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2024年4月の記事一覧

※今回はこちらの続きです。

https://note.com/tukuda/n/nc441491ddd01

のり子の弟は入院してから毎日、勤務先である新聞社の新聞を読んでいた。

そして、必ずお悔やみ欄はひとりひとり、自分に関係がある方かどうかを見ていた。


ある日、弟はお悔やみ欄のお一人にくぎ付けになった。


その方はNさん。
ついこの間までの一般病棟で向かいのベッドにいた方だった。

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※今回はこちらの続きです。

https://note.com/tukuda/n/n21a49f2f9ed5?from=notice





弟は一般病棟から無菌室に移る前に、病院の理髪店の方にお願いして散髪をしていただいた。
弟はこれから治療が厳しくなると医師から聞いていたから、自分に気合を入れる意味もあり、髪を五厘刈りにした。

そんなヘアスタイルは高校の野球部以来である。
顔立ちのはっき

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※今回はこちらの続きです。

https://note.com/tukuda/n/nb314d9df08ff?from=notice





話は少し前に戻ります。



のり子の弟が入院してまもなく、今後の治療中に血液が急遽必要になることもある為、献血をお願いしたいと医師から言われた。


のり子はまず、弟の勤務先である新聞社に電話をした。


いつもお世話になっている弟の直属の上長のTさ

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※今回はこちらの続きです。

https://note.com/tukuda/n/n3b90c1a03ed0?from=notice



のり子の弟は6人部屋の方々とも良好な関係だった。


同じ病室の人たちは、それぞれ病名は違えども、ある意味、同志だった。退院していく同志の後ろ姿を見ながら、自分も早く退院できるようにしようと弟は言った。



弟は吐き気と高熱故にベッドが大きく揺れる状態で体

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※今回はこちらの続きです。

https://note.com/tukuda/n/n440fbae3820e?from=notice




「ところで、息子さん(弟)には本当の病名を伝えても大丈夫でしょうか。」


T部長はのり子達に向かっておっしゃった。

両親ものり子も考えたが即答できない。

弟は27歳で立派な大人だから、自分の病名を知る権利はある。
家族の私たちがそれを阻止するのはおか

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※途中、咳が出てすみません。
※今回はこちらの続きです。

https://note.com/tukuda/n/n3c0436897708?from=notice




「検査の結果、緊急入院することになりました。ご本人には連絡済みです。病状の説明をしますので、ご両親、こちらに来てください。」

地震などの緊急速報を話されているアナウンサーのような、少し慌てた感じで大学病院の先生はおっしゃった

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今回は、こちらのnoteの続きになります。
↓「私は税のプロになる」根拠のない自信がなぜかあった

https://note.com/tukuda/n/n591966513995



「私は税理士事務所に勤めながら税理士になる。」
そのような大志を抱いてのり子は11年間勤めた会社を円満退職した。


のり子には「税のプロになる」、その夢でいっぱいだった。自分はなれるとなぜか思っていた。



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※今回はこちらのnoteの続きです。
↓いいことばかりだった私の初めての挫折

https://note.com/tukuda/n/ncdf4cd49287f?from=notice




家族に税に詳しい人がいて欲しい。
ある件でのり子はそう痛感した。

では誰が適任か?
最終学歴が尋常小学校の両親は想定外。
姉は既に嫁いでいる。
残るは弟と私。



そうか!
私が税に詳しい人になればいいん

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※今回はこちらのnoteの続きです。

https://note.com/tukuda/n/n2e8a02988c9e?from=notice




のり子は快適なひとり暮らしを続けるうちに都会で暮らす自分を想像するようになった。


のり子の勤務先は東京に本社があり、社内で転属できる制度がその頃始まり、のり子は東京の本社の事務管理部に転属したいと思うようになった。


都会での独り暮らしは怖

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※今回はこちらのnoteの続きです。

https://note.com/tukuda/n/ndba5c76dba52





自分から進んで事務職から販売職に転属したのり子は水を得た魚のように毎日を楽しんでいた。


「やってみたいと思うことはやってみよう。」

その時ののり子を言葉で表現すればこうだった。


そしてのり子は20代後半になって、「ひとり暮らしをしてみたい」と強く思うようにな

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人は未来を思い出しながら生きている。


例えば、のり子が行った着せ替え人形の投票企画でいうと、のり子がディスプレイしたお人形たちを子どもたちがウインドウのガラスにおでこやほっぺたを付けて見ている様子を想像すると、のり子は嬉しくなりました。

そして、当選した方にお人形を渡し、記念写真を撮った時の可愛い顔を想像するとワクワクしてきました。

このようにまだ起きていない未来のことを思い出しながら今、

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おもちゃ売り場に配属になったのり子は、配属初日に「ゆりちゃんの好きなようにしていいから」のチーフの言葉の通り、自由な発想でやりたいようにやらせていただいた。


これまでのおもちゃ売り場は商品をただ置いているだけだったが、のり子はお客様に自分から近づくことを積極的にしていった。

おもちゃのミシンやはたおり機で作った作品を展示して、こちらの商品をお求めになるとこのようなことができます、と商品を手に

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のり子は念願の売り場異動が叶い、嬉しくてたまらなかった。


たまたま退職の方がいらっしゃってその補充という形でおもちゃ売り場に配属になった。

売り場初日にチーフのイシタさんに挨拶に行った。
イシタさんはフランクな方で一緒に売り場を廻りながら商品の簡単な説明をしてくださった。


そしてリカちゃん人形が陳列されているところに来て、
「ゆりちゃんには女児玩具を担当してもらうから。今日からここはゆり

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のり子にとっては、「服」「髪」「靴」、この3つが揃い、会社では堂々といられるようになり意欲的に仕事をしていった。


のり子が入社して4~5年位の頃に、会社では「業務改革」という言葉が使われ始めた。

時代はどんどん変わっている。だからこれまでの成功が今後も続くとは限らない。過去の成果にこだわっていては時代の波に乗られないと考えられ、社内の組織が劇的に変わり業務もどんどん新しくなっていった。


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