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訃報を受ける世代になって思うこと

こんにちは。今年で30歳になる紬です。
最近身近な人の死が相次ぎ『死』について考えることが増えてきました。特に小さい頃にお世話になった方や、親の友達の訃報が多いです。身内の死はもちろんつらいですが、小さい頃の面影を知っている方の死もとてもつらいものです。大人になってから関わりは減ってしまったものの、訃報を聞くと、懐かしさと悲しさとが同時にこみあげてきます。ここで、時間の経過も感じます。

はたまた、妊娠・出産の第一ピークの年代ということもあり、おめでたい報告も同時に受けます。20代前半の頃とは打って変わった状況に、自分の年を重ねたとつくづく感じています。

身近な人の訃報を耳にすることで、自分の気持ちは親族でもないのに大きく下がります。繊細なこともあって尚のことダメージが大きいのだと思っています。ただ、最近の訃報が重なる度に考えることがあります。

『自分にもいつか死は訪れる』ということです。
若い頃の漠然とした気持ちから、30代を前にして『自分は死ぬんだ』ということをひしひしと感じ始めています。人が亡くなるという事は、悲しいことではありますが、同時に『生きている自分を変えるきっかけ』にもなりえると思っています。

『人生一度切り』という言葉がありますが、10代や20代前半の頃は、あまりピンと来ていませんでした。ですが、『人の死』を経験することによって、最近この言葉に強く背中を押されることが増えてきました。

自分の人生を粗末にせず、少しでも自分にとって納得のいく選択をし続けられるようにしたい!という気持ちが強くなっています。
もちろん、悲しい気持ちや苦しい気持ちもありますが、人の死を悲しい感情だけで終わらせるのではなく、少しでも自分の学びや活力に繋げて、自分が死んだ時にお土産話がたくさんできるように、したいなって、そんな風に思っています。

自分の性格上、悲しいことにかなりひっぱられやすいですが、だからこそ、この考えを大切にして、下を向きすぎず、立ち止まってもいいから、前だけを見続けたいなと思っています。


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