本から「自分の英語力を生かして海外で活躍したい!」と希望に胸を膨らませて渡航してくる若者たちを見る機会があります。 時には日本での勤務経験もなく、新卒で海外に飛び込んでくる若者もいます。 今回は、誤解を恐れずに私の正直な気持ちを書いてみようと思います。もちろん、これは私個人の考え方なので、必ずしも正しいわけではないでしょう。そこのところを理解してもらいながら、読んでもらえればと思います。 英語が出来る=スキル?皆さんは、

          海外と日本の採用の違い

          マレーシアのシリコンバレー!?サイバージャヤでの海外暮らし

          マレーシアのシリコンバレー2012年末、マレーシアに進出するために、10日間ほどの視察旅行に行き、新しいオフィス候補地と住居となるコンドミニアムの下見を行いました。 マレーシアのシリコンバレーと言われていたサイバージャヤという場所です。 マレーシアは産油国であり観光資源のある国ですが、1996年に当時の首相であったマハティール氏の指導の元、MSC計画という国家プロジェクトが始まりました。 ITという新しい産業を国の柱とするべく、政府主導で進められた、このMSC計画の中核

          マレーシアのシリコンバレー!?サイバージャヤでの海外暮らし

          ウクライナ人と徹夜で仕事した話

          はじめに今回はマレーシア駐在時に出会ったウクライナ人の話をしたいと思います。 彼との出会いは、オフショア開発の推進という、私の背中を押すエピソードの一つになっています。 積み上げられたタスクマレーシアでの開発が佳境を迎える中、SCRUM開発のタスクチケットは数百も積み重なり壁に張り出していました。 私はSCRUMチームとは独立して自分のミッションに懸命に取り組んでいたため、しばらく気がつかなかったのですが、どうもチケットの消化率が低い。 これはおかしいなと思い、SCR

          ウクライナ人と徹夜で仕事した話