繊細な29歳独身の呟き所

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最近の記事

訃報を受ける世代になって思うこと

こんにちは。今年で30歳になる紬です。 最近身近な人の死が相次ぎ『死』について考えることが増えてきました。特に小さい頃にお世話になった方や、親の友達の訃報が多いです。身内の死はもちろんつらいですが、小さい頃の面影を知っている方の死もとてもつらいものです。大人になってから関わりは減ってしまったものの、訃報を聞くと、懐かしさと悲しさとが同時にこみあげてきます。ここで、時間の経過も感じます。 はたまた、妊娠・出産の第一ピークの年代ということもあり、おめでたい報告も同時に受けます。

    • 繊細な私にとって家族旅行が苦痛ってお話

      こんにちは。紬です。 『家族旅行が苦痛』と感じるようになったのは、親と働き始めてからのことです。小さい頃は旅行が楽しみで仕方ありませんでした。親が嫌いなわけではありません。『拘束されている感覚』があって個人的には、行きたくないな~と思ってしまうことが多くなりました。 嫌ならいかなければいいじゃないかというお話にはなるのですが、如何せん親も若くはないので、『一緒に旅行に行っておけばよかった…』という後悔をしないように行くようにしてます。親のそばにずっといない方であれば、普通に

      • 29歳独身女のちょとした夢

        こんにちは紬です。 年を重ねる度に、『人生』についての深みが増してきている今日この頃です。昨年の9月に祖母が亡くなってから、自分の人生についてイメージする時間を大切にするようになりました。 繊細で普段から考えることも多い私ですが、祖母の死に触れてから、『死にたい』という気持ちがなくなり、少しずつでいいから『できることに挑戦したい』という気持ちになってきました。悲しい経験の中にも、前向きに進もうと頑張っている自分がいることを実感しています。 まだ抽象的なのですが、『勝手にや

        • 頑張らないを選んでもいいって話

          友達から『忙しくしてないと仕事じゃない!なんて考え、苦しくない?』と言われた。というのも、忙しくして『仕事に意味を求める』ことが自分にとっていいと思っていたからだ。 友達曰く、『必死にやること』だけが美徳じゃなく、真面目に手を抜くことをもっと考えてほしいということだった。(私のような真面目人間は特に笑) 思えば、普段考えすぎることにストッパーをかけていたはずなのに、『頑張りが足りてない、もっと自分にできるんじゃないか』と自分の背中をずっとたたいてばかりいた気がする。友達か

        訃報を受ける世代になって思うこと

          繊細な私にとって地元暮らしは窮屈に感じるというお話

          地元に帰省してから4年が経ちました。 地元に帰省してから『人との関わり』が妙に億劫になり、普段は親と数人の友人としか付き合いがありません。(会社は親の会社ということもあります。) というのも、どこか『昔の自分を知っている人間がいる』ことが嫌だ、という感覚に陥っていることに加え、社長の娘だという視点で見られている(特殊)のではないかという、過度な思い込みがあるからなのだと思います。 私は、大学、新卒の会社と『自分のことを知らない人と関わりたい』という気持ちが強く、地元を離れ

          繊細な私にとって地元暮らしは窮屈に感じるというお話

          29歳でやっと『人は死ぬ』ということを実感した話

          2023年の9月に祖母が亡くなりました。 身内の『死』はこれが初めてではありません。 なのに、今回の祖母の死で『人は死ぬ』ということ 『自分も死ぬ』ということを強く感じました。 以前は、『人生』という言葉に対して 大きい感情を抱くことはありませんでした。 それが、『死』という実感がわいたことによって、『人生』ということを深く考えるようになりました。 終わる事(死)を実感したこともあってか、 『自分の叶えたい事』にもっと集中しなきゃ!と 心からそう思うことができました。

          29歳でやっと『人は死ぬ』ということを実感した話

          自分を過小評価しすぎないことの大切さ

          こんにちは、29歳独身繊細社会人の紬です。私は学生の頃から、『でも、だって、どうせ』という思考回路がベースの自己肯定感低めの人間でした。今思えば当時は、人から褒められたとしても、そうなんだ‥‥くらいに感じてしまい、自分の『才能』を自分から打ち消していた気がします。 今は違うのか?と問われた時に、はっきりと『違います!』と言えるほど、自分と向き合い続けてきました。かれこれ6年間ほど…今回はそのお話を簡潔にここに記そうと思います。 自己肯定感が低すぎたあの頃の話当時(23歳)

          自分を過小評価しすぎないことの大切さ

          おいてかれるような気持ち

          こんにちは。人よりも悩みやすい紬です。現在29歳独身社会人です。 よく、繊細だね、考えすぎだよ!なんて言われて生きてきました。 大学を卒業してから早いもので7年が経ちました。女性のライフステージの変化は大きいもので、結婚、妊娠、出産、など女性の一大イベント報告が現在ピークです。人の幸せはもちろん全力で喜べていますが、反面、なんだかおいていかれている気持ちというか、もう手が届かないというか(それは大げさか笑)そんな気持ちになることも増えてきました。 『おいていかれるような気

          おいてかれるような気持ち

          ”足りているもの”に目を向ける習慣

          こんにちは。人よりも悩みやすい紬です。現在29歳独身社会人です。 よく、繊細だね、考えすぎだよ!なんて言われて生きてきました。 近代、SNSが活発に使用されていることもあり『他人の生活』を簡単にのぞき見することができるようになりました。友人はもちろん、知りもしない相手のキラキラした部分をみて、勝手にモヤモヤしてしまうなんてことありませんか?私は、結構ありました…。『いいな~』なんて、やっぱり思ってしまいます。(隣の芝は青いとはまさにこのこと・・・) このままの自分じゃなん

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          96歳のおばあちゃんが亡くなった話

          こんにちは。紬です。 今回は『祖母の死』を悲しいだけで終わらせず、『自分の人生の糧』としていきたい(生きたい)と思い、ここにまとめました。 先日祖母が96歳でこの世を去りました。最後まで病気をせずに頑張って生きてくれました。戦争を経験した世代であり、最後まで、強く優しくたくましい祖母でした。 葬儀に参列したのはこれで3回目で、1回目は5歳で父方の祖父が亡くなった時、2回目は16歳で母方の祖母が亡くなった時、今回は29歳で父方の祖母が亡くなりました。子供の頃の葬儀の感覚と、

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          『今』だけに集中する大切さ

          こんにちは。人よりも悩みやすい紬です。 よく、繊細だね、考えすぎだよ!なんて言われて生きてきました。 私は普段から、仕事はこれでいいのか、親の介護のことや自分の老後のこと等、楽しいことよりもまだ起きてもいない『将来の不安』に捉われることが多く、気持ちが沈みやすかったです。 ただ、冷静に考えたときに『起きてもない不安』にかられながら生き続けるなんて辛すぎる!とハッとし、今の自分に何ができるのかをもう1度向き合うことにしました。それによって、最近は少しずつ気持ちが回復してきた

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          繊細な私に必要なのは『ちゃんと嫌う勇気』

          この人苦手だな~なんて思いつつ、なんだか嫌いになりきれない優しすぎる自分がいつもいます。 相手が自分に『きつい言葉』をかけてきても、繊細な私はこう考えてしまいます。『疲れてるのかな?余裕がないのかな?』 そうやって、自分が相手に傷つけられているのにも関わらず、相手を擁護してしまい結局ずっとモヤモヤしたまま。 嫌いになろうとしても、人を嫌ったり距離をとってしまうことへの『罪悪感』が生じてしまい、『嫌いになりきれていない』自分がいます。 ですが、ついこの間そんな自分から卒

          繊細な私に必要なのは『ちゃんと嫌う勇気』

          「いじられキャラ」の人間関係

          私は高校をきっかけに「いじられキャラ」になっていました。当時は、「楽しい」を第一にしていたので、さほどいじられることに関して深く悩むことはなかったものの、「自己肯定感」はその時から低めでした。 いつしか、社会人になり「いじられキャラ」が苦痛に感じるようになりました。その原因は、会社でうまくなじめず辛い経験をしたことがきっかけです。自己肯定感が低いことに拍車がかかり、「自分なんて」と何事も自責にしてしまい、心を病んでしまいました。 そんな中で、「自分をいじる人」と会うことで

          「いじられキャラ」の人間関係

          現代社会に必要なのは「遊び」と「癒し」で仕事は二の次という考え

          私は、新卒から働き始めて5年が経ちました。そんな今の自分が過去の自分に声がけをするなら「たくさん遊んで、たくさん癒されて、仕事は二の次でいいよ。」という言葉です。 新卒の時の「ワクワク」は今ありません。当時、「自分でお金を稼いで好きな事をするんだ~!」なんて舞い上がっていました。そんな気持ちのまま入社して3カ月が経過した頃「適応障害」になりました。「お金を得る」ということの大変さ、理不尽さ、辛さを痛感し、社会に出て仕事に対して気付いたことは「しんどい」ということでした。

          現代社会に必要なのは「遊び」と「癒し」で仕事は二の次という考え

          28歳の私、理想の自分を断捨離することにしました

          2020年の3月、私は25歳で3年間働いた仕事場を辞め、転職しました。30歳になるまでに「いい女像を完成させるんだ!」なんてあれもやって、これもやってと目標を作っては自分を奮い立たせる毎日を繰り返していました。 国家試験には2度もチャレンジし、もっとお金を稼ぎたいという気持ちもあり、副業にも時間を注いでいました。ですが、国家試験も副業も芽が出ず。そこで、2022年28歳の冬、ぷつん!と自分を頑張らせていた気持ちが途絶えました。 自分にとっては、限界を迎えていたようです。

          28歳の私、理想の自分を断捨離することにしました