見出し画像

往復書簡#1『月金帳』|女ふたり、読んでいます。


火曜日の朝、こちらは雨。

家のなかは青白く、静けさを纏い、なんともいえないよそよそしさ。この雨で、心配事のひとつ、アナベル(紫陽花)がきちんと根付いてくれたらいいのにと淡い期待を寄せています。

そんな静かな朝に『月金帳』は読みおえられました。身のまわりに起こる、あるいは意識にものぼらないぼんやりと視点をうつした先に存在するもの、それらをあるがままの飾らない言葉で綴られた書簡たちは、さざなみのような私の日々に光をくれるのでした。


とまあ、そんなことを言いつつも、実のところ、千さんはラブホテルの話をいつしてくれるのだろう、もしやこのまま忘れ去られるということもあるのだろうかとそわそわしていたというのが実態でありまして、こんなふうにしてラブホテルの話を楽しみにしていたものだから、まさかりなさんから、それらに纏わるエピソードを聞かせていただけるとは、と昨夜の私は大喜び。なにか私も、と思いながらも、残念なことに思い浮かぶエピソードはこれといってなく、強いていうなら、回るベッドに遭遇してみたいという願望くらい。今さら夫にラブホテルに行こうと誘う勇気は微塵もなく、といいつつも、いつかその時が来た時には回るベッドのお話をお聞きください。


さて、話は戻りますが、千さんのラブホテルの話をようやく聞けたあと、ぬか喜びをし、すっかり浮かれていた私の目に飛び込んできたものは、牧野さんのたった2行しか書かれていない書簡でした。すべてを読みおえてからも、やはり最も印象に残っているのはこの箇所で、翌週の千さんの、近づきすぎず、寄り添いすぎない、しかしながらどこか温かな心遣いの溢れる詩のような散文に私は心を奪われ、しかしそれらはその一度きりで、その後は互いになにもなかったかのように、あっけらかんと進んでいく往復書簡に、日々は続いていくのだなあという至極当然であることをあらためてつよく思わされたのでした。



ところで今は深夜2:10。仕事を終え、帰宅すると同時に我が家に生後二週間ほどの子猫がやってきました。なんと200g。手のひらの半分くらい。ミルクと排尿の促し、それらを4時間置きに。たくさんの命が産まれてくる春。できるだけ多くの命に幸せな日々が訪れてくれることを願っています。



それでは、また。



p.s 投稿ぼたんを押さずにすっかりと寝こけてしまい、水曜日の朝。子猫の鳴き声で目を覚ましたのは良いものの、とても肌寒く、布団からでるのに四苦八苦。すこし落ち着き、今から『風の便り』を読もうかなあと。今日りなさんはどんな本を読むのかしら。



よろこびます。