20220704、05|ここで唐揚げ弁当を食べないでください
20220704|朝から雨
セミの声は聞こえるし、カブトムシは甘ったるい匂いのするゼリーのなかに体ごと浸っている。あのかたい背中もひょっとして甘い匂いになっていたりしないかなんてばかなことを考えながら、雨の音は、記憶を遠い過去へと連れていき、どうすることもできないものだけを残してどこかへ消えた。あのひとは、きょうも誰かをおもって、すこし死んだりしながら息をして、いつまでも消えない悲しみに絶望しているだろうか。不幸な顔して、石に躓いて、煙草でもふかしながら、あの頃は楽しかったねと、昔を思い出して、悲しい目をして笑っていたらいい。誰かと幸せに笑っていてなんて死んでも思わない。
私はというと『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を読みながら滑稽なくらいに小さな絶望と諦めを繰り返し、深夜、手を離せば即死のブランコに乗って、自由を噛み締める小原さんの姿を思い浮かべては羨ましがった。深夜に公園へいく勇気もなければ、そもそも死ぬことが怖くて内臓が浮くくらいブランコを漕ぐことなんてできやしなくて、地に足をつけていないと不安だなんて、不自由な大人になってしまったもんだな。いしいしんじの『ぶらんこ乗り』に救われていたあの頃の私はどこへいってしまったの。あーあ、ベッドで死んだように眠っているのに、死ぬのが怖いだなんてどの口が言う。
あーね、たぶん、おそらく、きっと、簡単そうにみえて、簡単じゃなくて、それでも思うよりも簡単なんでしょう。小さく絶望したり、諦めたり、喜んだりすることって。空っぽだからって息が吸えなくなることなんてないし、あんぱん食べて、生き返って、かわいい馬鹿になれないまま、ひねくれた大人がここにいる。かわいくない。
それはそうと、文末に短歌が載せられているのがとてもよく、きゅんとした。かわいかった。ちょっとドキドキした。こうしたありふれた日常のなかからその風景や感情をちいさく切り取って、31文字のなかにおさめてしまうだなんて、ねえもうちょっと教えてよと傲慢なことを思いながらも、その余白にこめられたものを想像する浪漫というのは案外心地よくて、そのキッパリとした潔さにドキドキしちゃったりなんかしてね。とても良い本でした。
20220705|大雨のち晴れ
一ヶ月のなかで最も痛いおもいをするものを朝から乗り越えて、死んだように眠った。午後からは釣り。本は読めなかったけど、サバを釣って、ラーメンを食べた。いつ読み終わるのか定かではないプルーフに締切があって、いけしゃあしゃあと生きていたいのに現実はそんなうまくいくはずもなく、ふっ、社会人なんてクソだなと思いながら湯船に浸かる。今から明日の弁当のおかずを作って、仕事のために寝る。ね、社会人はクソ。いや、それはちょっと嘘。だってちょっと嬉しくて、誇らしい。
それではまた。