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96歳のおばあちゃんが亡くなった話

こんにちは。紬です。
今回は『祖母の死』を悲しいだけで終わらせず、『自分の人生の糧』としていきたい(生きたい)と思い、ここにまとめました。


先日祖母が96歳でこの世を去りました。最後まで病気をせずに頑張って生きてくれました。戦争を経験した世代であり、最後まで、強く優しくたくましい祖母でした。

葬儀に参列したのはこれで3回目で、1回目は5歳で父方の祖父が亡くなった時、2回目は16歳で母方の祖母が亡くなった時、今回は29歳で父方の祖母が亡くなりました。子供の頃の葬儀の感覚と、大人になってからの葬儀の感覚の違いを感じています。きっとそれは年を重ねたことによって『死の考え方や捉え方が変化しているから』だと考えています。


また、『死と向き合う』ということは『私と向き合う』ということでもあると思っています。なので、祖母がこの世からいなくなり、悲しみや苦しみもありますが、それ以上に『祖母からのメッセージ』に着目して、今後の人生に活かしたいと強く思っています。



祖母のお葬式エピソード

コロナ禍を乗り越えて

世間はコロナにより、家族が亡くなったのに最後まで会えないという悲しい現実を突きつけられる時期がありました。

祖母もコロナ禍は、93歳と危ない状況でしたが、家族のことを考えてくれたかのように、コロナが開けるまでずっと頑張ってくれました。そのおかげで、通常通りの葬儀を実施することができました。

祖母はコロナ禍により認知症が悪化し、お話しができなくなったことに加え、呼吸をすることがやっとな状態でした。それにも関わらず、家族の声がけには『瞬きや、頷き』そう言ったことで反応してくれていたように感じます。

『耳は最後まで聞こえている、感情はある』と介護士さんがお話しされていたこともあり、できなくなることがあっても『家族が諦めることは絶対にしたくない』と思い、できるだけ話しかけていました。

お話ができないおばあちゃんを見ているのは辛いこともありましたが、『生きようとする力』をおばあちゃんから十分なほどに感じることができました。本当に最後までありがとうといいたいです。

数十年ぶりの親戚が集合

コロナ禍もありますが、中々きっかけがないと集まらないのが親戚です。今回祖母が亡くなったことをきっかけに、大人になってから親戚に合うのは10年~20年以上あってない親戚、初めて対面する親戚もいました。

個人的に親戚付き合いというのは、『うまく話せない自分』がいることもあって苦手意識がありましたが、いざ対面してみると、おばあちゃんの話を通して『色々な思い出話』をすることができました。

緊張していた親戚の方との会話も、おばあちゃんのおかげで進めることができたのかなと、そう感じました。疎遠になりがちな親戚の付き合いも、こういった場を通して交流できて本当に良かったです。

初めての葬儀段取り

今までは、『参列するだけ』だった葬儀も、親と葬儀の段取りを一緒にしていく側へと今回は変化しました。葬儀にかかる費用や流れについて、大変勉強になりました。

人が亡くなるということは、『手間』や『時間』『お金』がとてもかかることに加え、必ず来るものという実感も得ました。だからこそ、今度は『自分の親の葬儀』についても考える必要があると気付かされました。

死ぬということは『大切な人の負担』になってしまうのは確かで、1番驚いたのは『葬儀にかかる費用』でした…。貯金がいかに大切かとても考えさせられました。

雨から晴れ、葬儀後に虹

葬儀当日は雨だったのにも関わらず、出棺した時だけ晴れたり、葬儀が終わり自宅に帰って家族で空を見上げたら虹が出ていたりと、奇跡的なことが起きました。

死という悲しい出来事なのに、おばあちゃんが何かメッセージをくれたかのような感覚でした。最後まで、おばあちゃんの優しさや強さを実感できたように思います。

祖母から学んだ大事なこと

『生きる』を大切にすること

仕事や人間関係に疲れ『死にたい』と思ったことが正直自分にはありました。でも、ここ数年おばあちゃんが必死に生きようとしている姿を目の当たりにして『自分はなんて愚かなことを考えていたんだ』と気付かされました。

おばあちゃんは『どんなことでも感動する人』でした。戦時中の貧しい生活や苦しみを経験しているからこそ『強く生きる』ということを体現していたように思います。腸閉塞になり、7回も手術したのにも関わらず、その後は96歳まで病気せずに最後まで生き抜いてくれました。本当に感動です。

そして、おばあちゃんの旦那(私の祖父)は豪傑で人情深い反面、言葉や振る舞いが並外れて厳しい方でもありました。そんなおじいちゃんを最後まで支えることができたおばあちゃんだからこそ、強く優しいおばあちゃんだったのだと思っています。

一次予防を大切にすること

私は過去に3年間『インストラクター』をしていました。それもあり病気になる前の習慣が大切であることは身に染みて感じています。父や母にも運動を進め、ジムに通ってもらっています。

おばあちゃんのことで心残りなのが『筋トレや運動の習慣がなかった』ことだなと思っています。それでも96歳まで生きれたので大往生でしたけどね。

もちろん、1番は『自分の健康』だと思っていて、自分が健康にいることで大切な人を救うことができるので、『1に自分』『2に大切な人』といった形で『病気になる前の予防』に励んでいきたいと思います。

ちなみに、2年目に出会った『90歳』のインストラクター『瀧島未香』さんの動画に出会ってからその気持ちも強くなり、今回のおばあちゃんのことでなおのこと強い気持ちに変わりました。本も出している方で、今でも愛読しています。

▼こちらが詳細です。

繋がりを大切にすること

葬儀を通して親戚との繋がりを実感することができました。地元に帰省し働き始めて4年目、自分には横のつながりがないことを痛感させられます。それが悪いことととしてとらえるのではなく、『仲間の大切さ』というか、『支えあって生きること』の大切さを、おばあちゃんは教えてくれたように感じます。

社会人になり人間関係で参ってしまった時期は、交友関係を広げることも億劫で、学生のころまで積極的だった友達作りも、全然していませんでした。ですが、これを機に1歩ずつでも自分の交友関係を広げていきたいと思えました。

身の回りのことを家族で共有しておくこと

葬儀も大変ですが、『相続』のこと『保険』のこととふりかかることはたくさんあります。悲しむ暇も、休む暇もなく、当たり前のように。なので、そのためにできることは、家族で『保険のこと』『相続のこと』を生前にしっかり話し合い、紙に整理しておくことだと思いました。

もともと、何かを管理することは好きなので、フォーマットを自作しているのですが、それをコツコツと埋めて家族全員で共有できるようにしたいと思っています。

穏やかに、優しく強くいること

祖母は、戦時中に生きていたこともあり『忍耐力のある人』でした。苦しい中を生き抜いてきたからこそ、周りの人に優しくできたり、穏やかに人に接することができたんだと思っています。『当たり前を当たり前だと感じすぎないこと』を祖母から学べました。

祖母のすごいところは『優しいだけじゃないところ』です。周りに優しくも、厳しい父(私の祖父)をずっと支えて生きていました。話を聞く度に『今の私には到底無理だ…』と逃げ出したくなるような状況にも負けなかったと親戚や家族から聞きました。

おばあちゃんの生き方は『今の自分の人生を奮い立たせてくれるもの』であったなと、最後の最後にわからせてくれました。


『死』とは『私』であるということ

葬儀場に来る人数が、その人の人生を物語っているなと目の当たりにしました。勿論多いから良いとか悪いとかそういうお話ではなく、結果論の話です。

祖母は96歳で、周りの友人もほとんど他界していましたが多くの方が『昔お世話になったから』と参列して下さる方が多かったです。そして、親戚が語る『祖母の話』は、忍耐力のある優しくて強い人だったと、皆口をそろえて言っていました。『死』ということは、故の『私』を表すものだと、葬儀を通して実感することができました。


さいごに

おばあちゃんは最後まで『生きよう』という気持ちが強い人だったと感動しました。辛くなったり、人生においてどう進んだらいいかわからなくなったら、おばあちゃんを思い出そうと思っています。

悲しい気持ちは勿論あります。写真や動画を見る度に、目頭が熱くなり、一緒にご飯を食べたり、どこかに出かけたことが、つい最近のように感じています。時の流れというものはそういうものなのでしょうかね…。

でも、だからこそ、悲しんでるだけではなくて、『今をどう生きるか、天国にどんな思い出話をもっていけるように生きるか』そういったことが今生きている人間のすることなんじゃないかと、そう思っています。

そして、事実上おばあちゃんはこの世にはいませんが、心の中にちゃんといると思っています。人は忘れ去られることが本当の死だともいうので、自分が生きている間は『大切な人のことを忘れずに』ずっと心の中に留めておきたいです。

追記
おばあちゃん、96年間本当にお疲れ様。頑張ってくれてありがとう。大好きだよ。最後の最後までたくさんのことを学ばせてくれてありがとう。この学びを大切に、自分も『生』を全うしていけるように頑張るね。本当にありがとう。


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